[書評]空海・龍馬とユダ、復活させたり
著者のインスピレーションが横溢する
全編に著者のインスピレーションが横溢した本だ。
この本で、著者の別の本(『我が名はヨシュア』)から始まった、評者の探求の旅は完結をむかえた。
結論からいえば、この順序で読まなければ分らなかったであろうことが分った。
ふつうの聖書に現れるイエスとは違う、イェシュアとしての存在に関心があった評者は、『我が名はヨシュア』でユダという新しい角度を知り、『光のラブソング』でユダとの関係の重要性に気づき、その関係性の一端を『ユダの福音書』で確認し、そして本書『空海・龍馬とユダ、復活させたり』でユダの封印が解かれるさまを知った。
このあとは、ふたたび、イェシュアとしての存在を掘下げた Jack Angelo の第四福音書についての著書に戻り、さらに『ユダの福音書』に関連するグノーシス文書などを探求することになるだろう。
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本書は、あらかじめ計画を立てて著した本でなく、四国のその場に降りてきたインスピレーションにしたがって著している。
だから、好不調の波はあるけれど、その代わり、のってくると、すばらしい着想がどんどんあふれてくる。
最初のうちは、比較的つまらないという印象を受ける読者がいるかもしれないが、3日目あたりからのってくる。
この本は5泊6日の四国でのリトリート(隠修)の記録である。参加者一人一人の質問に著者が答えたりする部分もある。
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さらに、本書は著者ひとりの考えを著した本でなく、ゲストとしての別府進一氏の考えや、リトリートの最終日に参加したX氏の話なども重要な位置を占め、それらは著者の考え
にない、新たな側面を浮かび上がらせている。その意味で、多角的な本であり、著者が全部コントロールするような閉じられた本でもない。開かれた本だ。
著者が四国の地でエネルギーを開くのは、空海、坂本龍馬、イエス、ユダ、さらには、アルクトゥルスであり、それらがバラバラに開かれるのでなく、互いに密接に関連しているのに驚かされる。
その関連性は、その時点の四国における関連だけでなく、時間的空間的に広大な範囲における関連も含まれる。それらが関連してくるのは、ある種の必然によっており、その必然性をもたらしたのが著者という存在であるところに、本書が描く事象の特徴がある。
したがって、本書は単なるリトリートの記録書を超えて、読む人の地平を縦横に開く可能性をもった、スリリングな書であるといえる。
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