[書評]日本国史学 第14号
日本国史学会「日本国史学」第14号(2019)
日本国史学会の学会誌「日本国史学」第14号に掲載の田中英道の論文「ユダヤ人埴輪をどう理解するか」について。
本論文を元にして、秦氏研究の構想を加え、口述体でまとめた書が『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』(2019) であった。論文であるので、注釈や参照文献が詳細であること、誤記ないし校正漏れがより少ないことを期待して読んだ。前者は満たされるが、後者はそれほどましとも思えない。学会誌だが、編集委員会の方針なども明記されていないので、査読や校訂なども行われていないのだろう。
ただし、文体は学術論文のそれで、このスタイルに慣れている人にはこちらのほうが読みやすいかもしれない。
ここでは、『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』にはなかった新たな知見や情報を書いておこう。
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人物埴輪が五世紀後半から作られていること。「形象学的に言えば、それらは、生身の人間でなく、特定な人物と想定できない、一つのタイプとして制作されていると考えられる」という。その原因は技量の不足でなく、特有の創作目的があったとする。その理由は「それらが御霊の像であるから」と指摘する。この指摘は大胆な洞察をしめす。
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西方の渡来人(帰化人)がやってきた時期は「弥生時代に始まり、応神天皇の時代を中心とする四世紀末から五世紀初めてにかけて、次に五世紀後半から六世紀中頃と、波状的に日本に渡ってきたと考えられる」こと。
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「芝山はにわ」の人物埴輪は、鍔つきの帽子と顎髭と美豆良の三点セットであること (下の写真;ソース)。
この頭部の様子は、「世界の衣装史上、当然、ユダヤ人のそれを思い起こすはず」と述べ、〈ユダヤ人のそれは、歴史的なもので、古代のユダヤ教徒の独特の髪型、耳の前の毛を伸ばしてカールさせる「ペイオト」はよく似ている〉と指摘する。(*)
(*) ペイオト (Payot, פֵּאָה):「あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。」(口語訳、レビ記 19章27節)
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秦氏の先祖は日本書紀(応神天皇十四年)によれば弓月君(ゆつきのきみ、中央アジアの弓月国出身の融通王)である。弓月君の民の渡来は、「仲哀天皇の時代の巧満(こうま)王の来日からおよそ八十四年後、第十五代応神天皇(在位二七〇−三一〇年)の第十四年(二八三年)に、日本に渡来していたと考えられる」こと。(*)
(*) 二八三年:佐伯好郎の説。一説には西暦372年とも、また5世紀前半とも。
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ユダヤ人的埴輪が作られた時代は、人物埴輪が数多く作られた雄略天皇の時代(在位 456-479)と重なること。
「関東の古墳におけるユダヤ人埴輪は、雄略天皇に従う、関東豪族の、ユダヤ人重用の結果と見るべき」と指摘する。
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ユダヤ人が支配階級になることなく、日本に同化していった理由については、本論文でもあまりふれられていない。その点は、近刊の『日本の神話と同化するユダヤ人』でより詳しく扱われるようだ。
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