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【書評】『この頃の皇太子殿下』

小泉信三『この頃の皇太子殿下』(1959)

今日は令和元年五月四日。著者の小泉信三はちょうど131年前の今日、生まれた。

本書には彼が当時の皇太子殿下(現・上皇陛下)の教育係をしていたときのことが書かれている。執筆されたのは1958年、つまり正田美智子さん(現・上皇后陛下)との婚約がなった年と思われる。

小泉と皇太子とは英人サア・ハロルド・ニコルソンの大部の『ジョージ五世伝』を読んでいたという。この書についてのレポートを課された皇太子は、ジョージ五世が第二皇子として比較的目立たぬ皇子時代を送ったことに注目し、そのことが、この王の成長によい影響を与えたのではなかろうかとの見解を述べたという。

ジョージ五世の兄クラレンス公は一つ年上であったが、1892年、28歳でなくなり、ジョージ親王は1901年、ヴィクトリア女王の崩御後、皇太子となった。ジョージ五世は27歳まではただの皇族として、海軍生活に専心していたのだ。自分は王位を継がぬと思っていたところが、突然兄がなくなったわけだ。海軍軍人としての生活をつづけて、多くの社会的経験を得たことが、ジョージ五世の将来に利するところが確かに多かっただろうと小泉も同意する。

ジョージ五世は、兄クラレンス公の婚約者だったメリイ姫と結婚した。ジョージ五世には別の縁談があったのだが、兄の死後、祖母のヴィクトリア女王が親王とメリイとの婚約が都合がよいと決めたのだ。

これは英米でいう「整えられた結婚」(アレンジド・マリッジ)ではあるが、ジョージ五世にとっては「生涯の幸福であった」という。

そうした伝記の記述を、小泉は皇太子と一緒に、深い興味を以て読んだ。

そのような折に皇太子が小泉に次のような趣旨を語ったという。

自分は生れからも、環境からも、世間の事情に迂(うと)く、人に対する思いやりの足りない心配がある。どうしても人情に通じて、そういう深い思いやりのある人に助けてもらわなければならぬ。

その後のことは世のよく知るところである。

小泉信三の皇太子への御進講覚書に次のようなことが記されており、上のエピソードとともに、記憶にとどめておきたい。

世界史を見渡せば敗戦国では王室は終焉するのが通例だが日本は例外だ。その理由は、昭和天皇は平和を愛好し、学問・芸術を尊重し人に対する思いやりが深いということを国民が知っていたからだ。つまり、殿下(現・上皇陛下) のお勉強や修養は日本の明日の命運を左右する。人の顔を見て話をきくこと、人の顔を見て物を言うことを大事にしてください。

久禮 旦雄によれば、このような小泉の教えが、後の上皇陛下の震災時の被災地訪問や勲章授与の際などの人の顔を見て話す姿勢につながっているという。

小泉 信三(1888.5.4 - 1966.5.11)

#書評 #小泉信三 #皇太子  

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