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Book/Film Reviews

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書評集
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#コラム

[映画] 'Sing Street' と Christian Brothers

アイルランドの映画 'Sing Street' (2015) を見てきた。見ることができてよかった。 7月9日に上映が始まったが、もう15日にも終わりそうだったので、大雨の予報だったけど、出かけた。 そしたら、驚いたことに、館は7割以上うまっていた。みんな、この映画が観たくてしかたないというようすだった。ここしか時間がとれずに無理をしてでもやってきたという感じの人もいただろう。映画の最後のクレジットの画面で立つ人がほとんどいず、みんな最後の音が消えるまでじっと聞いていた。

[書評]シェークスピアのロマンス劇の典拠をめぐる古書ミステリ

チャーリー・ラヴェット『古書奇譚』(集英社、2015)  世界の本好きの「聖地」ヘイ・オン・ワイの書店に足を踏み入れた主人公ピーターは書棚からエドマンド・マローンの本を抜き出す。マローンはシェークスピアのマニアックな探求をする者なら知らぬ者のない、アイルランドのシェークスピア学者だ。  本に挟まっていた一枚の紙を裏返したとき、ピーターの胸に痛みが走る。亡き妻にうり二つの肖像画だったのだ。なぜ18世紀の初版本にこんな紙が。  この謎を解く決意をしたピーターは、シェークスピ

コラム|音楽|詩 と勝負

池上彰氏のコラムとの勝負法(「あさイチ」20170106)。 ・新聞のコラムを読む。 ・最初の2、3行で判定。 → 何を書くかわかれば自分の勝ち → 何の話かわからず最後まで読んでナルホドとなれば相手の勝ち 後者の場合は書き手(=コラムニスト)が優れていることを表す。そこで原稿用紙に写してみる。読んだだけではわからない筆の運びの妙が体得できる。自分の文章術も向上する。 *** 話は違うがわたしは音楽についてこれをつねにやっている。最初の数秒でだいたいわかる。もしわか

[書評]詩篇(岩波版)

松田伊作訳『詩篇』(岩波書店、1998) 岩波書店の「旧約聖書」シリーズの第11分冊。岩波の聖書は単なる詳注版でなく、訳にも大胆な新解釈がもりこまれ、スリリングな巻が多い。 岩波版旧約聖書の特徴は四つある。 1. ヘブライ語原典に従った範囲および配列。 2. 内容理解への補助手段。 3. 訳者名の明示。 4. 翻訳の不偏性。 他と比べて際立つのは3番目の特徴だ。最終的な文責を個人が負う。 ヘブライ詩の並行法はすべての詩の基本原理を解き明かす上で重要なので、およそ詩に

[書評]脳を必要とせず自ら知覚し判断する皮膚

山口創『皮膚という「脳」 心をあやつる神秘の機能』(東京書籍、2010) 皮膚は光を感じ音を聞き、脳の指令を待たず独自の免疫システムを持つ。これだけでも驚きであるが、五感がそもそも皮膚にあり分化したものであるとの仮説も出てくる。それだけではない。アイデンティティとか自己という感覚は皮膚がうみだしているという。そのアイデンティティ同士の距離、コミュニケーション・ギャップを「違和感」と捉えず、分厚い、豊かな「境界領域」の延長上に感じとる。「さわる」と「ふれる」の違いを意識し、「

[書評]トルバドゥール恋愛詩選

※ 某書評サイトの平凡社特集に寄せて。 沓掛良彦編訳『トルバドゥール恋愛詩選』(平凡社、1996) 西欧近代抒情詩の淵源を読む  12世紀南仏のトゥルバドゥールの詩選(1996)。  編訳者は西洋古典文学(古代ギリシアの抒情詩)が専門だけど、フランス文学者がいっこうにトゥルバドゥール詩選集を出さないなか、50篇の詩を訳して出したのは慶賀すべきことだった。が、それから20年たつが、いまだにフランス文学畑からの訳業は、『信仰と愛と フランス中世文学集 1』に収められた22

[書評]赤毛のハンラハンと葦間の風

イェーツの幻の物語(1897年版『秘密の薔薇』) W.B.イェイツ『赤毛のハンラハンと葦間の風』(平凡社、2015)  1897年版『秘密の薔薇』に収められた物語「赤毛のハンラハン物語」の本邦初訳。くわえて、1899年の詩集『葦間の風』初版から十八篇の詩を訳してある。  本を手に取るよろこびが味わえる。小さな緑の本。背表紙に題名等が金箔押し。端正な函に収められている(函の絵は1927年版の挿絵から第二話の「縄ない」)。すみずみまで気の配られた本。大きさは同じ平凡社の東洋

[絵本]ゾーヴァのグミベア

ドイツのミヒャエル・ゾーヴァの絵を3冊の絵本で愉しんだ。 1. ちいさなちいさな王様 2. 思いがけない贈り物 3. クマの名前は日曜日 ちいさなちいさな王様 アクセル・ハッケ作(講談社、1996)。内容にふかみがあり絵が魅力を高めている。「大人のための童話」と称されるが確かに大人でも読みごたえがある。翻訳もいい。読んだあとにグミベアの存在感が増す(?)かもしれない。クマの形のグミだが王様の好物なのだ。(下記写真 source) この王様、いまはちいさいが元は大きかっ

うーん、ちょっとちゃう(長谷川義史論)

ジョン・クラッセンの2つの絵本『どこ いったん』(クレヨンハウス、2011)と『ちがうねん』(クレヨンハウス、2012)は大阪は藤井寺出身の絵本作家・長谷川義史が大阪弁で翻訳している。それについての(ふ)まじめな考察。 『どこ いったん』これはネッシーかと思わせる頭頂部のフォルムとまあるいお腹のギャップがはなはだしく愉快な絵本。そのまるいお腹は本の半ばに至るまで出現しないので気づかれにくい。 ミステリとしては「犯人探し」(whodunit)タイプだ。定石として犯人は読者の

現代詩の中心に入れば入るほど、誰も読まなくなる

「中央公論」2015年6月号 (下) の現代詩をめぐる対談を読みかえしている。  小池昌代と四元康祐とは十年前にも対談というか対詩している(『対詩 詩と生活』)。  今回は日本の現代詩や詩人であることをめぐって対話している。四元がふだんはドイツ在住であることもあり、2015年に小説『偽詩人の世にも奇妙な栄光』を出したこともあり、そういうドイツと日本の違いとか、詩人が小説を書くことといった、やや周辺的なことがらも扱われる。  だが、何といってもおもしろいのは、現代詩の「中

ゾラン・ジヴコヴィチ「列車」を読む

『時間はだれも待ってくれない』(高野史緒編、東京創元社、2011)に収められたセルビアの作家ゾラン・ジヴコヴィチの短篇「列車」。原題 'Voz'. セルビア語原典から山崎信一(バルカン現代史が専門)が訳した。編者の高野史緒(フランス近世史が専門)が的外れにも作中のアクションとは逆の解説を書く。  不幸な状況だ。ジヴコヴィチについて正当な評価が行える環境にない。文学を歴史家が訳し歴史家が解説する。これでよいのか。  にもかかわらず本作品は論じる価値があると思わせる。なぜか。

[書評]脳ほんらいの活性を取戻すことはできるのか

〜大橋力『音と文明』を読む言語脳の知に覆いつくされた現代。はたして非言語脳の知を回復する手立てがあるのか。そんなスリリングな問いを立て、どこまで分かり、どこまでが可能なのかを、諸学の成果を結集し、環境学者として、音楽家として、緻密に、丁寧に、誠実に追究した書。2003年岩波書店刊。その後のテクノロジーの発達で、どこまで可能性が拡がったのか知りたい。 著者の大橋力の洞察の根源にあるエネルギーは一体どこから湧いてくるのか。想像でしかないが、音楽人類学者小泉文夫の薫陶を受け、イン

【書評】「インターネット的」なつながりで考えることは楽しい

糸井重里『インターネット的』(PHP新書、2001/PHP文庫、2014) ※以下、長文の書評です。もう少し短い紹介が、ある方のブログ記事〈ネットはどう生活に影響を与えているのか? 10年経って蘇った予言書「インターネット的」〉にあり、時間がない方はそちらをお勧めします。  糸井重里が初めてコンピュータやインターネットに接したときの驚きに満ちた、新鮮な、深い考察がぎっしり詰まった本だ。いま読んでも古くないどころか、日常をこれらの仕組とともに生きる現代人が一度は目を通してお

【書評】アタリのベストセラーがなぜ読まれていないのか

ジャック・アタリ『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界』(作品社、2008) ジャック・アタリのこの本(原著2006年刊)は21世紀の今後を予測するうえで貴重な洞察や提言に満ちている。それだけでなく、過去の歴史についても創見(ひとによっては偏見ととるだろう)があふれている。 かつて本書はベストセラーだった。今でもひょっとしたら平積みの書店があるかもしれない。エマニュエル・トッドの本と並んで、フランスの知性を代表する書と目されている。 にもかかわらず、あまり(正確に)