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記憶違いの話

記憶のトラブル

記憶についてのトラブルを考える時に、必ず話題になることが二つあります。一つはヒューマンエラー、もう一つは認知症です。記憶の話を考えるうえで認知症は様々な話題を提供してくれますが、脳の疾患という側面が強いのも事実です。そこで認知症は別の機会に譲るとして、今回は記憶の中身が変わってしまうという事について取り上げます。

記憶のトラブルでは、ある出来事を事実とすれば、記憶している内容が事実とは異なるといった時に起きてきます。誰だって、自分が覚えている内容が事実だと思うでしょうし、そう思いたいでしょう。しかし、記憶は意外に簡単にその内容が置き換わってしまうことが分かっています。

落語の前座話ではありませんが、お使いを頼まれてたばこを買いに出かけた子どもが、タバコ屋に着いて「よいしょ下さい」といった話をご存じでしょう。出かけるときは忘れないように「たばこ、たばこ・・・」と繰り返し唱えていたのですが、小さな溝か水たまりか、何かを飛び越える時に「よいしょ」と言ったところ、そのあとは「よいしょ、よいしょ・・・」に唱える言葉が変わってしまったという話です。たばこだったか別の何かだったか、言葉もよいしょだったか別の言葉だったか、その辺りは私もあいまいですが、このような話だったと記憶しています。

これくらい、人の記憶は当てにならない側面があるわけですね。

記憶が入れ替わる?

似たような点がある二つの出来事、自分の中では別々に記憶していたつもりなのに、いつの間にか中身が同じになってしまっている、そんな経験はありませんか。中身が同じでなくても、何か同じようなことになっていたりとか、中には二つの出来事だったことを忘れて一つの出来事になってしまっている人だって、居るかもしれません。

他の例では、テレビのタレントさんの話が有名ですが、いわゆる「話を盛る」というタイプの人です。それでなくても人伝えの話はだんだん尾ひれがついて話の中身が変わったり大きくなったりするのに、元々の話をした人が少しオーバーな表現をしたために、話がどんどんおかしくなっていったというような例です。最初に話題を提供した本人は話を普通に紹介したつもりかもしれませんが、普段から話を盛るタイプだったので、自分でもしゃべった内容の方を信じてしまっている、元々は案外大したことのない普通の話だった、そんな事もあるようですね。


この「話を盛る」ということ、インターネット上のあるサイトでは、「人の関心を引く事で自分の存在意義や存在価値を高めようとする傾向がある」と書かれていました。誰でも、びっくりするような話を聞けば注意を払うでしょうし、それを伝えてきた人に対して、もっと詳しく話を聞かせてほしいという気持ちになるでしょう。

それはともかく、本人はその出来事を知っているのですが、自分のフィルターを通した時に「話を盛ってしまった状態」で記憶してしまって、それをそのまま伝えただけなのかもしれません。そうすると、その人が言った(つまりその人から聞かされた)「盛った話」がその人の事実という事になります。本人は記憶違いをしているわけではありません。ですが、一つの出来事でもその場にいた人の数だけ事実が存在するという事にもなります。その場に別の人がいて、その人が冷静に見ていたとすれば、盛った話はウソか大袈裟かのどちらかに感じるでしょう。

意見の食い違いがでてくるのは、つまり人のフィルターを通したうえでの記憶だからという事です。人によって解釈や捉え方が違う、加えて時間が経つにつれてその記憶も曖昧になったり形を変えていったりする、記憶違いが揉め事になるのはこういった理由からかもしれませんね。


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