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アルバムに閉じ込めた理由を話そうか


最近、アルバムを作った。

このご時世、写真はケータイで撮ればカメラフォルダに残るし、Google様様でクラウド上にだって残せるし、なんなら好きな人たちと共有できる。いつだって見返せる。
便利な世の中になったよね、本当に。

少しだけ、私の話をしようか。
私の両親はとてもマメな人だと思う。
父は、写真を撮るのが好きで旅先でも日常でもカメラを構えてる印象がすごくある。
母は、父が撮りためていた写真を丁寧に、それこそ私が生まれた時から今までずっと写真を印刷してアルバムとして形に残してきてくれている。
しかも、コメントをつけて。

(余談だけど、遺伝子はすごいなと思う。
私は写真を撮るのが好きだし、変なところでマメだなと思うこともある。結構言葉として大切なことは残したいと思うところとかね。ちゃんと受け継いでるよね、ほんと。)

もしかしたら幼い日の記憶は実はわたしにはなくて、
幼い日の、昔の記憶はアルバムによって記憶だと刷り込まれているものなのかもしれない。
でも、何にせよ、私は結構昔のことを思い返すことができる。
これまでに何度も何度も読み返してきたアルバムだから、
父や、母がどういう瞬間を切り撮って、どんな感情を抱いてきたかまで知ることができる。
私は両親が今まで紡いできてくれたこの家族の物語というアルバムがとても好きだ。

話を戻そうか。
私も一応成人を迎えてから数年経つ。
まぁだから今では大人の年少さんくらいか。
写真は普段からよく撮る方だと思う。
自分がいいな、と思ったものにはシャッターをきりたくなる。
目に残すだけでは飽き足らないのだから強欲だなとも思う。

いつからか大切な記録はアルバムに残すようになった。
もちろん、私のカメラフォルダの中にも、クラウド上にも今までの思い出はたくさん残っているのだけれど、
やはり両親が私に紡いでくれている宝物の影響だろうか。
特別大切な日々はアルバムとして形に残したくなる。

なんとなく、ふわっと過去の一瞬を思い出した時、
そのアルバムを手に取り
何があって
何を想って
何を感じたか
そんなことを、ページを開いた瞬間
春風のように記憶が舞い踊り
脳裏に再び瞬間を彩ってくれるようなものがいい。

記憶は必ず薄れます。
時には過去を思い出すのもいいと思う。
過去は自分が歩んできた事実そのものなので。

私にとってかけがえのない一瞬一瞬を
詰め込みました。
そして、色褪せないように、閉じ込めました。
少しだけ、私の感情をのせてね。

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