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「私はコミュニケーションができる」と勘違いさせるSNSという「罪」

SNSによって人と人との距離は縮まったが、本質的なコミュニケーションは遠ざかったと思う。

SNSの過剰な発達によって「コミュニケーションが不得手な人」でさえも人と接触できるようになったが、それは「私はコミュニケーションができる」と錯覚=勘違いさせてしまう弊害を生んだ。
そもそも本質的な対人関係の仕組みをわきまえていない人間が、仮想的な環境でコミュニケーションを築くのはリアルより難しい。っていう事実を忘れさせるぐらいSNSというのは社会を変えてしまったということだ。

例えば、ある活動をしていて界隈ではそこそこ知られている「ねこさん🐱」と、SNSでねこさんをフォローする「いぬさん🐶」がいたとする。
いぬさんがどれだけ熱心にやり取りを図ったところで、ねこさんから見たいぬさんは「単なるSNSフォロワー」でしかない。
なぜならばねこさんからすれば、それは、会ったこともない/顔も知らない/友人でもない/支援者でもない/顧客でもない「そもそもよくわからない誰か」だからだ。
ねこさんとしては自分の支援者や顧客が欲しいからSNSをやっているのであって、極端にいえばマネタイズ(あるいはビジネス貢献)しないフォロワーにそこまで価値を持たない。

それでもいぬさんは、SNSでのねこさんとの(一方的な)接触頻度が高くなるにつれ「親しい」と勘違いし始め、いざリアルで会ったときに馴れ馴れしい態度や横柄な態度をとり、おかしな空気を生んでしまう。
いぬさんはねこさんの親しい友人でも上客でもなく「単なるよくわからないフォロワー」のひとりだ。
むしろ「ウザ絡みする奴」と思われていたかも知れない。
正常なコミュニケーション能力が高ければ、いぬさんのような勘違い行動はしないが、そうではない場合がほとんどでそのような結果になる。

さらにここで根深いのが、いぬさんが熱心な顧客や支援者であった場合。
ねこさんからすると顧客または支援者(または勝手のいい金蔓)である。ただし、どれだけ親しくても一線引いた関係で親しい友人ではない。
でも、いぬさんは「これだけ尽くしているのだから」と考えてしまう可能性がある。残念ながらそれも勘違いでしかなく、恩着せがましい一方的な思いだ。
ステークホルダー的関係であるため(トラブルに発展する可能性も含め)、より一層タチが悪いかも知れない。
いぬさんは可哀相な役回りだが、このまま最後まで引き受けてもらおう。

  • 「単なるフォロワー」のいぬさんは、リアルの場で初対面のねこさんに不遜な行動をとってしまった。

  • 「単なる顧客/支援者」のいぬさんは、ねこさんに対して見返りとして過剰な厚遇や特殊な関係を要求してしまった。

本当によくある話だ。

―ほぼビジネス用語である「関係値」という言葉がよく表している。
その関係値が正しく築けず適切な間合いがとれない人(自分の立場をわきまえられない人ともいえる)がSNSの発達で思いのほか増えてしまい、それがリアルの場で問題をもたらす時代になってしまった。

今後、オンラインとオフラインがシームレス化していく世界となるとすれば、より真面目に対人関係という仕組みを考えなくてはいけないだろう。
対人関係を持とうとするとき、ひと呼吸して「目の前の人物にとって、自分は何者なのだろうか?」と冷静に判断できる能力が、これからますます必要になってくる。
もはや「コミュ障だから」とかいって言い逃れは許されない。
好ましいコミュニケーションが「人並み」にできるようにならなければ、どこにも居場所なんてなくなってしまうだろう。

余談だが、方便ではなく本当のコミュニケーション障害ならば、治療やトレーニングでその苦痛は緩和できるので、QOL向上のために恥ずかしがらずに専門医の診断を受けた方がよい。

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