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生天システムと選挙について
仏教学研究 初期・部派の講義はとても有意義で面白かった。その時学んだことから感じたことを書き留めておく。
手塚治虫先生の「ブッダ」を読んだ人はわかると思うのだけど、ゴーダマのような修行僧は生産活動をせずに修行に専念している。なんでそんな生活ができるかというと施設や食事を寄付してくれる人がいるから。
その人たちがなんで寄付してくれるかというと、立派な人にお布施をすることで来世で天界に生まれる=生天できるという考えがあるから。
誰に寄付してもいいわけではなく、立派な人に寄付したらそれだけ果報が大きい。
寄付をして特を積んでも生天が最高で、解脱することはできない。
解脱するためには出家をして修行しなければいけない。
じゃあみんな出家して悟りを目指したらいいじゃないか、となるのだけど、仕事も家庭もあるから出家はできない。自分にはその資質はないかもしれない。
だから出家している人を応援することで徳を積み、解脱できなくとも生天はできる。小さい頃からそう教わっているし、そう信じている。
んなわけねーだろw修行しろや、と思うのだけど、少し引いて見ると現代における代議士システムも似たようなものだなと思った。
社会に対してこうあってほしいという気持ちがある。
でもそれが叶わない。世界はおかしな方に向かっていると感じる。
じゃあ自分が政治家を目指したらいいじゃないか、となるのだけど、仕事も家庭もあるから出馬はできない。自分にはその資質はないかもしれない。
だから出馬している人を応援したり一票を投じたりすることで、世界をよりよくすることに貢献できる。小さい頃からそう教わっているし、そう信じている。
これ1000年後の人類に「んなわけねーだろ」と笑われたりしないだろうか。
そんな事考えた。
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