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法然上人と土井善晴さん

佛教大学は浄土宗の学校なので、開祖である法然上人については必修科目として教え込まれるのだが、やはり教科書に載るレベルの宗教者はハンパないなと感じる。

「南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽浄土に往生できます」ってそれだけ聞くと、そんなわけねーだろちゃんと修行しろよと思ってしまうのですが、その境地まで至るプロセスを知ると、よくその出口を見つけましたねと感服してしまう。

土井善晴さんの一汁一菜に通じるものがあると思っていたら、やはり同じことを考えている方がいるようで嬉しい。というか「一汁一菜は念仏だと思います」と土井さん自身が言っているようなのでどこかで見たことがあるのだろう。

記事のなかでは「自力」「他力」にフォーカスがあたっているが、複雑で高度な修行のあとにシンプルな実践の出口を見つけたところに、生き方のヒントみたいなものがあるように思える。

今は専修念仏に関するレポートを書いているのだけど、頭のなかでまとまったものを文字に落とすのが億劫になってきてこういう雑観を書き記すことに逃げているw


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