落語の夢の噺


寄席には頻繁にいくわけではないけれど、毎回行ってよかったと思うからまた行きたくなる。


昨夜、新宿三丁目は新宿末広亭に行った。
金曜夜、店の外までのんべえがはみ出している飲み屋街新宿三丁目で、珍しく目の前の道に人っ子一人いないところが新宿末広亭だ。
妙に吸い込まれる感覚があって、新宿駅からもちろんここを目当てに歩いてきたのだけれど、見つけた瞬間にすぐ入った。
木戸銭を支払ってもぎってもらって、奥の扉が開く。
扉が開く間に中の黄色い光が漏れてきて、夜なのに日中の感じがして別世界のような、夢の中のような気がした。
幼稚園の頃読んだ「おしいれのぼうけん」や小学生の時みた「ナルニア国物語」では扉を開けると別世界に入り込む。
たしかどちらも最後は夢オチだったと記憶しているが、扉を開けたときのドキドキ、わくわく感がたまらない。。
扉の向こうに別世界が広がっているわくわく感を体験できる場所はそう簡単には見つからないはず。
それが寄席なのだ、と昨日気づいた。


夜なのに日中のような寄席という空間も夢の中のようだが、落語を聞くという体験も夢の中のような出来事である。
噺家が袖から出てきて世間話を始めたと思ったらいつの間にか落語の導入部分になっている。
これは寝付いてからいつの間にか夢が始まる感覚と似ている。
それに、落語と夢ではスポットライトが当たる世界が似ている。自分と自分に関係がある人だけにしかスポットが当たらず、周りが妙に静かになっている感覚、意識を飛ばさないとその世界はずっとないままになっている感覚?が落語と夢で似ていると思う(鬼滅の刃の魘夢戦での夢の中も自分の半径少ししか世界はなく、その半径から出ると無の世界が広がっていた)。


夢のような落語を聞いていると、あることに気づいた。
古典は現在にも通じているといわれるが、落語における店の主人⇒1番番頭⇒2番番頭⇒下っ端のような身分が私がいる建設業界にも通じているのだ。建設でよくいう元請けから下請けさらに下請け、のようにピラミッド型に発注される体制だけでなく、各々のキャラクターまでそっくりなのだ。

現場の所長(私の教育担当)⇒現場監督員(複数人いてうち一人が私)⇒番頭(施工業者の監督員、作業はしない)⇒職長(施工業者の作業する中のリーダー)⇒職人⇒下っ端(新人)。
のような体制になっている。

しっかりものの所長、現場の経験にたけた現場監督員、作業のいろはを熟知した番頭、番頭や職人が時にどなって指導をするが本人はのほほんとして反省してなさそうな下っ端、キャラクターが落語の登場人物すぎておもしろい。
噺家の顔が職人さんたちに見えてくる瞬間もあった。
新入社員になって初めて行った寄席はまた新たな視点で噺を楽しめた。


夢のような空間の寄席で夢のような落語を聞き、仕事終わりなので本当にうとうと眠ってしまっていて目を開けてもまだ夢の中みたいだった。どう切り取っても夢の中だと思えた。

今回もまた寄席に行ってよかったと思わせられた。また、眠りに行きたい。


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