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ベーシックインカム導入は悪くないかも

挨拶

 ベーシックインカムと呼ばれる仕組みに対し、長い間懐疑的な見方をしていた人(私)が考えを改めるに至った経緯です。

そもそもベーシックインカムとは

 ベーシックインカムの定義として、国民の最低限の所得保障を政府が一定額のお金を定期的に支給する政策です。過去に景気対策として定額給付金が支給されたこともありましたが、ベーシックインカムは定額給付金を毎月の頻度で支給する仕組みと考えてもらって問題はないと思います。

ベーシックインカムに対する先入観

 内心どこで日本で話題になった「銭ゲバ」的な金を得る為に何でもする様な状態や「家なき子」の「同情するなら金くれ」のドラマシーンのような先入観に囚われていました。他にも感覚として、何も知らない人がいきなり「毎月何もしなくてもお金を配るよ」と声をかけられたら、怪しいビジネスだと認識し、その場を去るのに近い感覚も持っていました。加えて、政府が国民の財産権の実権を握っているようで、どこか共産主義国の雰囲気まで感じてたので、感覚的な部分から先入観だらけでした。

税の再分配システムに疑問を懐く

 税金は国家システム維持の為に必要ですが、その使い道に度々疑問を懐くようになりました。社会基盤を維持する為にそれ相応の人員と資金がなければ、維持は出来ないことは誰しもが同意できると思います。ただ、社会基盤を支えるだけでなく、本来は民間の仕事であるはずの分野にまで税金が投入され、資金活用の最適化を阻害している状況にあります。率直な感想として、たくさんの税金を徴収し、最適化プロセスを怠る事業を自ら作った上、底なし沼に税金を投入する様は正気とは思えないです。これなら、いっそのこと金を直接配った方がまだマシでは?と思う場面も増えた頃にベーシックインカムの仕組みを改めて見直すことにしました。

お金を溝に捨てるか・お金を配るかの違い

 政府がお金を溝に捨てるのは容易です。低リスクで税金で調達した資金を国民に気づかれないように無駄遣いをすれば、いいだけなのです。政府の役人の感覚としてはへそくりをためてる感覚なのかもしれません。しかし、溝に捨てられたお金は直接的に帰ってくることはありませんし、仕組みを作る側もバレるリスクを背負ってます。
 逆にお金を配るのは難易度が高いです。額の大きい政府支出は財務省が阻害することがしばしばある為です。近年、大災害が連発して起きているのに赤字国債発行をして国民を救う常識的な行動に待ったをかけたように財務省は額の大きい支出は躊躇する性質を持っています。その財務省というハードルを越えたら、後は政府と国民の間でWin-Win関係になります。国民は政府から支給されたお金を使い、冷え込んでいた内需を活性化させ、政府は内需回復を国民に知らせ、次の選挙で勝つ伏線を張れます。

市場のお金の流れ増加で新規事業も増加

 本当にお金を必要としている世帯では生活維持の為にお金が使われえることになりますが、余剰金として出てくる世帯では使い道として様々な使い道が検討されると思われます。余剰金が発生する世帯ではより頻繁に外食したり、いつもより高い買い物がしやすくなることが挙げられると思いますが、中には投資という選択を選ぶ人が増える可能性があります。投資が増えると企業が活動する為の資金調達もしやすくなり、新規事業のチャレンジも今よりしやすくなり、雇用も増やせる好循環を作れる可能性があります。投資という言葉を毛嫌いする人でもクラウドファンディングならという人もいると思われますが、似た状況を作れること点では大きな差はありません。

課題

 ベーシックインカムの大きな課題として、財源確保と財務省の説得が課題として残っています。ある記事ではベーシックインカムの財源確保を実現する為には消費税を50%まで上げなければいけないという狂気のシナリオが書かれた記事がありました。しかし、実際は既存の歳出財源で必要性が疑わしい内容や公務員の数を半減させ、官僚の天下り先企業のレントシーキングを無くせば、財源は確保できると思います。ただ、政府の意思がそんな思い切った改革を出来るかはわかりません。

まとめ

 ベーシックインカムに対し、偏見の塊だった人が徴収された税金が溝に捨てられる様をみて、国民に配った方がいいのでは?と考えるようになり、ベーシックインカムを見直す過程で様々なメリットがあることを発見することになったという話です。

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