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目には見えない「思い」に育まれ、生かし生かされている。

「ベーコンエッグが食べたい」
その日の朝、めずらしく母は朝食のリクエストしてきた。
出されたものは基本何でも食べるし、わがままを言わない母。
朝はだいたい、前の日の残り物で簡単にすませていた。
だから私は心の中で一瞬、「めんどうくさいな」と思ってしまった。
けれども、なぜかいつもよりも美味しそうにベーコンに焼き色が付いて、卵もちょうどいい頃加減のふわとろに仕上がった。

その日は母が病院に行く日だった。
近くの大学病院で、もうかれこれ17年も同じ先生に診ていただいている。
診察の前に採血といくつかの検査があってあって、ようやく診察室に呼ばれると振り向きざまに先生が一言「入院ですね」と。

そこからは手際よく手続きが進められていった。
最後に看護師さんから
「コロナなので面会は禁止です」と告げられた。
「えっ?」 目を丸くして母と見つめ合ってしまった。

「先生は2週間くらいの入院って言ってたから大丈夫だよ」
そんな言葉しか言うことが出来なかった。
人一倍寂しがり屋の母にしてみれば何の慰めにもならなかっただろうに。
情けないけれど私はいつでも自分中心のことしか言えないのだ。

コロナ禍で外出することを嫌って、
歩き方があやしい感じになってきたな、とは思っていた。
食が細くなってきたな、とも思っていた。
思っていたけれど、歳相応なのだろうと
私はさほど気にとめていなかった。

いつだって私は目の前のことをしっかり見ていないんだ。
もっと、その奥にあるものをしっかり感じ取れ!
過去の自分にそう言ってやりたい。

母が入院してからしばらく経って、病院から呼び出された。
思っていた以上に深刻で治療の選択肢はないと言われた。
帰り際、許可をもらって病室まで行くことができた。
母は、びっくりするくらい痩せ細っていて、しかも
寝たきりになってしまっていた。

懸命に話しかけてくる。けれども声がかすれていて
ずっとひとりでいたためか、ろれつが回らなくなっていた。
何を言っているのか分かってあげられない・・・。
せっかく会えたというのに。
人はこんなにも変わってしまうのだろうか。
点滴をしていただいて、24時間看護していただいていても、そこはどうすることもできないということだ。
虚しくて、悲しくて、どうすることもできない自分が情けなくなった。

それからまたしばらくして再び病院から連絡がきた。
会わせたい人がいたら今のうちに連絡しておいてください。
そう告げられた。

小康状態は1週間続いた。
母はもう目を開けることもなかった。
私は、子どもの頃の事をいくつもいくつも思い出していた。

言いつけを守らなくて諭された日のこと。
母に抱きついて泣いて謝っていた私。
そのとき母は使い込んだ白いエプロンをつけていた。
泣きながら顔を押し付けたエプロンは、お日さまのにおいがした。
頬に触れたときの柔らかな心地よさを今もはっきりと覚えている。

そういえば、母が怒った声は記憶にない。
そうだ、母は怖いひとではなかった。
優しい母との思い出ばかりが、次々とあふれ出てきた。

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最期の時が迫っていた。
目の前で看護師さんが何人も出入りしていた。
「テレビでもこういうシーンあったっけ」
そんなことを思いながら平静を保とうとしていた。
モニターの数値が下がりはじめて警告音がうるさく鳴り続ける。

私は母の手を握っていた。
皺だらけのやせ細った、ちいさな手。
この手、この小さな手、そして母の思いが
私を育んでくれたんだ。
そんな当たり前の事に今更気づくなんて。。。

「ありがとう、ありがとう」
私の口から衝いてでた言葉はそれしかなかった。

「ほんとうに感謝の思いしかないよ」
どれくらいの時間だっただろう。
ずっと「ありがとう」と言い続けていた。

するとそれまでずっと眠ったままだった母が
ゆっくりとまぶたを開けた。
私の姿をとらえると母の目に涙があふれた。
そして静かに目を閉じ、息を引き取った。

私は恵まれていたに違いない。
コロナ禍、日本中が世界中の医療機関が、対応に追い込まれている中で、形の上ではしっかり看取ることができたのだから。

しばらくして何度目かの緊急事態宣言が発出され
その病院でもクラスターが幾度となく発生したことがニュースにもなった。
きっとその状況では手の温もりを感じながら家族を看取ることは出来なかったかもしれない。


けれども母の葬儀を終えてから私の日常が一変してしまった。
自分が生きているのか、どうなのかさえ分らない。
そんな感覚に陥ってしまった。
眠れない、食べられない、外出が億劫、入浴も面倒。
部屋があっという間に散らかり、床には物があふれていった。
ああ、ひとはこうやってセルフネグレクトになっていくのかと理解できた。

今、哀しみを心に抱えて生きている人はどれくらいいるのだろう。
コロナ禍で世界中では尋常でないほどの
多くの人が苦しみを経験し、心に哀しみを抱えたままでいる。
それだけではない。天変地異ともいえる大規模自然災害が世界中で起き続けどれ程の人たちが大切な存在を失っているのだろう。

肉親を看取るという、人生の中で誰もが経験することでさえ
心にも身体にも大きなダメージを与えるというのに。
今、複雑化した社会構造の中で多くのひとがー、
大人だけでなく子どもたちも
心を病んでいるのだと思う。

目に見えないけれど確かに存在している私たちの思い。
自分のマイナスの思いが自身の健康を害するように、周囲へも影響を及ぼして、消え去らないのと同じように、今社会に蔓延している多くの人びとの負の思いは引寄せ合い共鳴し合い大きく膨らんでいっているように感じられる。

そのエネルギーが、様々なカタチを成して因果応報のように、私たちの元に返ってきているのだと思う。

世界中が直面している様々な現象にも、全て元になる原因があって結果としての現在なのだろう。偶然や突発的に不条理に人びとの人生がもてあそばれているのではないのだと思う。
こんなに混乱している世の中だからこそ、そこから大切なことに気づいていくことができると信じている。人は追い詰められないと真剣に自分自身を顧みることはできないものだから。

誰もが、「思い」により育まれて、支えられ、そして
お互いに生かし合っている。そのことを見失いがちな今という時代なのかもしれない。

それぞれが身を切るような経験をして初めて
当たり前の事がほんとうは当たり前ではなくて
有難い恵みであったことに気づいていくことができる。

すべてのことに感謝もって、向き合っていくことができたなら
きっと誰にとっても恵みにあふれた世界であると、自分の人生は
幸せな喜びにみちたものであると、誰もが気づいていくことができる。
その狭間に私たちはいるのだと思う。

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