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ものづくりの向こう側

最近お金について書くことが多いミカモです。
それはなぜかというと、お金があることで
大切なことを忘れてしまっていた自分に気づいたから。

今回の記事は、ほぼ思い出話し。
長いです(^^;;

子どもの頃、私の身の回りには母の手作りの品がたくさんあった。

ウチは裕福ではなかったので、兄のお下がりを着ることも度々あった。はじめは男の子用の服を着るのは恥ずかしいと思った。

けれども母は必ず小さな刺繍をしてくれたり、アップリケをつけてくれた。
襟元の小さな刺繍は、世界でたった一つの
私のためだけの「特別な宝物」になった。

小さな刺繍に母の愛を感じていた。
ひと針ひと針、私のために縫ってくれた。
その事が母に愛されているという喜びを与えてくれた。それは自信にもつながったし、恥ずかしさを吹き飛ばす強烈なパワーがあった。

夏の楽しみは、母とお揃いの生地でワンピースを作ってもらうことだった。

近所の洋裁店には、たくさんの布地や、ボタン、かわいいリボンにテープ、色とりどりの糸、綺麗な織り柄のブレードが並んでいた。

この生地にこのボタンを合わせて、このリボンで飾りをつけて、、。見ているだけで自然と洋服が頭の中に浮かんできて、ワクワクした。
もちろん、そんな贅沢な服はつくってはもらえなかったけれど。

買うのはいつもお値打ち品の生地。
でも大好きなお母さんとお揃い。
そしてわたしのワンピースの胸元やポケット口には、端切れで作ったリボンをつけてくれた。

ある時は、ポケットのステッチが3本も入っていて、その手触りがとても好きだった。
そのことを母に言うと
「まあ、そんな細かいところが気に入ってたの」と、嬉しそうに笑っていた。

冬には編み物が登場した。手編みのマフラーや帽子、カーディガン、セーター、母は器用に何でも編んでくれた。
花の柄をリクエストした時には、チューリップの透かし模様の入ったカーディガンを編んでくれた。

背丈よりも長いマフラーが欲しいと言えば、本当にミカモの身長よりずっとずっと長いマフラーを編んでくれた。
首にぐるぐる巻きにして凧揚げをしたなー。

私は、母の手づくりの洋服たちに囲まれて、いつも幸せだった。
母はそんな私を見て喜んでいた。


私は、小学4年生で初めて自分のスカートを作った。高校生の頃にはブラウス、ワンピース、ジャケット、パンツ、、。
型紙の作り方の載っている洋裁雑誌を見ながら何でも作れるようになった。

社会人になってからは、母のためにブラウスやジャケット、コートを縫った。
母は身体を壊して手術してから、体型に歪みが出てしまい既製服だとサイズが合わせられなかったのと、私も作るのが楽しかったから。
家事をする時に、こんな感じが便利だからと袖口のデザインに注文が出ることもあった。

ある時、初めて立ち寄ったお店で素敵な生地を見つけた。大きめの花柄のジャガード。花びらが幾重にも重なって華やかだけど色味は渋いダークブラウンなので派手すぎず上品さがある。
ノーカラージャケットにしたら母に似合うだろなと思い、迷わず購入した。

丁寧に丁寧につくっていった。
大ぶりのボタンをアクセントにした。
ポケットもしっかり作った。

母に渡すと

「まあ、こんなに綺麗な服を、いいのかしら。
ありがとうね。大事にするわね」

贅沢を知らない母はとても喜んでくれた。
私も嬉しかった。

母は言葉の通り大切に着てくれた。
母が着てくれる度に私は嬉しかった。
本当に大切にしてくれていることが分かったし、丁寧に扱ってくれる姿も嬉しかった。

もしかしたら、母もこんな思いで、子どもの頃の私を見ていたのかな。喜んで着ている私を見て、次はどんなワンピースにしようか、そんなことを考えていたのかな。

結局、母は亡くなるまでそのジャケットを着てくれた。こんなに大切にしてくれるなんて。
あの時、作って良かったと心から思った。

母は、私にものづくりの原点を教えてくれた。
相手のために心を込めて作ること。
細部まで手を抜かないこと。

そして、誰かのためを思って物をつくる時に、そこには、見返りを求めようなどという気持ちなど全く湧いてこないということも。

何故なら、ありがとうの一言が喜びとなり自分の幸せにつながっていくと実感しているから。

更に母は、使う側の姿勢も見せてくれていた。
目の前の品物は単なるモノではなく、作り手の思いも一緒に感じ取って感謝を忘れないこと。そして、自分のために作られた大切な品として丁寧に扱うということ。


そんな宝物のような時間を経験していたのに、今の私は、一体どうだっただろうか。
さまざま物を安価で気軽に手にすることができるようになった今、安いからという理由で、扱いが雑になってしまったり、あっさり手放してしまうことを私はしていたのだ。

自分のために心を込めて作られた品物であったら、簡単に捨ててしまうことはしないのに。
値段に惑わされて品物に対して勝手な価値基準をつけてしまっていた。

ファストファッションのように、売り上げ重視で大量生産、大量消費を生み出し、耐久性に乏しくて使い捨てのように扱われてしまう洋服は
世界のあちらこちらで土壌汚染、海洋汚染を招くほどの量になっているけれど、
それらは、私たちの今の価値観が原因となって生み出された結果でもあると思うし、私もその原因の一部になっていた。


そんな私のことを母はどう見ていただろう。

目の前の品物を、単なるものとして見るのをやめよう。その向こうにいる作ってくれた人たちのことを想像して、感謝して使っていこう。

母は亡くなってもまだなお、私に大切なことを教えてくれる。お母さんありがとう。

今日は長くなりした。

最後までお読みいただきまして
皆さま大変ありがとうございました。


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