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『64(ロクヨン)』ノート

横山秀夫著
文春文庫(上・下)

 ミステリー小説分野における数々の賞を受賞した作品であり、これまで多くの書評が書かれていると思うが、再読してあらためて素晴らしい作品だと思い、取り上げた。

 もちろんミステリー小説のジャンルに入るのだろうが、筆者は警察小説として読んだ。
 警察という組織における刑事部門と公安部門の対立がよく取り沙汰される。たとえば、2010年3月10日に公訴時効を迎えた國松警察庁長官狙撃事件(1995年3月30日発生)とオウム真理教との関わりについての両部門の見解の相違と捜査手法などにおける対立はマスコミを賑わせた。

『64(ろくよん)』という一風変わったタイトルは、年号と関係する。
 昭和64年は、昭和天皇の崩御によって元旦から僅か一週間で終わりを告げ、1月8日からは新元号「平成」になった。
 このわずか一週間のあいだにD県警管内で7歳の少女が誘拐され、身代金を要求され殺害される事件が起こった。
父親は身代金を準備して、それを誘拐犯に引き渡すために車で指定場所に向かうが、警察の手配にもかかわらず土地勘のある犯人にあちこち振り回され、最終的には現金が入ったトランクを橋から川に投げ込むように指示され、まんまと現金を奪取されてしまう。

 この事件の初動捜査に加わった捜査一課特殊班捜査係の三上――筆者は映画も観たので、読んでいる間も主役を演じた俳優・佐藤浩市の顔が浮かんできて仕方がなかった――も現金を運ぶ父親の車を追尾していた。

 D県警は平成になった世の中で、この事件を「ロクヨン」という符丁で呼んで解決を目指していたが、確たる情報もないまま14年が過ぎ、捜査本部は専従班に縮小されて、名前だけの継続捜査となっていた。

 平成14年、刑事部捜査二課次席まで出世していた三上は、突然警務部への異動を命じられ、広報官に任命される。生粋の刑事である彼は2年で刑事部に戻るつもりで仕事に邁進し、市民に開かれた広報室を目指すが、上司である赤間警務部長からは、広報部は上が決めたことを伝える窓口に過ぎず、自分で考える必要はないと忠告され、三上もある理由からそれに従わざるを得なかった。

 三上には高校生の娘・あゆみがいたが、あゆみは父親と似て醜いと思い込んでいる自分の顔と美しい母の顔を憎むようになって、学校にほとんど行かなくなり、ついには部屋に引きこもるようになってしまっていた。
 母親の美那子は娘にカウンセリングを受けさせるなどして、状態は徐々に良い方向へ向かっていると思っていたが、整形を反対されたあゆみは所持金もほとんどないままに家出してしまう。

 赤間警務部長はその権限を使って、三上の娘のあゆみの捜索を全国の警察に指示をしてくれた。そのことに三上は感謝するが、事あるごとにあゆみの件を持ち出し、好意を装って自分の意に従わせようとする赤間の言動に、三上は苛立ちを覚える。
 そして妻の美那子は、自宅にかかってきた再三の無言電話があゆみからのものではないかと気に病み、再びかかってくることを期待して、引きこもり同然になってしまうのだ。

 その頃、時効間近の「ロクヨン」について警察庁長官が視察に訪れることが決まり、被害者遺族宅への長官の弔問の了承を取って来るよう赤間から命じられ、三上が被害者宅を訪ねると、父親は長官の慰問をやんわりと拒否をする。
 14年経っても事件を解決できない警察への失望と怒りが父親をそうさせたのかと三上は考える。

 同じ頃、主婦による交通事故が発生し、加害者は県公安委員の娘とわかり、県警は加害者が妊娠中ということを理由に氏名を公表しないことになった。
このことで広報室長の三上は、記者クラブと上司の警務部長の板挟みになり、記者クラブからつるし上げを食う。

 さらに警察庁長官のD県への視察の裏に、D県警本部における地元たたき上げの刑事の最高ポストである刑事部長の職を、警察庁幹部の指定席にするという思惑があり、それに抵抗する刑事部による警務部の不祥事の暴露の動きも重なり、広報部と記者クラブの対立は益々深まるばかりであった。三上は、解決の糸口も見出せず苦悩する。そして、お前はどちらの側に立つのかと双方から疑われ、責められる。

 警察庁長官の視察を前にして県警内の混乱の中、市内で誘拐事件が惹起する。誘拐された女性の日頃の行状から、事件は狂言ではないのかとの疑いもある中で、長官の視察はこの事件のために中止となる。警務部が、この事件は刑事部の陰謀ではないかと疑うタイミングでの事件であった。
 しかしこの事件は、「ロクヨン」の被害者の父親と、事件の初動捜査でのスタッフの不可抗力の失敗を、スタッフに責任をすべて押しつける上司の姿勢に疑問を感じて辞職した元刑事が協力して、意表を突く方法で「ロクヨン」の犯人をあぶり出すための事件だったのである。

「ロクヨン」の被害者の父親は、犯人は市内に住んでいて土地勘のある男と確信し、事件のあと公衆電話を使って市内電話帳の〈あ行〉からひたすら電話をかけ始める。男性の声を聴くために、女性が出た場合は、何度もかけ直した。三上の家に何度もかかってきたのは彼からの電話であった。三上の妻が電話に出たときは、無言で切っていたのである。

 唯一犯人の声を聞いている父親は、声をもう一度聞けば必ず分かると確信しており、電話をかけ続ける中で犯人とおぼしき男を電話口でついに突きとめた。

 警察庁長官の来県前に起きた事件は、「ロクヨン」の犯人とおぼしき男の娘があまり家に寄りつかないことを利用して、誘拐のように見せかけ、「ロクヨン」の事件で自分が振り回された道順をそのままなぞって、その男を焦らせ、いわばその行動で自白させるのだ。

 これは単なるミステリー小説にはとどまっておらず、警察内部の上司と部下、同僚との人間関係、広報部員と記者クラブの記者たちとの軋轢、そしてさまざまな家族の関係や心理状態などが細やかで丁寧に描かれた作品である。
 さらに主人公・三上の人間として、また警察官としての矜持と葛藤、少し不器用な生粋の刑事としての生き様が随所に感じられ、主人公以外の登場人物の一人ひとりの性格も際立って描かれており、意表を突くストーリーの展開も斬新で、再読してもなおもう一度味わいたくなる作品であった。

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