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『クライマーズ・ハイ』ノート

横山秀夫著
文春文庫


 二週続けて同じ作者の本を取り上げる。

『64(ロクヨン)』を再読して、『クライマーズ・ハイ』を思い出し、本棚を探したが見つからず、結局2冊目(だったらいいのだが…)を買った。

 舞台は群馬県。主役は地元紙の一つである北関東新聞社に勤務する遊軍記者の悠木和雅。40歳になる最古参の記者である。

 物語は、779人の命を奪い、世界有数の魔の山と呼ばれる谷川岳の衝立岩という難所を、悠木の登山仲間であった安西耿一郎のひとり息子である安西燐太郎と挑戦する場面から始まる。

 この日から遡る17年前の昭和60年8月12日、航空機の単独事故として最大の犠牲者を出した日航機123便の墜落事故があった。

 この物語は、昭和60年の日航機墜落事故に直面して、地方新聞社独自の紙面作りに取り組む社内の喧噪と葛藤、記者たちの迫真のやりとりなど新聞をつくる現場のリアルな描写が続くが、17年後の麟太郎と悠木の衝立岩登攀の場面が時おり挟まれ、今と昔を行きつ戻りつしながらの悠木の複雑な心理描写が続く。

 悠木は、家庭では息子との関係が思うように行かず、仕事では入社したばかりの部下の望月記者を死に至らしめたという自責の念に駆られており、そのことが原因で望月記者の従妹からは恨まれ、のちのちのトラブルのもとになる。

 悠木は社内の登山サークルに所属しており、燐太郎の父親で同じサークルの会員である安西耿一郎から谷川岳の衝立岩登攀に誘われた。耿一郎は悠木が及びも付かないような登山家であったことがあとでわかる。

 耿一郎とは早朝の待合せを約束していたが、出発前夜に日航機事故が起きて約束を果たせなくなった。しかし、安西もまた待ち合わせ場所には行っていなかったのだ。前日の深夜、町なかで意識不明の状態で発見され、病院に運ばれていたのだ。医師の診断はくも膜下出血による〈遷延性意識障害〉であった。

 悠木は見舞いに行ったが、耿一郎の眼は開いており、瞬きはしていても、こちらの呼びかけにはまったく反応しない状態であった。

 ベテラン記者の悠木は、編集局長から、この墜落事故の全権デスクを任され、最後までこの事故の面倒をみろと指示される。

 日航機の墜落地点が長野県か群馬県かまだはっきりしないうちは、群馬県の地元紙としての北関東新聞社全体として、本気でこの事故の報道に取りかかることにためらう空気がみられたのだが、墜落現場が群馬県内と確定した以後は、全社体制を組んで、悠木の希望で25人の記者をこの事故の取材にあたらせることになった。しかし、通信社の配信記事を極力使わず、地方紙独自の記事と墜落事故優先の紙面にこだわるあまり、悠木は編集部内だけでなく広告局や販売局との新たな軋轢も生んでしまう。

 しかもその対立は、編集対営業部門、社長派対専務派、さらに福田派か中曽根派かという政治的な対立まで社内に持ち込まれ、より問題を複雑にしてしまうのだ。

 編集局内の日航機事故に関する紙面の打合せでも、悠木は、現場で他者を圧倒するというのが80年変わらぬ北関東新聞社の伝統のはずだと主張し、通信社の記事で安易に埋めることはせず、できるだけ自社の取材記事を主体にするという方針を貫く。そして現場雑感の連載記事は必ず自前でやり抜くという方針を決めた。

 夜を徹して現場に辿り着いた佐山記者の原稿を、降版の締切時刻を遅らせてまで待っていたが、連載第1回の記事は掲載されなかった。輪転機の故障で降版時刻を繰り下げできないことを、ある意図を持った人間が悠木だけに知らせなかったのがその原因であった。

 必死の思いで電話送稿した佐山は記事が掲載されなかったことに激怒し、日頃から尊敬している先輩記者の悠木に悪態をつくが、自分自身も忸怩たる思いを抱えた悠木は、佐山にお前が書きたいだけ書けと提案し、佐山は受け、御巣鷹山の墜落現場で見てきたことを思いのたけ書いて落ち着くのだ。

 さらに、事故原因らしきものを耳にした部下は、それを悠木に報告するが、慎重な上にも慎重に確実なウラをとるように指示をしたことで、結局全国紙に抜かれてしまう。掲載見送りは妥当な判断だという記者も多かったが、必死の思いで情報を集めて書いた部下からは非難され、上司は掲載見送りを批判して悠木を無能呼ばわりするのだ。

 ある日、亡くなった望月記者の従妹が社を訪ねてきて、自分が書いた原稿を「こころ」の欄に載せてほしいと頼まれた。負い目のある悠木は必ず載せると約束してしまう。その内容は、どの命も等価だと言いつつも、メディアの側が人を選別し、命の重さや軽さを決めてしまい、その価値観を読者に押しつけてきたことを批判する内容であった。

 偉い人の死と市井の人の死、かわいそうな死に方とそうでない死に方――悠木は、安西の見舞いに病院を訪れたとき、待合室のテレビでは日航機事故のニュースがひっきりなしに流れており、それをみていた老婆のつぶやきを思い出したのだ。「あんなに泣いてもらえればねぇ」――自分が死んでもあれほど悲しんでくれる人はいないことを知っている人間の一言が胸に刺さっていた。

 多くの乗客が命を失った事故の報道の最中に、このような内容の投書を載せることは問題だという社内の抵抗を押し切って、悠木はこの投書の掲載を決めた。

 幹部が心配したとおり、購読を止めるなどの抗議電話が殺到したが、事故の遺族からの抗議は一件もなかったのが救いであった。しかし、編集局に乗り込んできた社長から会社を辞めるか、山奥の通信部に行くかの選択を迫られた。社を辞めようとした悠木は同僚や後輩から辞めるなと説得され、草津の通信部に転勤することを決め、記者としての仕事を続ける。

 前代未聞の航空機事故に直面した地方新聞社における紙面作りの描写と、それに絡む人間関係などのサイドストーリーが大きな流れに収斂していくところにこの作品の醍醐味がある。



57歳の悠木といまや地元山岳会のエースである安西燐太郎は、みごとに衝立岩を完登した。この登攀中に悠木は、燐太郎のひと言を通して息子の淳の本心を知り、安堵するのだ。



タイトルの〈クライマーズ・ハイ〉は、山登りの時に、登山者の興奮状態が極限に達し、恐怖感が麻痺してしまう状態のことをいうのだが、これは悠木が日航機の墜落事故に直面し、地元紙の社会部記者としての本分を全うしようと、上司の社会部長だけでなく、最後は社長にまでたてつき、自分の考え方を通そうとする悠木自身の記者魂の興奮状態と二重写しになる。

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