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『高倉健、最後の季節(とき)』ノート

小田貴月著
文藝春秋社刊

 著者の小田貴月(たか)は、2014年11月に亡くなった俳優・高倉健の事実上のパートナーである。戸籍上は養女となっており、現在は高倉プロモーションの代表取締役である。ちなみに高倉健の本名は小田剛一である。
 前著には『高倉健、その愛』があり、この本は2冊目である。

 筆者は「幸せの黄色いハンカチ」、「鉄道員(ぽっぽや)」と「あなたへ」の3本しか観ていないが、観た映画はどれも印象的で、任侠映画の主役を張ってきた俳優とは思えなかった。

 著者の小田貴月が養女になったのは、高倉健からの提案だった。著者の母親が病気になったとき、親族でないと病状とか、これからの治療方針とかを説明してもらえないことに高倉健が気付いたことがきっかけだったようだ。一方で、結婚するとなると高倉健に俳優稼業の私生活に関するこだわりがあり、躊躇するなかで養女という話になったと書かれている。
 しかし、高倉健が病気になり、何度か入院を繰り返すたびに、万が一の時のためにと日付と自分でサインをした婚姻届を著者に渡していたそうだ。よく考えると、彼が亡くなってしまえば、その婚姻届は提出しても無効であり、万一の時には役には立たないが、高倉健の著者に対する愛情の表れであったろう。

 この本は2014年の正月から始まり、2月の病の前兆とその後の幾度かの入退院の繰り返し、そして11月10日の高倉健の逝去の前後のことが書かれている。それに3つのコラムと高倉健の最後の手記も収められており、随所に高倉健の人柄と生き方への姿勢がにじみ出ている。

 コラムを読むと、病院へのお見舞いに対する考え方や亡くなった人への弔意の表し方についての高倉健のこだわりがよくわかる。
 例をあげるとお見舞いについてこのように書かれている。
「僕は、病院に見舞いに行くのは好きじゃない。来てくれって頼まれれば、断れないこともあるけど。人の弱っている姿を見るのは好きじゃないんだ。それに、よく病状もわからないまま、『お元気そうですね』なんて気安いこと言えない。…(中略)…その人との絆は見舞いに行ったかどうか、そんなことで量るもんじゃないって思ってるからね。とにかく、僕は弱っている姿は絶対に見せたくない! 見せるもんじゃないと思ってる。覚えててね。」
 見送り方について――「葬式だって本当に悲しんでいたら行けないんだよ。大勢に人に囲まれながら、気持ちを整理するなんてできない。悼むってのは、違ってていいと思うけど、僕は体裁だけ整えて心がこもってないっていうのが、どうなんだろうと思ってるだけ。」

 また、いい俳優の定義を聞かれたときに、次のように答えている。
「いい俳優って定義がよくわからないんですが、今、ぼくの頭にあるのは、その職業のクラスをアップさせた人ですね。…(中略)…それは他の分野、政治家にしても学者にしても同じですね。」

 17年間人生をともにした著者の、高倉健が病を得てからの献身的な看護と、その著者に寄せる高倉健の愛情と信頼が、高倉健の安らかな死出の旅立ちに繋がったことを思えば、高倉健はまさに人生最良のパートナーに出会ったのだなと感慨深いものがある。

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