見出し画像

オンブラ・マイ・フ〔第6話〕


 ボクは東京に住んでいる徳永先輩の親友に葉書を出した。音楽部の一つ上の先輩で徳永先輩と仲が良かったと前から聞いていて、東京に来たら連絡するようにと住所を教えてくれていた。東京の大学に合格したことと、音楽部の同窓会をこちらでやりたいので、先輩方の住所を調べていると葉書に書いた。
 一週間ほどして返事が届いた。徳永先輩のほか何人かの住所が書いてあり、皆が喜ぶので同窓会の幹事をよろしくと書いてあった。
 徳永先輩の住まいを地図で調べると地下鉄で二駅だったので、次の休みに歩いて訪ねたが不在だったので、用意していた封筒に切手を貼り自分の住所を書いて、用件のメモと一緒に郵便受けに入れてきた。
 数日後、徳永先輩から返信があった。花柄の便箋に青インクで五人の先輩たちの名前と住所が几帳面な字で書いてあった。佐野先輩の住所もあったので、すぐ葉書に転記して結衣子宛に出した。会えたら必ず教えてくれと書こうとしたが、余計なことと思って書かなかった。結果はどうであれ、必ず様子を知らせに来てくれるだろうと思っていた。

 川野君から葉書が届いた。佐野先輩の住所が書いてあった。東京芸大の近くに住んでいるようだった。翌日から連休だったので、川野君にお礼と、連休はどうするのかと尋ねる葉書を書いた。
 二日後に川野君から電話がかかってきた。いつ行くのかと訊かれたので、連休明けに行ってみるつもりだと答え、改めてお礼を言い、明日のお昼頃に部屋に行くからと言って返事を待たないで電話を切った。だめなら電話がかかってくるだろうと思っていた。
 翌日、お弁当を作って川野君のアパートに行った。ノックするとすぐにドアが開いた。お昼を一緒に食べようと思ってお弁当を持ってきたと包みを見せると嬉しそうに受け取ってくれた。お茶を煎れるからと、電気ポットを持って外に出て行った。
 私はもう一つの袋から揃いの湯吞みとお皿付きのコーヒーカップを出して並べていると、それどうしたのと訊くので、川野君は湯吞みでコーヒーを飲んでいたと叔母に話すと、それは可哀相だねと言って持たせてくれたと答えた。彼は、一人の時はちゃんとマグカップで飲んでいるし、結衣子が急に来たから間に合わなかっただけだと言ったので、だったらいらないかぁ、と取り上げる真似をすると、カップを抱える振りをしたので、私は、素直でよろしいと言って笑った。ウェッジウッドという英国製のいい物なので外の台所に置きっぱなしにしないようにと伝えると、カップを持ち上げながら神妙に頷いた。
 佐野先輩の住所を調べてくれたお礼を言うと、ちゃんと会って話をして、どちらにせよ決着を付けた方がいいと言われた。
「どっちでもいいの?」
「どっちでもいいとは言っていないよ」
「三樹夫はどちらがいいの?」
「そんなの決まっているじゃないか」
「じゃ、会いに行かないでいい」
「だめ。ちゃんと会って決着をつけてほしい」
「ほんとにもういいのに」
 そう答えながらも、心の中にはこのまま中途半端な状態ではだめという気持ちもあった。
 おにぎりと簡単なおかずの弁当だったけれど、美味しいと喜んで食べてくれた。
 この前はあんなに自然に触れ合えたのに、今日は何だか照れくさいような、恥ずかしいような気持ちが先行していて傍に寄れなかった。三樹夫の、決着を付けてほしいという言葉が二人の間に小さな壁を作っていたのかも知れない。

 佐野先輩に会うなら早い方がいいと思い、連休最後の日に訪ねた。住まいは芸大近くののマンションだった。〈音大生ご入居受付け中〉の垂れ幕が下がっていた。一階のホールには練習室がいくつか並んでおり、小窓から覗くとピアノが置いてあった。
 エレベーターで四階に上がり、部屋を探した。インターフォンの前に立ってボタンを押した。重そうなドアが開くと同時に、先輩が、結衣子かと言った。
 入るように言われソファに座ると、何か飲むかと訊かれた。紅茶をお願いしますと言うと、どうやってここが分かったのかと訊かれた。私は川野君の名前を出しそびれて、徳永先輩に訊いたと答えた。彼はそうと言っただけだった。
 私は、あれからなぜ連絡をしてくれなかったのかと、できるだけなじるような口調にならないように訊いた。彼は少しの間言い淀んで、私が川野君と一緒に帰るのを見かけて、自分には見せない表情だったので、嫉妬したと言った。ただ、それだけではないとも言った。それ以上は言ってくれなかった。
私が何故東京にいるのか理由を知りたいですか、と訊いた。どこか音大に合格したのかと言ったので、高校を卒業しないまま東京に来たと言うと、何故と訊かれたので、先輩に会いたかったからです、と答えた。彼は深く息を吐いた。何度も芸大の正門前で待ったこともあったし、お家に電話をして住所を聞いたが教えてくれなかったと感情を込めずに話した。付き合ってくれと言われた時は嬉しかったが、その後会うことも電話で話すことも出来なくなった訳を知りたかったが、いまはそれもどうでもいいと思っていると伝えた。
 彼はこれからどうするのかと訊いたので、一度実家に帰って考えるつもりですと答えた。私の今後の事を訊いたのか、今日のこの後のことを訊いたのかはわからなかった。
 川野君とはずっと付き合っているのかと訊かれたので、先輩が思っているお付き合いというのがどういうものか分からないが、普通の意味では、いままで川野君と付き合ったことはないとやや皮肉を込めて答えた。
 先輩の表情がやや鼻白んだように見えた。
 先輩に会えて話せてよかった。これでもう吹っ切れましたと私は立ち上がった。先輩はソファに座ったまま、私の方にも向かずに、申し訳なかったね、と短く一言呟いた。
 私はマンションを出て、心の奥にあったわだかまりを吐き出すように青空に向かって大きく背伸びをした。これから川野君に会いに行こうと思った。話したいことが山のようにあるような気がした。

 結衣子の顔がインターフォンに映った時は、驚きとともに何をしに来たのかといぶかしく思った。恨み言を言われるかと思い、身構えたがそんなことはなく、来た理由を淡々と彼女は話した。何度も僕に会いに芸大の正門で待っていたと聞いた時は驚いた。付き合ってくれと言ったのは決して気まぐれではなかったが、その後会うのを避けていた理由について、嫉妬があったという以外、どう説明すればいいのか自分でも分からなかった。母親に止められたからとは言えなかった。

 卒業する前の年の冬、食事をしようコーチにと誘われたので、隣町のレストランに行くと、コーチの隣に徳永先輩が座っていた。聞いていなかったので戸惑ったが黙っていた。東京での生活のことや、芸大の授業の様子を彼女は話してくれた。コーチは、彼女は君のことを気にかけているので、一度食事をしようと思ってねと言い訳がましく言った。
 大学の近くに芸大生向けのマンションがあるので、いまから部屋を押さえていた方がいいと彼女が言った。自分も近くの同じようなマンションに住んでいるといい、佐野君はきっと合格するから大丈夫と言い添えた。コーチはもう君の母上には話してあると言った。親に話が通っているなら、僕は断る理由がなかった。
 徳永先輩は僕に何かと話しかけてきたが、悪いとは思いながらもあまり気の乗らない返事に終始した。帰り際、徳永先輩は東京で待っているねと、僕の腕に手を置いて言い、コーチと帰っていった。
 朝食の時、母親は正月明けにはマンションの契約に行ってくると父親に報告をしていた。

 僕は東京芸大に合格した。母は大喜びで、引っ越しについてきた。入学式にも行くと言ったが、小学生じゃないからと断った。残念そうな顔を見てちょっと後悔したが、いくらなんでも大学の入学式に母親同伴はいただけなかった。入学式の前の日に帰っていった。

 入学式の翌日の昼前、徳永先輩が訪ねて来た。コーチから部屋番号を聞いたそうだ。コーチは親に訊いたのだろう。ここまで歩いて数分だそうだ。合格と引っ越し祝いを兼ねて、一緒に食べようと大きなピザと赤ワインと手作りのサラダを持って来てくれていた。
 先輩は部屋を見回して、寝室も覗いていた。自分の部屋はワンルームで狭いといい、ここは二人でも十分暮らせるねと誰に言うともなく明るく言った。僕は返事をしなかった。
 僕は何杯飲んでも酔った気がしなかったが、先輩は二杯目を飲み干した後、三杯目には口を付けないまま、いつのまにかソファに横になってしまった。僕はどうしたらいいのかわからず、とりあえず新品の毛布をかけてあげて、テーブルの上を片付けた。
 水がほしいという言葉で目が覚めた。いつのまにかソファに座ったまま寝入っていたようだ。水を持っていくと、先輩が首に腕を回してきたので水をこぼしそうになった。まだ酒臭かった。佐野君は私のことをどう思っているのかと呂律の回らない口調で訊いてきた。僕は返答に困り、大事な先輩ですよと答えると、それだけかと不満そうな口ぶりで言った。僕は彼女の手首を掴んで少し力を入れて外したら、また倒れて寝てしまった。
 彼女がトイレに行きたいと言って目を覚ましたのは六時前だった。トイレに行って、水を飲んだらいくらか酔いが覚めたようだ。何か変なことを言わなかったかと訊くので、別になにも言わなかったと答え、よく寝ていましたねと言うと、彼女は恥ずかしそうにして、幼い表情を見せた。
 彼女の頬にクッションの模様の跡がついていたので、つい頬を触ってしまった。化粧の匂いがした。彼女は嬉しいと呟いて、僕の腕を触り、さよならと言ってじっと僕の顔を見た。先輩の眼は酒のせいかまだ赤かった。
 その後も徳永先輩からはたびたび電話がかかってきて、来るたびに部屋が殺風景だからと鉢植えや小さなサボテンが可愛かったのでと理由を付けてはよく訪ねてきた。いつの間にか、親には徳永先輩と付き合っていると伝わっていた。コーチがそういう報告をしたのだろうと思った。母親は時々電話をしてきて、東京での生活に不便はないかとかレッスンの様子を訊いたあと、必ず温子さんは元気かと訊いてきた。知らないと答えると、照れて言えないのかと勘違いし、笑いながら温子さんによろしく伝えてねと言って電話を切った。否定するのも面倒だった。

 私は佐野先輩を訪ねたその足で、川野君のアパートに向かった。
 私は正座して、佐野先輩の家に行き、ちゃんと決着を付けてきたと言った。川野君はよかったと言って、私の頬を両手で挟んで私の心の中を確かめるようにじっと目の奥を見つめた。唇に触れてくれるのかと思ったが、そうではなかった。温かい掌だった。
 私は、佐野先輩は徳永先輩と付き合っていると思うと言うと、何故と聞かれたので、電話の傍に徳永という名前と電話番号が書いてあったことと、テーブルの上に小さなサボテンがあったからだと答えた。
 私が音楽部に入った時、徳永先輩はもう卒業していたが、ピアノ練習室の一つを自分専用のように使っていたと聞いていて、その部屋のピアノの上に先輩が置いていった小さなサボテンがあったからだと説明した。
 三樹夫は、それでもう私の中で本当に決着はついたのかと念押しのように訊いたので、もう佐野先輩が誰と付き合おうと、どうしようと気にはならないし、私は三樹夫がいれば大丈夫と口に出してからちょっと恥ずかしくなった。彼が顔を寄せておでこに軽くキスをしてくれたので、私は彼にしがみついた。
 私は一度実家に帰って、両親にちゃんと謝って、大検を受ける言ったら、三樹夫はそうした方がいいと喜んでくれた。
 私はよかったらいまから叔母の家に来ないかと誘った。川野君と一緒に食事でもどうかと叔母から言われていたのを思い出したのだ。
 彼は喜んで、奨学金が入るまであと五日もあるので、その間どうして暮らそうかと思っていたと言った。
 地下鉄の駅の公衆電話から叔母に電話をしていまから一緒に帰ると伝えた。もう三人分の食事を準備しているからと喜んでくれた。
 叔母はすき焼きを準備していた。三樹夫は牛肉なんてずいぶん食べていないと大喜びだった。叔母はビールを出してきて、コップを前に並べた。もう大学生だから、ちょっとくらいいいでしょうと三樹夫のグラスに注いでくれた。私は、叔母さんが飲みたいからでしょうと言うと、そうそうと笑って、私にもついでくれて乾杯をしようとグラスを持ち上げた。彼は一口でグラスを空けた。ビールはいくらでもあるよと言って、グラスが小さいかなと二杯目を注いだ。一杯だけで彼の頬がほんのりと赤くなっていた。
 すき焼きを美味しいと喜んで食べ、〆のうどんも二玉平らげた。そんなにお腹が空いていたのかと訊くと、連休にあちこち東京見学に行ったので、お金が底をついて、この二日間は、朝は食パン一枚、夕食はレトルトカレーの、一日二食しか食べていないと白状した。
 
 あれから二年が経った。
 結衣子はあの年の五月末に親元に一旦戻り、予備校に入って、十一月の大検を受けて合格した。そして去年の春、東京の私立の音大の声楽科に合格し、また叔母さんの家でお世話になっている。
 ボクらは月に一、二度は食事をともにしている。叔母さんの家で、もちろん三人で、だ。叔母さんは再来年には教員を定年退職となるので、生まれ故郷に帰ろうか、このまま東京で余生を送ろうかと迷っているようだ。東京には友人や教え子がたくさんいるから寂しくはないけれど、都会で四十年近く働き詰めだったので、故郷でのんびりするのもいいかな、と迷っているらしい。

 佐野先輩は去年、芸大三年生在学中に、世界的なピアノコンクールで入賞し、話題となった。
 結衣子が音大に合格した年の七月に、ボクは先輩達と約束した通り東京で音楽部の同窓会を開くことが出来た。ボクらよりも五年先輩が一番年上で、下は卒業したばかりの後輩も来てくれて二十人集まった。男性は、フォークグループでプロデビュー曲がヒットした先輩四人、ギター教室を主宰し、音大の非常勤講師もしている先輩、ボクそして音大に進学した後輩の七人だった。佐野先輩にも案内を出したが、葉書は宛先人不明で戻ってきた。
 フォークグループの先輩達は、ヒット曲ほか三曲、ギター講師の先輩は『アルハンブラの思い出』と『アランフェス協奏曲』を披露してくれた。徳永先輩は音楽部の同窓会が開けたことを喜んでくれ、次はピアノがある会場でやろうとはしゃいでいた。徳永先輩は東京で音大志望者のためのピアノ教室を開いているそうだ。
 結衣子がフォークを歌いたいと言ったので、ボクはこれまで触ったこともないマーティンのフォークギターを先輩から借りて伴奏をした。最初にパフ・ザ・マジックドラゴン』を歌い、二曲目からはプロの先輩達が入って、『七つの水仙』、『ポートランドタウン』などを歌った。君が僕らのグループに入っていたらもっと売れたのにと結衣子の歌を口々に褒めていた。

 結衣子が卒業したらボクらは結婚することになるのかなと漠然と考えている。というのは、結衣子が音大を卒業したあと、プロの声楽家を目指すのか、どうするか彼女自身がまだ何も決めていない様子だからだ。ボクとしては、彼女の歌の才能をプロになってさらに発揮してもらいたいという気持ちもあるが、これだけはボクが考えてもどうしようもないことだった。結衣子がどう思っているかは正直分からない。でもいまボクらは東京で仲良く過ごしている。
ボクは国家公務員を目指すのか、民間会社に就職するのか、するならどんな職種の企業にするのか、そろそろ決める時期に来ている。
 この時期は高度成長期が陰りを見せ始めていて、民間企業の就職状況がどうなるか些かの懸念もあった。数年前まで人気があった石油会社は、石油ショックの後、石油の埋蔵量があと三十年という研究結果が海外で公表された影響で、一気に就職志望者が減った。大学の先輩達の就職先は、国家公務員の次は、総合商社と都市銀行が二位争いをしていた。

 ボクらの時代は、学生運動は収束しつつあったが、学生運動から派生した過激派が最後の抵抗をしていた頃で、まだ社会が騒然としていた。そして誰もがテロやハイジャックの被害者になるかわからない、突然の不幸がどこにでも転がっていた時代だった。
 しかし、社会はどうであれ、幸せは一人ひとりの心の中にあった。

 ボクの少年期は、周囲から見て決して幸せな境遇ではなかったが、母の内職とボクのアルバイトと奨学金で経済面の課題は何とか乗り越え、いま独り立ちできる一歩手前まで来ている。その頃は自分を不幸だとは思ってはいなかったが、その日暮らし同然で、将来を見据えて何かを目指そうという余裕もなかったように思う。それが今ようやく将来を見つめて、あれこれしなければという所まできた。
 今後のボクの人生がどうなっていくかわからないが、結衣子と二人でこれから歩んでいこうと思っている。もちろん結婚披露宴の時は、ボクがピアノを弾いて、結衣子が『オンブラ・マイ・フ』を歌うことに決めている。

 ボクは今でも結衣子がボクの家を訪ねて来た時のことを思い出すことがある。あの頃は結衣子と格別親しかったわけではなかった。ある時、結衣子にその時のことを訊いたことがある。なぜボクの家を訪ねようと思ったのかと。
 結衣子は、ボクのアパートの天井を見上げながら、しばらく想いを巡らせていたが、「なんとなく会いたくなったからかな」と答えてくれた。恋というはっきりした感情でもなく……会って楽しい友達に会いに行くのでもなく……と言葉を繋ぎながら、懐かしさに引き寄せられたのかなと言って微笑んだ。
 ボクの中に、『オンブラ・マイ・フ』のイントロのゆったりとしたピアノが響いてきた。
              〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?