見出し画像

『あの素晴らしい日々』ノート


加藤和彦・前田祥丈
牧村憲一監修
百年舎刊

 加藤和彦の名前を初めて聞いたのは、ザ・フォーク・クルセイダーズとして初めて大ヒットした「帰ってきたヨッパライ(I ONLY LIVE TWICE)」(作詞:松山猛、作曲:加藤和彦)を聴いたときだ。

 高校時代に受験勉強をしながら深夜放送をよく聴いていたが、その時に流れてきた珍妙な歌声とナレーション、般若心経やビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」、そして「エリーゼのために」のメロディーをコラージュしたようなコミカルだが社会性をもった曲に惹かれ、レコードを買った。
 手元に溝が磨り減ったドーナツ盤のレコードがあるが、〈これが話題のアングラレコード!〉と〈HARENCHI〉と書かれたピンクと黄緑と黄色で描かれたサイケデリックなデザインのジャケットだ。B面は「ソーラン節」だ。値段を見ると370円だった。

 この曲は元々このフォークルの解散記念に自主制作したアルバム『ハレンチ』に収められていた。それがラジオで評判になり、キャピタルレコードがシングルカットして発売したところ、日本音楽市場初のミリオンセラーシングルとなり、283万枚という驚異的な売上げを記録した。

 そのジャケットの裏もお遊びが満載だ。〈使用上の注意〉として、「本品は食べられませんので幼児などの手の届かない所へ保管してください。本品使用直後、他のアーチストのレコードを聞く事をさけてください。お寝み前にはお聞きにならないようお願いします。」(以上原文のまま)と書かれている。

 ライナーノーツも有名な俳優や歌手の名前をもじったりしており、お遊びが徹底している。そもそも「帰ってきたヨッパライ(I ONLY LIVE TWICE)」の英題も、このレコード発売前年の『007は二度死ぬ』(ショーン・コネリー主演)の原題『You Only Live Twice』をもじったものだろう。

 デビュー曲「帰って来たヨッパライ」がミリオンセラーを記録したことで、期間限定で彼らはプロ・デビューした。
レコード会社は、第二弾も同じようなコミックソングで、という意向であったが、彼らはそれに反し、セカンドシングルは、同じく『ハレンチ』に収められていた朝鮮半島の民族分断の悲哀を歌った、北朝鮮の「イムジン河」(日本語作詞・松山猛)をシングルカットした。しかしこのレコードは朝鮮総連や韓国からの抗議で発売中止となった。(本書P54)
 この曲の代わりに「イムジン河」のコードを逆から弾いて即興で作ったという「悲しくてやりきれない」(作詞・サトウハチロー、作曲・加藤和彦)をリリースしたが、いずれにせよ「帰って来たヨッパライ」とはまるで方向性の違う曲であった。

 この本に出てくるが、加藤和彦にとって、「同じことは二度とやらない」というのが最大のモットーなのであった。

 いまも合唱曲として歌い継がれる名曲「あの素晴しい愛をもう一度」(作詞:北山修、作曲:加藤和彦)は、いまでも多くの歌手やグループがカバーし、セッションなどもで歌っている。この曲は、ザ・フォーク・クルセイダーズが1968年に解散した後の1971年に発表された曲だ。この曲を巡る経緯が興味深い。

 「ジョンとポールじゃないけれども、完全僕だけ孤立してたのね。後半は、はしだはもう、僕には言わないでシューベルツを準備してて、きたやまはそっちにずっと詞を書いてたでしょ。フォークル解散の時にはもうやっていた。僕は、まあいいんじゃない、わが道を行くで、僕対二人っていう図式になってしまった。(中略)和解第一弾みたいなのが『あの素晴しい愛をもう一度』。別に喧嘩してるわけじゃないけど、内面的な話で。お互い、言わないけど。」(原文のまま/本書P70~71)

 加藤和彦と北山修に楽曲制作を依頼したレコード会社は、この曲を新人の女性フォークデュオのシモンズに歌わせるつもりだった。

 もともと、この歌は、加藤和彦とミカの結婚祝いとして北山修が贈った詞に加藤が曲をつけたのだという(本書P81)。しかし、自分たちが気に入り、他の歌手に提供するのが惜しくなって、結局、加藤・北山の二人でレコーディングし、シングルリリースすることになった。

 ザ・フォーク・クルセイダーズ時代からのファンは喜んだだろうが、曲を渡してもらえなかったシモンズやレコード会社も内心はおもしろくなかったであろうことは想像に難くない。

 加藤と北山は、「あの素晴しい愛をもう一度」は、のちにサディスティック・ミカ・バンドのヴォーカリストになる福井ミカと加藤和彦の“結婚記念”の曲だったということにしてこの問題をクリアしようとしたのだが、それは完全に後付けの言い訳だったそうだ。

 いままであげた曲のほかにも、加藤和彦作曲でスリーフィンガー・ピッキングのギターイントロが印象的な「白い色は恋人の色」(ベッツィ&クリス・1969年)、ナショナル住宅のCMソングで有名な「家をつくるなら」(加藤和彦・1971年)、資生堂のCMに使われた「不思議なピーチパイ」(竹内まりや・1980年)のメロディーはいまでも耳に残っている。

 2009年10月16日に軽井沢のホテルで自死した加藤和彦は、以下のような遺書を認めており、葬儀の際には参列者に公開された。

 「今日は晴れて良い日だ。こんな日に消えられるなんて素敵ではないか。私のやってきた音楽なんてちっぽけなものだった。世の中は音楽なんて必要としてないし。私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった。死にたいというより、むしろ生きていたくない。生きる場所がない、と言う思いが私に決断をさせた。どうか、お願いだから騒がないで頂きたいし、詮索もしないで欲しい。ただ消えたいだけなのだから…」――1947年3月21日生まれ、享年62歳――

 2013年に刊行された単行本『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』は、版元の出版事業から撤退したため、絶版になっていた。それを再出版するにあたって、『素晴らしい日々』と改題し、〈加藤和彦、「加藤和彦」を語る〉という副題で刊行された。

 おりしも、ドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』が先月末に公開されたというネット・ニュースをみた。
 最後まで読んで分かったが、この映画の公開に合わせて、この本の再出版ということになったようだ。(本書P304「二〇二四年の再出版に寄せて」前田祥史)

 加藤和彦は世の中よりも早く進みすぎた早熟の天才であった。本人へのインタビューで構成されたこの本を読んでいまさらながら思う。この本は筆者にとっても《わが青春の音楽史》ともいえる内容であった。

※「トノバン」は加藤和彦の音楽業界での愛称。加藤がドノヴァンが好きだったから四方義朗(当時、つのだひろが結成したバンドのベーシストでのちに実業家)が言い出したそうだ。(本書P104)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?