夕日_のコピー

エネルギーの自家発電ができる人



私は、昔からエネルギーを自家発電している人にすごく惹かれる傾向がありました。


私は子供の頃から、華やかだったり目立っていたり、可愛かったり美人であったりする人になぜか好かれる傾向があり、もちろん私もキレイな人やモテる人と一緒にいると学ぶことも多く、自分まで素敵になったような気がして嬉しかったので、その頃は気づいていなかったのですが、魂の奥の部分では、目立たなくても淡々と自分の好きなことをして生きているいわゆるオタク系の人のことを羨ましく思っていたのです。


なぜなら、彼ら、彼女らは、自分の好きなものを知っていて、その趣味が一般にリア充と言われる人たちから見ると、全くイケてなくても、ダサくても、それをやっているときは夢中で、心がワクワクしていて、でもそれは誰かに羨ましがられるためや、誰かに凄いって思われるためではなくて、ただ純粋に好きだから追求しているだけで、そして何よりも彼ら、彼女らは、生きるためのエネルギーを自家発電しているように見えたのです。


リア充系の人たちが、エネルギーを自家発電できないと言っている訳ではありませんが、傾向として他者から見た自分を意識している人が多いように感じます。


反対にオタク系の彼ら、彼女らは、生きるために誰かに賞賛されることや認められることで得るエネルギーは必要ないので、マイペースで淡々と自分らしく生きているように感じるのです。


私自身はと言えば、子供の頃は、完全に自家発電タイプだったと思うのですが、たぶん大学生くらいから、自家発電力が弱まってきて、周りが良いと思うこと、メディアが発信するトレンドなどに影響されるようになり、外部からのエネルギーが必要になってきたように思えます。


それでも見抜く人には見抜かれて、どんなに頑張って普通に振舞っていても、ミカリュスは天然だねと指摘されて面白がられることはよくありました。


ここでいう天然とは、ボーッとしている、大勢といても自分の世界に入り込んでいることが多く、ボケた発言をすることがよくあるというような意味合い(たぶん)だと思います。


ボケとツッコミで言うとボケ役の方ですね。(笑)


それなのにツッコミ役の人のツッコミの意味がわからなくて、うまくボケることができなくて、さらに天然呼ばわりされるという。(汗)


実際、それが本来の姿だったのですが、18才くらいから30代半ばくらいまでの私は、その天然ぶりをひた隠しにして、世間の大多数の人がいいと思う人生の構図みたいなものに自分のゴールを設定して、今、やっていることがそのモデルケースに沿っているかどうかということに関心を向けていたように思います。


今思うと、そんなふうに幸せの基準を外に置いていたその頃は、すごくしんどい生き方をしていました。


元々の私は、天然キャラでオタク系だったのに、周りに合わせて社交の場に出かけていたのですが、わかる人にはわかるようで、大勢の中で盛り上がっていても目が笑ってないよと言われることがよくありました。


実際、そのような場ではエネルギーを奪われることが多く、疲れて帰ってくることがよくありました。


日本に住んでいた頃は、それなりのしがらみもあり、自分を取り戻すことがなかなかできなかったけれど、なんのしがらみもない異国の地に住み始めて、またその国が非常に個人の個性を重んじる国だったということもあり、また私自身がこの地では異邦人ということのあって、誰かの目や評判に縛られることなく、再び子供の頃のように自分らしく生きれるようになりました。


かといって、日本でそれができないというわけではなく、一旦自分を取り戻した私は、この先、日本に住むことがあっても、もう以前のような暮らし方はしないだろうなと思います。


なぜなら今の私は、生きるためのエネルギーを自家発電できるので、誰かに認めてもらう必要も、何か証明する必要もないとわかっているからです。


実は、それは、後から身につけたことではなくて、元々、自分の中に持っていたものなのです。


子供の頃から思春期にかけての感受性の豊かな時期に、見た目はオタク系では全くないのに、エネルギーを自家発電していた私は、自分では全く気づかないうちに、そのことに敏感に気づいたエネルギーヴァンパイア系の人たちに、ざわざわした気持ちを感じさせてしまうこともあったようなのですが、その頃の私はその気持ちに気づかないほど天然だったのだと思います。


学校や会社など、集団の中で暮らさなければいけない場合、特にみんなと一緒の考え方や生き方のモデルみたいなものに縛られやすい日本で生きていると、本来誰もが持っているはずのエネルギーの自家発電機能が弱まってくる傾向があるように思えます。


私自身のエネルギーも、大学生くらいから会社員時代を通して、かなり枯渇していたと思います。


それを埋めるために、さらに頑張って、より良い生活、より良い子供の教育などを求めても、ただマインドが激しく動くだけで、何かを得ても満たされるのは一瞬で、また次の何かを求めて頑張り続けるような感じでした。


今もまだ完全に自家発電できているかどうかはわかりませんが、他の誰でもない自分だけの好きを追求して生きることができるようになってきたかなって感じています。


それは外国に住んだことがキッカケになったかもしれませんが、それだけではなくて、年齢的なこともあると思います。


若いときのように、周りと比べたり、こんなふうな自分になりたいなっていう目標みたいなものがなくなりました。


今のままで全部完璧、幸せだって思えるようになったのです。


私の年齢でも、もっともっとを求めて走り続けている人もいるようですが、それはそれで素晴らしく素敵なことだと思いますが、私は、そろそろ自分の世界に戻ってのんびりしたいなって思うのです。



読者登録させていただいたいているカフェ・へブンというブログを書いていらっしゃる風音さんの記事です。


🔗 人を生かすもの



一部抜粋させていただきますが、興味のある方は是非全文を読んでみてくださいね。


人ってそもそも、どうやって、死なないで生きてるのか?
元気に、気持ちよく機嫌よく、今までどうやって、
日々を過ごせていたんだろう。
答えはすぐにやってきました。
エネルギー。
「気」というのかなぁ、燃料っていうのか。
人を生きさせる動力源のようなものを、みんなやりくりしながら、
ここの世界に居る。
この目に見えない動力源みたいなものが、日々、毎瞬、人間には必要で、
人は常に、それをどこからか補給しているように思いました。
だから、とても大事なこと。
「人から取らない人たち」
自家発電できる人たち。
素朴で、そういう人の傍にいると、しんしんと活力がわいてきます。
私が、私自身のことまで、好きになります。
別に彼らは、意識して私に何かをくれているわけじゃないようだけど。
私は、「人から取らない人」になりたいと思いました。
深く。一人になって、奥を感じてみると、
単純に、自分一人で元気に幸せにあれる私、がいました。
そこはもう、他の人のことが全然気にならない場所。
はっきり言って、他人など特に必要ない場所。
他者との関係性から得られる、自我の満足感は実はしんどい。
自然の中のエネルギーは、即効性が薄いみたい。
でも、
身体の奥の方、井戸の深いところでは、
自家製のエネルギー源が確かにありました。
今までまったく、使ってこなかった。
それは、
何かを好きに思う気持ち、でした。
決して「好きになってもらおう」という情熱ではない。
そこには他人の存在はない、
関係性じゃなくて、こちらからの一方的な想い、発信。
もしも、生きることがイコール、エネルギーを得ることと見るなら、
この、一方通行の発するだけの<好き>エネルギーで暮らすことは、
比較や、記憶を使って、他の人から取ったり取られたりする、
今までのやり方と根底から違う、
まるで生き方そのものが変わりそうな気がします。




パリ郊外の自宅から見えた夕日です。




以前、こちらの記事でも少し触れましたが、


女性は、男性に比べて、自然からだったり、おいしいものからだったり、自分自身でエネルギーを充電することがしやすいそうです。

それでも、風音さんが以下のように書いていらっしゃるように、やっぱり自然の力だけでは足りないこともあるようです。


自然の中で一人でボーっとすると、落ち着きます。
でもそれは元気というにはちょっと弱いような。
人間社会から得られる、「頑張りゲーム」や優越感ゲームの戦利品より、刺激が少なくて、目立たなく感じます。
なので今まではすぐに、「頭の中のゲーム」に戻っていたんだな(@@;)


このブログを読んでくださっている方で、エネルギーを自家発電できたらいいなって思われた方がいらしたら、自然の力を借りながら、好きなことを夢中でしてみるのもいいかもしれませんね。

それが、周りの人から見て取るに足らないものであっても、そう思っているのはあなただけで、好きなことをしてキラキラ輝いているあなたは、誰かからのエネルギーをもらわなくても、そこに存在しているだけで、大切な人に安らぎを与えることができるのだと思うのです。

そして一番大切なことは、誰かじゃないあなた自身が満たされていることなのです。

そうすることで、あなたから溢れる幸せのオーラは、同じ波動の人を惹きつけ、そうじゃない人を遠ざけるので、嫌な目にあうことも減っていくと思います。

それでも、ときには運悪く、エネルギーヴァンパイヤ的な人に出会ってしまうこともあるけれど、上手にそっと離れて距離をおいて彼らに反応しなければ、あなたからはエネルギーを得られないということがわかって、彼らは去っていってくれます。

最後にもう一度、エネルギーの自家発電機能は、本来誰もが持っているということをお伝えさせてください。

受けてきた教育や長年の思い込みなどで、誰かとの関係の中だけで与えたり貰ったりしないといけないと思い込んでしまっているだけなのです。



元記事:エネルギーの自家発電ができる人(ミカリュス・ブルガリスの心の薬箱)January 09, 2017 14:51:09 テーマ:気づき

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