レモンの木

自分がどれほど恵まれているかを知ることでわかる幸せの形 - コーヒーカップにもありがとうと言ってみよう。


本日はオルタナティブ・スピリチュアルの時代へ。みんなと。というブログを書いていらっしゃるじゃっくさんの記事をご紹介させていただきますね。


🔗「本当の幸せ」は、自分がどれほど恵まれているかを知ることから始まる。 & 小林正観


この記事の中で小林正観さんの本の一部が紹介されています。

たとえば目が見えることは、
皆さん当たり前だと思っていますけれど、
世の中には目が見えない人もたくさんいます。
その目の見えない人と話したことがありますけれど、
その人は「自分の妻の顔を一秒でいいから見たい。
一秒がだめなら百分の一秒でもいいから、
それがだめなら一万分の一秒でもいいから見てみたい」と言っていました。
あるいは「自分の子供の顔を一瞬でいいから見てみたい」「自分を生んでくれた親の顔を一瞬でもいいから見てみたい」と。
でも、見ることができない。
(中略)
私たちは、一度も目が見えなくなったことがないのに、
目が見えることに一度も感謝したことがない。
そうではありませんか?
そして口から出てくる言葉は、
「あれを寄こせ、これを寄こせ」「もっともっと」「あれも足りないじゃないか、これも足りないじゃないか」──。
足りないことを一生懸命書き上げて、
それを手に入れることが夢や希望になって、
その夢や希望が実現することが幸せだと教わってきたのです。
本当の幸せというのは、
手に入っていないものを挙げ連ねることではなくて、
自分がどれほど恵まれているかに気がつくことなのではないだろうか。



私たちはいつも、今ないものを不満に思いがちです。

何かがうまくいかないときは、それさえうまくいけば楽になれると思うし、何かが得られないときは、それさえ手に入れば悩みが解決する、もしくは幸せになれると思うかもしれません。


実は私もずっとそう思って暮らしていました。

完璧主義だった私は、自分に足りないものがあるとその部分にスポットを当てて解決に向かって努力していたのです。


でもいつの頃からか、自分自身に関しては、本当に必要なものと不必要なものがわかってきた、無駄な努力をすることが減ってきました。

そうするといろいろなことがうまく回りだしてきたのです。


最後まで一番時間がかかったのが子育てに関してでした。

けれども、我が子が苦手なことやできていないことに注目するのをやめて、得意なことやできていることに感謝するようになると、気持ちがとても楽になりました。


私たちは、もっともっとと今ないように思える何かを求めがちだけど、今あるものに心から感謝できたとき、ないと思っていたものが魔法のように現れたり、それは最初からなくてもよいものだったということがわかったりするのだと思います。




パリのメトロ『Arts et Métiers』駅のそばのお花屋さんで見つけたレモンの木です。


小さい頃、私が育った家の庭には大きなレモンがなる木がありました。

私はそのレモンの木が大好きで、よく木登りして遊んだものです。

地面を這う蟻たちの行動をしゃがみこんで観察していたこともよく覚えています。

庭のブランコに揺られて、ずっとずっと遊んでいた幼い頃の記憶がレモンの酸っぱい匂いと共に蘇ってきました。



<追記>

1年半前の記事です。

ないように感じるものより、今ここにあるものに感謝の気持ちを伝えるようになってから、人生がとても軽く優しくなりました。

人との関係はもちろんですが、そばにあるコーヒーカップやパソコンのキーボードにさえも、じんわりと有り難いなあ、嬉しいなあという気持ちが湧いてきて、心で中で「ありがとう❤️」と声かけしながら、日々暮らしています。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。❤️



元記事: 自分がどれほど恵まれているかを知ることでわかる幸せの形(ミカリュス・ブルガリスの心の薬箱)March 20, 2017 08:32:06 テーマ:気づき

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