昔の私たちへ、19,710回の「ありがとう」を伝える
「ありがとう」という言葉
「ありがとう」
私たちはこの日本語、すごくいい言葉だなって思っています。
他にもですね、よく使われるいい日本語の代表格として、
「おもてなし」や「お互い様」などがありますが、
「ありがとう」は自分の意思を伝える言葉という点で、
それらとも違う存在なのだと感じています。
なんとなく、洗練された感じがするので、字面がカッコイイのかもしれないです。
本日はこどもの日ということなので、タイトルにもさせていただいた「ありがとう」、
そして「こども」に関係したコラムです。
今回は少し視点を変えて書いてみました。
暇だから読んであげようか,
くらいの気持ちでご一読いただけますと幸いです。
普段のミカーレ通信は、スポーツをする子をもつ方を中心に記事を書いています。
今回は少し視点を変えて、自立に向けて歩み始めた過去の自分たちの視点に立ってみたいと思います。
昔の私たちへ
月日が経つのは早いもので、わたしたちが学校を卒業してから幾年も経ってしまいました。
学生時代の自分たちへ
新年度が始まってから、既に一ヶ月が経過してしまいましたね。
新しい生活には慣れましたか?
大学に入学したばかりなので、高校とは全く違う生活に戸惑っているかもしれませんね。
授業も私生活も自分で決めなくてはいけなくて、
「なんでこんなに自分で決めないといけないの。めんどくさ、誰か決めてー」という気持ちになったりもしますよね。
基本的に、
「あなたのしたいことは何なの?自由にしたらいいよ」
といった問いかけを中心に生活が進んでいきますしね。
いままでの決められたレールを進んで来た感じとは異なり、いきなり無人島に放り出されて
「好きにして」
と言われている感じがしてしまいます。
無人島は言い過ぎかもしれませんが、それくらい今までの生活とは異なるものになったのではないでしょうか?
学業以外で生活の新しさというと、サークル活動やアルバイト、私服選びも出てきます。
極めつけは、シラバスという謎単語の出現です。
初めて聞いたときは、魚の名前かと思ってしまいました。
(調べてみたところ、釣り用語で「シーバス= スズキ」というのがあったので、そのせいかもしれません。一つ利口になりました。)
そもそも大学というところは、好きな勉強をしにいくところ、より深みを知りたい学習意欲の高い人が通う場所なので、自分で決められる権利がないと成立しませんよね。
好きなことを勉強できる最高の環境が、大学には備わっているのです。
それと同時に
「自由と責任」という言葉の重さ
を知ることとなります。
自分から考えて行動しないと何も始まりませんし、何より「最悪、周りの人と同じことをすればいい」という手が使えなくなります。
何もしなくてもいいけど、しなかったことはすべて自分に跳ね返ってきてしまう。
少々、世知辛さを感じますね。
ただですね、そんな学びをとおして、人として何倍も成長させてくれる可能性を秘めているのが、大学というところなのだと思います。
社会に出た私たちへ
学生時代の生活とは異なり、仕事中心の生活にシフトしていると思います。
新人研修も終わり、自由時間の少なさや、仕事の大変さを実感するのはこの時期なのかもしれません。
ですが、その分初めてのお給料をもらい、
経済的な自由を手にし始めるのも社会人なのかなと思います。
また、小さい時からやりたいと思っていたことが出来たり、お客様に感謝されたり、達成感や充実感を得られる可能性があるのも社会人の良さなのかなと思います。
親や育ててくれた人の存在
さて、ここまで長々と書き連ねましたが、今度は親を中心とした、あなたと取り巻く人間関係についてお話しさせていただきます。
もしかすると、今のあなたたちの心には響かないかもしれませんが、それで大丈夫です。
学業や仕事で忙しいですからね。
いつか、そういう文章を読んだなーくらいで思い出してもらえれば十分です。
進学、就職や転職などの変化がある時って、
親へのありがたみを、身にしみて感じる時期ではないでしょうか。
今まで人にやってもらっていたことが、全部自分でやらないといけなくなってくるという状況ですね。
掃除、洗濯、食事の用意など、
やり始めてみると、一人分すら大変なことを知ります。
部活後、家に帰ったら食事が用意されていて、お腹いっぱい食べられて、
次の日になったら服が綺麗になっている。
イライラして口もきかない日々が続いても、それらは変わることなく用意されていました。
一人暮らしをしていた時に、
「ご飯を作るのがめんどくさいなぁ」
「食事を用意するのってどうしてこんなに大変なんだろう」
と思ったことがきっかけで、ざっと計算してみたことがあります。
生まれてからの18年間、毎日3食ご飯を親に作ってもらっていたとすると、
3[食]×365[日]×18[年間]= 19,710 [回]
単純にかけただけでも、2万回ほどになりました。
親から2万回近くも食事を作ってもらっていたなんて、、
その時間を自分のために使ったらどれだけのことができたのかなと考えてみたり、
用意してもらったのに食べなかった時もある、
そもそも親に対して何か貢献したのかなと。
親になって初めて気が付いたことがあったのでお伝えします。
子供に対しては、見返りを求めているわけではなく、
突き動かす何かがあって、無意識に行動していることです。
「元気に育ってほしいという気持ち」それだけが動機でした。
ですので、
もしも余裕がでてきて、さらに機会があれば、
さらっと伝えてみるのも一つの選択肢なのかなと思います。
「いつもありがとう」って。
それだけで、
仏頂面のお父さんは心の中でニヤニヤしているかもしれませんし、
目頭が熱くなってしまう人もいるでしょう。
いつもは口数の多い母も、急に黙ってしまうかもしれせん。
親というのは、あなたが思うより単純な生き物なのだと思います。
19,710 [回]の食事の用意と子供のために費やした時間と苦労が
一回の「ありがとう」で報われてしまうかもしれません。
子供の「ありがとう」が持つパワーは計り知れず、
数字にすることもできないものです。
こういったことって、意外に伝えるチャンスは多くはないと思います。
進学、就職や結婚などの、大きなライフイベントが起こった時くらいしかチャンスがない気がします。
要するに、変化があった時です。
お金がないです。
心配いりません。
言うのは「タダ」です。
お財布にも優しく、誰にでも使えて、人がポジティブな感情になるかもしれない、
そんな素敵な「ありがとう」という言葉
この機会に是非、
スーパーフードのチアシード
スーパーワードのありがとう
~あとがき~
今回、普段はあまり意識しないことをあえて言葉にしてみました。
昔の自分たちに向けて書くことで、私たちの今後の行動も変わるかもしれないという目的で書いてみたつもりです。
忘備録的なものになってしまいましたが、いつか振り返って読み直したときに、今とは違ったことを考えられたらいいなと思います。