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くだらないひとりごと

ヘルプマークをもらったのが2020年5月。去年の5月。
ブログ移行目的のnote。ようやく最近のできごとまでに追いついてきました。最近の、といっても、まだまだ去年ですね。

発症・入院・手術・退院・検査入院などなど、そういったことばっかりしか綴ってなくて、自分としては記録なのでいいんだけれど、読んでくださっているかたは、飽き飽きですよね。ウンウン。


2005年に発症したくも膜下出血では、社会復帰までは退院してから1か月ほどだった。そのタイミングで、お仕事の声掛けをしてもらえた。

だけど、2017年のときは、社会復帰まで2年という時間をかけた。
退院して1年ちょっとで短期のアルバイトとしてみたときは、
担当医が、「大丈夫だった!!??」とびっくりしたけれども。

ソーシャルワーカーさんの計画では、わたしの場合、ゆっくり時間をかけて以前のように戻そうとしていたということだったのを知らずに、
この仕事ならできるだろう、短時間だし、と軽い気持ちで始めたのでした。

高齢の父のかかりつけ医通院につきそうようになってからは、
自分が仕事をする、ということへの考えがあとまわしになっていたけれど、
2019年晩秋、親戚から、「手伝って」ということでその親戚の会社でアルバイトを始めた。事務職ではあったけれど、2年のブランク。

仕事の進め方などが大きく変わっていた。
いや、これまで発注元だったのが、請負側になった。立場が逆転だ。

委託業務、として、まるっと発注していたことが、業務の中のある部分を請け負っている業者のひとつ、だった。

業務全体がみえなかった。
そして、その会社の仕事の分担・進め方になじめなかった。上司になるひとが苦手だった。

PCは、普通につかえる。
なんなら、もとからいる事務員さんより、使いこなせてる。

だけども、なんだかうまくすすまない。
いましている仕事が、何を作ろうとしているか、どうなるものなのか、が想像できなかった。

こんなに仕事できなかったっけ?わたし。もっとできてたよね???

こんなふうに思ってた。

ノーゲ科外来のとき、ソーシャルワーカーさんにもお話をきいてもらったら、
「いまは、混乱している」といわれた。

そっか、混乱か。。。

混乱、ということばが、そのときの自分を、ストン、と納得させた。

慌てなくていい、できることをしていたらいい、などアドバイスをもらった。

2020年、年が明けたところで、その会社は休業を選んだ。
ほんっとに仕事がまったくなくなっていた状態だった。
わたしは、7月まで休業手当をもらい、そこの会社のお仕事終了。

派遣会社より8月からのお仕事のお誘い。
国の委託事業に係る仕事。市内の民間企業が請け負ったので、その事業のコンソーシアムメンバーとしての参加。なんかかっこいい?笑。
コロナの影響はもろに受けていて、出勤はするけれど、仕事の進め方が、これがまたほぼほぼリモート。メールと電話とこんどは、WEB会議なるものがはいった。顔出しはなし。関東の企業さんは、担当者さんは出勤だったり、在宅だったり。コンサルは、数名いたけど、みなさん在宅という。
クラウドに共有データとか、ね。
扱う事業は難しかったけど、仕事としては楽しかったかな。ただ、上司にあたるひとが、ぱわはらで苦手だったなぁ。
うまいこと?に、向こうの都合で、3月で選手交代。ちがうスキルのある人が事業として必要になった、ので。ほっとしたような、残念だったような。

2021年の7月が終わろうとしているいまは、高齢の父の”みまもり隊”で、在宅を続けている。
あぁ、社会にも接していたいので、そろそろお仕事を始めたい、と思っている、今日このごろ。

ようやく、いま現在においつくためのくだらない長めのひとりごと、でした。


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