セクハラ、痴漢、冤罪話題に寄せて その3

セクハラ、痴漢、冤罪話題に寄せて その3


なにやら思ったより長々と書き続けることになってしまったこの話題。
それだけ色々と思うところあり、メモしておきたい事もありで、つらつらと書き出してしまったら、延々と考え込んでしまいそうである。
書くことで自分の中を整理しても居る。

それからかなりセンシティブな話題でもあるので、フィルターの意味で有料記事にするか検討している。

とりあえず事の最初にせっかく吐き出した過去の痴漢話が何処かへ流れていってしまうので、拾い上げて留めておこうかな、と思ったのが初心であるので、ここにコピペで拾っておく。
書き直すのは苦痛なので多少の補足に留めておきたい。

下のリンクはイギリスの痴漢犯罪の通報を促すキャンペーン映像であるらしいが、日本だとまだまだこういった感覚が遅れているとしか思えない。
いや、遅れすぎの上、拗れまくっている感じが強い…。

https://www.huffingtonpost.jp/2015/04/16/sexual-harassment_n_7076028.html?ncid=other_twitter_cooo9wqtham&utm_campaign=share_twitter


ではちょっと過去の事例を振り返ってみよう。

《銃口を向けられる恐怖は実際に向けられて見るまで分からなかったというような話を見た覚えがあるけど。痴漢という犯罪者の存在は知識としてあっても、こんな妖怪だって聞いてねえ!!!みたいな最近まで小学生だった子供には衝撃的な事件だったよね。》

当時、中学から電車通学が始まって間も無くあたりの話である。
利用していたのは地下鉄銀座線で、比較的痴漢は少ない路線であると思われる。
最近は痴漢レーダーなるアプリもあり、ある程度どの駅で痴漢が多いかパッと見でわかりやすい。

《ハアハア大興奮しすぎて小刻みに震えてる青白い顔の大人に遭遇ってホント白昼の悪夢だし。子供らしく一応身形が整ってる大人の男性に一定の社会的信頼感があったわけよ。ウチの方サラリーマン自体珍しかったし。それが避けても避けてもわしゃわしゃこっちに手を伸ばしてくるって何の怪談だっつう。》

《因みに電車はあんまり混んでなかったし、反対隣にスーツのオッサン居たんだけど。絶対に様子おかしいのわかってたと思うんだけどね…。避ける毎に反対側にドンドンぶつかってたしな。》


《電車空いてても寄ってくる時は寄ってくるんだよね〜空いてるから遠くからでも来るんだよね〜
背後を取られそうなだったんで横向いてたら諦めてどっか行ったこともあったけど、他の子物色に行ったのかも。最低だな。限りなく痴漢な嫌がらせ野郎被害も多いでしょ。明らかな害意垂れ流して近づいてくる。》

《まあ大人になったら今度は会社にも鼻息荒い痴漢が居たんだけど。
本人痴漢自覚がねえのよ。殺意が芽生えるよね。
背中を指でツーっとか上腕揉むとか許されると思ってんのかコノヤロウ!パートの女ボスの陰に隠れてかわい子ぶんなや!!つう怒りが定期的に再燃する。》

《今度は土気色の小太り小さめ妖怪で、まあなんつうか…生理ちゃんぽい何かイメージがつながる所がありでですね。というか強固に繋がってしまいました。》


《只でさえ声上げるの困難な痴漢が。確実に尻撫たのを振り返って睨みつけた顔がさ、凶悪顔でニヤニヤしてるような男の暴力ハードルの低さ考えたらそれ以上は躊躇するよな〜
それは当時の地元で見慣れたアウトローな犯罪顔ですよ。家の近くのバスだったし降車後もついて来てないか確認しつつ遠回り帰宅。》

《こういう「やめてください」がご褒美な感じの痴漢も居るのがまた…。多分こういうのは捕まえようとしても殴って逃げる可能性大だし暴行慣れしてるようなのには一般人手出し無理。》


《ほんとは以前 #MeToo  でわいわい皆さん書いてる時に書こうかと思ったんだけど出来なかったんだよね。何故かと考えるとやっぱり「あたしは平気だもーん」と土気色妖怪に自分の上腕部を揉ませてたとびきりの笑顔かな…》

《あろうことか青白妖怪がわしゃわしゃ触ってきたとこだったんだよね。土気色の時は服の上からでそれ程しつこくはなかったけど、触ったというより揉んできたわけよ。この只のフーフー言ってる中年痴漢をその女と老女達はなぜか愛玩キャラ扱いしてたのよ。
かわい子ぶるあざとい中年妖怪ってどんな悪夢。》

《身体部位に対する感性って人によりけりな部分が多い上に、同じ女性でもぜんっ全体型違うわけよ。高身長の細長体系族と低身長の丸型体系族の二の腕感性溝がどんだけあるのか考えたこともなかったけど考えざるを得なかったさ。
振り返ると彼女は姐御風男性に尽くす色っぽいイイ女を目指してたわ…》


《保護助力を薄っすらとでも期待できる人物、組織、社会から見捨てられたという感覚は、わたしたちが社会的人間である限り、白昼の妖怪に遭遇したショックと同等かそれ以上に、また別の感情で余りにも深い。》

《話題を見かけるだけで辛いという人もいるかと思うけど、そういう方は単語ミュートしているのかな?
ここ何日も随分とわいわい書き出したりしたのでちょっと気が済んだ。
医者セクハラはまあ今回は吐かなくてもいいか…》

《そういえば学生の頃帰宅中自宅付近歩いてたら自転車で追い越しざまに胸を掴もうとしてきたやつ居たな。下手したら怪我してたかもしれないし、今だったら近所に警戒情報出回るレベルだと思うけど、当時は警察に言うとか思いもつかなかった。学校が近かったら学校に報告したかもだけど。》

《女子校の周りは変質者がわざわざやってくるので時折注意報出て先生方も通学路警戒してた。
女子大もねえ、サークル活動とかでたまに他の大学男子来てたけど、どうもパステルカラーの女子大に来て大量の若い女性だけ集団を見ると、不慣れだと浮かれすぎて感覚おかしくなるっぽい話は聞いたよね……》

電車でサラリーマン風のが、性器らしきものを新聞の陰から出してきた話はどっか行っちゃったな…
いや、消してしまった気がする。
割とイロイロ気を使って書いたり消したりしてしまうのだった。

そして性器を女の子に見せて喜んでる男って、最初に遭遇したのが幼稚園児。
こっちも幼児だけど、加害者も幼児。

本当にここへ至る前から徹底した教育が必要だと思われる。
その子はおそらく何かそういう文化に触れたんでしょう。

(この場合はどうかわからないが、成人男性の男児への性加害には、年齢に見合わない、或いは望まない下世話な性的情報を教える、というのも含まれ、タチが悪い。)

文化的害悪は小学生の時同級生にも多大な影響を与えており、スカートめくりに背後から女子の胸を掴むとかいう性暴力は、創作物の影響が大きかった筈だ。
こういう暴力は何十年経とうが絶対に許せないし怒りと苦しみが完全に収まることは生涯ないだろう。
特にこの小学校時代に問題行動を起こしていた男児は、誰彼構わず同級生に殴る蹴るの暴力を振るっており、今から考えると学校側の対策などに疑問が残る。

ひとりの性犯罪者が一生のうちに出す被害者は380人又はそれ以上の可能性という。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kagaishasaihanboushi

性犯罪者の認知の歪みは、被害者と被害対象になり得る属性に対してのみ顕著なようで、通常の特に成人男性同士のコミュニティではそれほど異常さが認識されていない場合もありそうである。

やはりこの認知の歪みの根本は性教育の不備と、社会的文化傾向、創作物の影響が大きいような気がする。
性教育ネグレクトと言っている人が居たが、まさしくそうだろう。
男女が親密なコミュニュケーションをもってお互いを尊重し、良好な関係を築き上げることも、長続きさせることをも困難にしているとしか思えない。
相互理解へ導くよすがとなる基礎知識と感性が歪んでいるのだ。
そして自分でもそれに気づけない。
運良く良い教材に出会えていたり、何かおかしいと気付いて対策を講じるか、根気よく対話をしてくれる相手に恵まれ、そして結局自分が理解するつもりがなければ理解できない。

ツイッターだと「性被害者のその後」タグや「MeToo」タグにプラス「痴漢」などで検索してみると、相当な呟きを見ることができる。また、悪質な付き纏い被害が公共の場で相当あり、それぞれ身の危険を感じたり、実際殴られたりなどしている。
スポーツジム、図書館、カフェにプールと常に警戒していなければならず、また警戒していても悪質な人物にロックオンされたら完全に防ぎきる事は難しい。
就活セクハラや仕事相手からの暴行も深刻な状況であることがわかる。

こうした状況をみると、やはり今すぐに変えていきたいのは社会認識だと思うし、社会的監視の目だ。
組織的対応が不充分というより不備過ぎるのは、ひとりひとりの認識が甘い、或いは無関心だという事が影響していると思う。
結局治安が悪化していき、住みやすい社会から遠のいていくだろう。

対象を性的な目で見るなというわけではない。
加害欲と支配欲を混ぜ込んだ欲望を不躾に向けるな、あからさまな態度や行動に移すなという話だ。
なぜか一部一定数の男性は、この加害欲と支配欲が多分に加味された性欲を正当なものだと思っているようだ。
そしてそれを拒否されると、自らの性を全否定された、根本的人格を否定されたと感じるようだ。
支配下にあるべき対象から侮辱されたと感じて逆上する。
このような思考回路の自分より大きく凶暴な生物は、如何ともしがたい。


そしてこのような思考を育み助長しているものとして、やはりAVなどのエロコンテンツの存在は無視できない。
そういう創作物が全て悪いとは思わないが、あまりにも悪質な暴力的加害思考に基づいたものが多すぎる。
痴漢がテーマの作品群、一見して多過ぎだろう。
しかもこうしたエロコンテンツの殆どが水戸黄門並みの定型パターンの繰り返しをしているようであり、繰り返し意識に刷り込まれているとしか思えない。
頭の中で“性教育=エロ、性行為のレクチャー”になっている人も多そうである。

性欲に混じりすぎている加害欲や支配欲の表現と、幻想的過ぎる女性表現は、女性向けでは流石にマイルドになるかかなりの部分消滅する。
大体の男性向けと言われるようなエロは、大方の女性にとって萎え要素というか嫌悪要素というかトラウマ要素というか、イロイロありすぎてなんじゃこりゃであると思う。
その性的女性の幻想は、男性が少女漫画やハーレクインの古典的ヒーローを見てこんな奴はいないと思うのより恐らくヒドイんじゃないかと思う。

しかしこうした幻想は、創作物の持つヒーリング要素でもあり、また逆にトラウマ要素や認知の歪み要素でもある。

現実的に考えれば、信頼関係にない男から壁ドンでもされたら恐怖だし、親しくても腹が立つし、姿形が整っていようがイケメンカテゴリから除外だが、創作内ではこういう類の強引具合が好意的に描かれることが多い。

これも現実的なトラウマのヒーリングや不快体験の書き換えにもなれば、認知の歪みの原因にもなるだろう。

基礎的な知識がないまま、摂取するには危険すぎるが、精神的バランスを保つために軽微な毒を飲む場合も考えられるので、一概に排除すべきものとも言えないだろう。

暴力的な性行為に傷ついた場合に、トラウマ体験を軽微なものとして意識変換する目的で、より軽微な類似体験や自分にとって好ましい認識変換が可能な疑似体験を重ねるという行動が意識的もしくは無意識的に選択される事もある。

分かりやすい定番ストーリーの中に、女性が性暴行に傷ついた後に、彼女の恋人なりの立場の男性との性的な行為で体験の上書きをする、というというものがあるが、最近これにさまざまなバージョンが現実的にあるという事が改めて認識できた。
完全にそういう行為や加害者側の属性が受け入れられなくなる場合もあれば、真逆の反応を示す場合もある。

被害を大したことがなかったと自分に認識させるために、似たような行為を繰り返したり、耐え難い恐怖や嫌悪を書き換えるための脳内変換などが行われる事もあるのだ。
そういう情報は知識としてはあったが浅かったと思う。
嗜好形成に深く関与し、本人が制御できないような衝動になる事があるのだ。
ペドフィリアの多くがイジメや虐待の被害者である事も、こういった事と関係しているのだろう。
誘拐犯に好意を寄せるストックホルム症候群なども、極限状態で自分の精神の均衡を保つための、人間心理の興味深い働きである。

現実的には痴漢は絶対に許せないが、創作物で痴漢モノを好んでしまう矛盾が女性から呟かれていたが、そういう場合には何か過去のトラウマ体験を疑ってみてもいいかもしれないと思う。

強引に迫られた事などの恐怖は、創作物上の、相手は自分が好きな気持ちを抑えきれなかった、実は気持ちが良かった、その後ふたりは幸せな関係を築いた、などなどの言い訳ストーリー上書きにより軽減する場合がある。
しかし逆に現実的に嫌なのに好意的幻想によりこういう行為を受け入れてしまった場合、自分に都合の良い幻想が消えた時にものすごくダメージを受ける事にもなる。
創作物の使い方は慎重にしなければならないし、加害的表現は特に若年層へ向けた提供は止めるべきである。
創作物による微妙に書き換えられた類似体験ヒーリングが可能ならば、創作物による被害の疑似体験も可能だ。
加害表現で傷つき、加害表現で癒されるという無限ループに陥らないとは言えないだろう。


性的なものに興味を持ち始めた頃に目にしてしまったものなども、かなり強烈に性的刺激と結びついてしまうような気がする。
パブロフの犬状態である。
これはかなりの人が性欲とその他の欲やコンプレックス、文化的刷り込みなどを切り離して認識できていない事から、創作物などの表現の影響は深刻なのではないかと考える。

制服など、意識の奥で性欲のアイコンになってしまっているものが沢山ありそうだ。
酷い場合には女性自体が只のアイコンになっている。
このアイコンの多さは、虫の声に風情を感じる感性をHENTAIに全振りしたかのように、日本独特の多感な質なのかもしれない…。

そして異性愛者の男性が、見た目がかわいい男の娘ならOKという感覚と共に、女装の男性に感じるのが見慣れない違和感だけでなく生理的な嫌悪感もあるとしたら、それもやはり女性の服装自体が性欲のアイコンになっているのではないかと思う。

服飾に欲情してしまうのに、それを纏うのが情欲の対象ではないから嫌悪感に繋がっているにではないかと思う。

(ところでここでまた気になりすぎる事を吐いてしまうと、「情欲」と「欲情」の使い方おかしい人が多すぎやしませんか!? 欲情するはいいけど、情欲するって平気で使ってるの見かけるんですけどどうなの良いのあれ!?そうなの!?)


さあ、また長くなって参りました。

ちょっと霊的でセンシティブな話になるので、興味がなく否定的批判的な意識の方は以降ご遠慮願いたい。
そういう事に関してあまりにも怖がりで神経質な人も読まない方がいいかもしれない注意報を一応出しておく。
これまでの個人的物思い同様、私にとっては同じく考察テーマだったので、ついでに出しておこうかと思う。

私は特にはっきり観える人ではない。

それでもまあ、エネルギー的な痴漢行為をしてくる輩って、その辺に居るだろうなと思う。
なにか嫌なものを感じて振り返ったらキモいの居た、みたいな経験は結構皆様あるだろう。
あれのヒドイ版というか念力版みたいな感じである。

これは比較的空いている電車の中など、ある程度の距離から長い時間相手の全身を視界に入れて意識しているような時に起こりやすいかと思われる。
まあ私もそんなに頻繁に遭遇したわけではないのでなんとも言えないが…。

勝手に人の身体の中に何やらエネルギー体を入れようとしてくるのである。
ちょっとやそっとの妄想でここまではっきり感知できるほどの何かを出してくるか?という妄想念力系というのは居るものなんだなと。

念力系を自認される方々は、妄想には注意して欲しい。
意識的に霧散してください。
念力エネルギー痴漢を意識的にやるのは本当に悪質だが、無意識にそういうことをしている人もいるかもしれない。

イラっとするとPCが不具合をきたしたり、怒髪天をついたら電球切れたりというような人々は要注意である。(そして最近HSPと言われる人々の中のかなりの割合が、所謂霊媒体質というやつだと思われる。)


ちょっとある種のエネルギー過敏体質の人々には有名な手法だが、自分に伸ばされて来た悪意や執着なんかを切る(イメージです)、というのがある。
或いは浄化する、弾き返す、なんてのもある。

確かこの時も出元は不明だったものの、切って切って切りまくった所(イメージです)、違和感のある感触は引いていった。
本体が電車を降りたのかもしれない。

エネルギーコードを切るというやつだが、何が起こっているか確証は無いものの、気分的にもやっておいた方が良いので、何か気になってしまった時にはたまにやる。
自分の気持ちを切り替えるのにも良いかもしれない。

(但しこういう悪意が飛んできた場合、あまり攻撃的に弾き返すのはよろしく無いようなので、弾き返すにしても、まあ愛を持って?穏やかに返却いたしましょう。
防御系の印なんかは軽率に人に向かって使うのはどうかなと思うので、その辺りは慎重にした方がよろしいかと思います。)

そのようなことを考えると実体からの被害も、不快に思い出すたびに切っておいた方がいいだろう。


そして、エネルギー的な男女の触れ合いとはなんだろうとつらつらと考えるのだ。
結局性行為とは、ふたりのエネルギーが深く溶け合うことであると思う。
相手を自慰の道具として扱った場合には、それは不完全だろうが、お互いに自分のエネルギー磁場の中に、相手の情報を深く取り込んでしまうことに変わりはない。

こういう時のエネルギー的には男性の方が得てして無防備であるような気がする。
相手に憑いてるのやら家系のカルマとかまで受ける気はあるだろうか?
相手とのエネルギーバランスもありそうだが、多少はもらう事になるような気がする。
人の意識というものの作用は、大抵の場合軽く思われているが、防御意識という膜は、微細なレベルでちゃんと機能していると思う。
これは多分比較的女性の方が強い。
まあ防御しなければ受け入れやすいのも女性側だろうが。


性行為とは情報交換であり、違うエネルギーが触れ合ったことによる小さな爆発の集まりであり、ふたつがひとつの存在になるための同調行為なのだろうと考える。

より親和性の高い、或いは互いに自分を高められるような、それから愛と信頼と尊敬を捧げ合えるもうひとりを心から取り入れ、二極であることの反発力と吸引力でリフレッシュされる。
意識は世界に溶けて一旦死に、生まれ変わる。
生命力の更新であり、それが性行為に生と死が絡めて語られる所以のように思う。
そのような行為の中で、次世代の生命が生み出されることは当然だろう。

私たち地球が内包する細胞のひとつが生命力を更新して輝く、ということは地球自体がリフレッシュしていくことだ。
世界に溶けてしまう意識の死とは、地球と宇宙との同調であるはずだ。

それは非常に瞑想状態に近いだろう。

実際このような感じのエネルギーのリフレッシュは、ひとりで瞑想などしていても可能だと思うし、そういう事が得意なら性行為に至らなくとも二人でエネルギーを回すだけでも可能だろう。

心を開いたハグやキスでも、或いは笑顔を交わすだけでも、エネルギー交流による生命力の活性化は起こっていると思う。
心を開くのは、無償の愛と信頼、思いやりである。


男性性と女性性の調和、というのは本来世界を潤す生命力の源であるはずだ。
個人の中で起こり、ふたりの間で起こり、多くの関係性の中で起こっていく。

人間であることを選択していくなら、あらゆるレベルでこの調和を選択していくべきだろう。


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