ミカシネマ vol.6:「ヤング≒アダルト」

毎度お馴染み映画の時間。今回観た映画はこちら。

「ヤング≒アダルト」(2011年)

ジェイソン・ライトマン監督、シャーリーズ・セロン主演のヒューマンドラマ映画。挿入歌以外のBGMが少なく、静かな雰囲気の映画な印象を受けた。日本語吹替版で観たのだが、シャーリーズ・セロン演じる主人公メイビスの声は魏涼子さん。めちゃくちゃ合ってた。

ヤングアダルト小説(児童文学と一般文学の間に位置するカテゴリー。主にティーンエイジャーから20代前半が読者層として想定されている)の「恋のハイスクール」のゴーストライターとして活動するメイビスは、連載の打ち切りを告げられ最終回の執筆を開始し、その中で元カレのバディの第一子誕生パーティーへの招待メールを見つける。メイビスはバディとヨリを戻せると思い、愛犬のドルチェを連れて故郷のマーキュリーへと向かう。そこで、バディやその妻ベス、高校時代の同級生マットと再会し、様々な話をする中で、メイビスは自分の生き方について悩み始める。

この映画の主人公メイビスは、はっきり言っていい大人とは言えない。まだ20のガキの俺が言うのもなんだけどさ。バツイチの37歳でアルコール依存症気味、言動も思考も自分勝手すぎる。もう結婚している元カレとの復縁に希望を持ってるあたり、この女おかしいと思わざるを得ない。「バディと私は結ばれる運命にある」的な台詞をくどいほど吐くとこは、痛々しくて直視できない。

だが、そんなメイビスだからこそ、この映画の主役に相応しいとも思える。元カレのバディは結婚し、赤ちゃんも産まれ、家族愛で満たされている。メイビスは対照的に、日の当たらない仕事をし、それも息詰まり、幸せとは縁遠い生活をしている。どっちに共感できるか、と言われたら、間違いなくメイビスの方だろう。何もかも恵まれてるバディに共感できるかってんだ。人間、全部上手くいってバディみたいになれるわけではない。何かしら、どうしようもないことを抱えていて、自暴自棄にもなったりするでしょう。だから大人になりきれず、自分勝手なメイビスでも、視聴者は共感するのだと思う。俺もそうだった。

最後、メイビスはマットの妹サンドラから、自分の生き方に憧れており、マーキュリーの町の人達よりも輝いて見えていると言われ、自信を取り戻して元々暮らしていたミネアポリスに帰る。このラスト、何にも解決してないじゃんと思うかもしれないが、俺的には納得のラストであった。このシーンの少し前、メイビスはバディの赤ちゃんの誕生パーティーで逆ギレしてしまい、みんなに迷惑をかけて自己嫌悪に陥っていた。そんなメイビスに、サンドラは自分から見える彼女の姿を語る、という流れだ。メイビスはこの言葉で自分の生き方に誇りを持てるようになったように見える。こう、簡単に自己肯定感を取り戻せるところも、人間くさいなと思えて共感度が増す。褒められれば、誰だって嬉しいもんな。

まさにヤングとアダルトの間を彷徨っているようなメイビスの生き様に、時々がっかりもするけど、時々何故かかっこよく見えたりして、不思議な映画だなぁ、と思った話ですた。

それではまたnoteを書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?