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生きてるだけで背負う業

自作詩の解説

 生涯の果ての地/ルーミア


 ルーミアについては過去にもう1作『季節は次々死んでいく』という詩を書いていて、解説のためにそちらも掲載する。


季節は次々死んでいく

各々の想いで生を駆け抜けた万物は、何かしら食物連鎖の流れで食い荒らされ、捕食者と一部が同一となって残るのだとおもう。
あるいはやはり、何も残らないのかもしれない。

数多の時間と思考を投じ、その先がどれほどの後悔で満ちようと、最期は誰も彼も、彼女に喰らわれ、平らげられる。
その様はまるで荒れ狂う命の受け皿のように機能して、意味も理解もすべて、愛とも憎ともつかない抱擁で、
善も悪も、親も子もかまわず完食される。

ぞっとしない話だが、それに救われたんだ。



 『季節は次々死んでいく』は日本のバンドamazarashiの楽曲名であり、「ぞっとしない話だがそれに救われたんだ」というフレーズは、『花は誰かの死体に咲く』というamazarashiの楽曲の歌詞から取っている。
 『季節は次々死んでいく』は石田スイの漫画『東京喰種』のアニメにおける主題歌の一つであり、この曲のアーティストMVでは、レーザーカットされた生肉を女性がただ貪り食うだけの実写映像が延々と流される。東京喰種の作中に多数登場する人喰い「喰種(グール)」のような風貌である。
 俺の中のルーミアのイメージは、まさしくこのグールと、『季節は次々死んでいく』のMV、そしてその歌詞に根幹がある。

 ルーミアは東方Project原作において人喰い妖怪という設定がある。「闇を操る程度の能力」の名の通り、彼女の周囲を光を通さない暗闇にして、人間をひっそりと食らってしまう。少女と幼女の境目のような見た目でありながら、その性分はまさしく妖怪、人を喰らい脅かす存在である。またルーミアは、東方ProjectのWindows版最初のゲーム作品である『東方紅魔郷』における最初のボスキャラクターであり、人妖入り乱れる幻想郷という世界をはじめに象徴するような人物である。大げさに言うなら、入口であり、原初であり、代表だ。まるで母のように、物事の始まりにある存在である。
 そんなイメージを持ちながらも人喰いというモチーフがあり、そして輪廻転生を歌う世界観の『季節は次々死んでいく』を併せて聴いたとき、俺にとってルーミアは、カニバリズムの体現者でありながらも、神格化された存在となって映っていた。

 彼女の「喰らう」という行為は、喰らわれる対象にとって終焉をもたらすものである。東方Projectというゲーム作品の始まりに彼女がいるのなら、人間の今際の際、人間の終わりにも彼女がいるのかもしれない。
 我々の最期は、ルーミアのような食人鬼によって平らげられ、無惨にも肉の塊として消費され、彼女の血肉となる。それはもしかすると、これまで存在したどんな宗教よりも、心からの支柱とできる考え方となりうるかもしれない。

 畏敬するからこそ死者を喰らう、という食人文化も歴史上存在するし、一昔前にインターネットのスラングとして「神絵師の腕(だの目だの脳だの)を食べたい」という言葉が流行った時があった。言語表現としても「食えない奴」「男/女を食う」といった、人を食べるような表現は存在している。自分の中に取り込む、何か経験をする、といった状況において、人を対象として「食う」と表現する場合は多くある。

 俺がかつて、もう死んでしまおうかと考えていたときの理由の一つに、俺の生命維持のために食べられる生き物に申し訳ない、食べられて犠牲になる生き物の分まで背負う能力が俺にはない、というものがあった。
 対象が人であれ、それ以外であれ、食うというのは相手を殺すことであり、食われるというのは相手に殺されることだ。
 食うというのは相手を継承することであり、食われるというのは相手に託すことだ。
 俺の死生観はそうなっている。人間とは必ず何かを食い殺さなければ生きていけないから、俺がこの世に生きる以上は、そのために死ぬ者、痛めつけられる者に、胸を張って、頭を下げられるだけの、理由と矜持が必要だと思っている。
 生きているだけでそういう罪を背負っていて、俺はそれに加えて周囲に迷惑と苦痛を与える不能なのだから、自尊心は低い。

 そうした殺戮と継承の連鎖の果て、何をすれば罪を贖えるのかわからない生涯の果て、その最期に、母なる存在に喰らわれ、自分も次の連鎖の一欠片となるのだとしたら、それこそが贖罪なのではないか、と思うのだ。食人による死、などは現代社会では望んでも望めそうにないが(俺も望んでいない)、それはあくまでメタファーであり、つまりはいずれ訪れる俺の死も、誰かに何かを継承することに使われたのだとしたら、それこそがこの世に生まれ生きながらえていることに対する贖罪なのかもな、と思う。

 そんな、グロテスクで、身勝手な想像によって作られたルーミア像を、遺憾なく、遠慮なく、書いたつもりです。


人類が誕生し約七百万年
今日までに死んだ人の全ての遺体が土に埋まってんなら
君が生きてる町も世界中どこだって誰かの墓場なんだ
ぞっとしない話しだがそれに救われたんだ
高層ビルもアパートも墓標みたいだ
憂鬱も悲しみも思い出も分解してくれないか

花は誰かの死体に咲く(2016) - amazarashi