見出し画像

【和訳】C'est La Vie - Novelists


"どこに行けども、複雑な気持ちばかりに包まれるけど"
" それでも、ぼくはきっと"
" こんな世界に とどまっていたいんだよ"

Here, even just to feel is complex,
But I wanna try and dare,
Take a moment to admire the world.



Album: 3rd Album "C’est La Vie" (2020)
Vocal: Matteo Gelsomino feat.Camille Contreras
Composer: Florestan Durand, Amael Durand, Matt Gelsomino
     & Nicolas Delestrade
Produce: Novelists


I'm sick of spending all these days
Looking for some nepenthe,
Like atelophobic and solivagant.

もういいよ こんな日々なんて
悲しみを忘れる方法を探して、
間違ったことを恐れて、独りで迷っているだけ

How could I believe in magic
When we all feel so alone
And only try to survive for redamancy?

誰とも分かち合えないものがあるとき
自分のやることに見返りばかり求めてしまうとき
「魔法」なんてものを、どうやって信じろっていうの

I'm pacing downtown everynight
And everyone's giving advice
But no one really seems to give a shit.

夜ごとにまちを 一定の歩調で徘徊すると
人はそれっぽい心配や助言をしてくれるけど
本当は、ぼくは 誰の心にも留まっていない

So who's gonna...
...Who's gonna be my catharsis
And get me outside of my head
When I'm one breath away from drowning ?

じゃあ一体、誰が、
誰が贖いを与えてくれる?
誰が連れ出してくれる?
あと一息で溺れてしまう、とっくに手遅れの瞬間に

Guess I been wasting time as it's wasting me,
Nicotine in the veins,
A thousand wishes hanging on my lip tips.

時間が経つごとに、心が消耗していくけれど
そういうぼくは、時間を無駄にしてしまったのかもね
タバコの煙が血液にまで染みわたっていて
言いそびれた幾千もの願いが 口許くちもとにぶらさがってる

How could I believe in magic
When we are all so alone
And only try to survive all the things we feel?

誰にも分かち合えないものがあるとき
あらゆる感情から逃げ延びなくちゃいけないとき
「魔法」なんてものを、どうやって信じろっていうの

Surfing on liberosis,
Don't wanna know if I still bleed
Just wanna feel like dust in the winds.

努めて静かに、思い詰めずに、平穏に そうありたい
この身体のどこかからまだ血が流れているとしても 気づかないでいたい
風に吹かれて飛んでいく塵や雲のように そうありたいだけ

Let me drown in velleities,
Don't wanna know if I still breathe,
Just wanna feel the light on my face.
叶いやしなくても 儚い願望に浸っていたい
息を吸って吐いていることさえも 感覚から切り離したい
ただ、明りよ 頬を照らして

No one will ever try to break the silence
When it's burning out my conscience,
When it's running every inch of my mind.

ぼくの良心が焼き切れてなくなるとき
思考が頭の隅々を駆け巡っているとき
あたりをつつむ沈黙を
誰も破ろうとはしないだろう

Here, even just to feel is complex,
But I wanna try and dare,
Take a moment to admire the world.

この世のあらゆる場所は、ただ複雑な感情を呼び起こす
だとしても、ぼくはきっと
どうしようもなく、この世界に とどまっていたいんだよ






 Novelistsはフランスのバンドですが、この曲の歌詞の特徴的な点として、atelophobic, aolivagant, nepentheなど、フランス語(あるいはラテン語)が頻出することです。liberosisはサッカーやバレーボールのポジション『リベロ』の語源になった言葉であったり、redamancyは「見返りのために愛すること、報われる愛(requited love)」など、各単語の英訳を眺めているだけで、その言葉を一語に押し込める言語の奥ゆかしさを感じることができます。
 曲名のC'est La Vieは「何とかなるよ、人生そんなもんだよ(≒It is what it is)」というフランス語になっていますが、何とかなる、という希望的な歌詞が出てくるものかと思えば、本編の歌詞はまったくそんな明るさとは正反対で満たされていて、辟易、厭世、という言葉が似あうような言葉の応酬となっています。
 俺はそういう、暗くてじめじめとして、だけど現実に実際にあるどうしようもないことを並べ連ね、その酸いも甘いも出し尽くしたうえで、「それでも」と言い放つような物語がとても好きなので、この歌詞と曲名の構成はとても好みです。

 

Surfing on liberosis,
Don't wanna know if I still bleed
Just wanna feel like dust in the winds.

努めて静かに、思い詰めずに、平穏に そうありたい
この身体のどこかからまだ血が流れているとしても 気づかないでいたい
風に吹かれて飛んでいく塵や雲のように そうありたいだけ

 この部分の和訳は文章が非常に長くなってしまったのですが、Kansasの名曲『Dust in the wind』や、ボードレールの詩『異邦人』などのイメージを持ちながら訳しました。
 諸行無常、という言葉のもつ冷笑をできるだけ取り去って、自分と世界との境界を取り去って、ただ自然のままに自然体でありたい、という一つの理想形についてありのままに書きたかった訳です。
 こういう訳がおそらく成立しているあたり、非常に詩的で感慨に満ちた歌詞なのだと思います。


Now, don't hang on, nothing lasts forever but the earth and sky
It slips away, and all your money won't another minute buy
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
All we are is dust in the wind
Dust in the wind
Everything is dust in the wind
Everything is dust in the wind
The wind

(中略)
どんなことを成し遂げたって
最終的にはなにもかも
大地に崩れ落ちて行く
人間は
風に吹かれて舞い上がる
小さな埃みたいなもので
最後にはなにもかも
風に舞う
埃に変わって行くんだよ

およげ!対訳くん Dust In The Wind カンサス (Kansas)



 ――お前は誰が一番好きか? 云ってみ給え、謎なる男よ、お前の父か、お前の母か、妹か、弟か?
 ――私には父も母も妹も弟もいない。
 ――友人たちか?
 ――今君の口にしたその言葉は、私には今日の日まで意味の解らない代ものだよ。
 ――お前の祖国か?
 ――どういう経度の下にそれが位置しているかさえ、私は知っていない。
 ――美人か?
 ――そいつが不死の女神なら、歓んで愛しもしようか。
 ――金か?
 ――私はそれが大嫌い、諸君が神さまを嫌うようにさ。
 ――えへっ! じゃ、お前は何が好きなんだ、唐変木の異人さん?
 ――私は雲が好きなんだ、……あそこを、……ああして飛んでいく雲、……あの素敵滅法界な雲が好きなんだよ!

「異人さん」―ボードレール『巴里の憂鬱』三好達治訳


 (↑の記事はソーシャルゲーム『ブルーアーカイブ』のキャラクター『生塩ノア』のメモリアルロビーのネタバレがふんだんに含まれていますが、もし読む機会に恵まれていれば読んでみてください ボードレールの詩の偉大さを端的に知ることができました とても良いです)



 あともう一つ言及すると、このMusic Videoは「鏡面」を思わせる演出がほぼすべてのシーンにおいて登場します。画面のどこかを境界として、被写体の人物が鏡映し・シンメトリーになるような映像表現になっています(この記事のサムネイル部分もそれ)。こういった表現についての一つの解釈は過去、Wailing Ariesの楽曲『∀ltёr Eg0』にて言及しました。


 天使と悪魔はこのように深く結びついており、見方によっては逆転する存在であり、切り離そうとしても対極のようで同一の存在なのです。合わせ鏡に映る自分が、別の人間かのように見えて同じ一人の人間であるかのように。
 たとえそこまで分かっていたとしても、人間は自分や他の人間の嫌な部分を、良い部分から「截断」したいと思い、遂には衝動を抑えられず実行してしまう。正義感の暴走、潔癖なまでに排除したいという、合理性からは離れた衝動。そういう光景は身近にたくさんあると思います。

 上記記事では、歌詞にある「合わせ鏡の私」、つまりは自分の中にある貴い部分と醜い部分を切り分け(截断)たいという欲求があって、それを実行するや否やの場面における曲、として英訳しました。

 『C'est La Vie』の楽曲がそこまで鬼気迫った場面だとは思っていませんが、鏡面に映る被写体とは、その被写体の別側面を映し出す手段だと思います。そしてこの楽曲のMusic Videoは、すべてのシーンでバンドメンバーやfeaturingの歌手が一人ずつ映し出されている。つまりは、その人がその人自身を見つめるといった、内省的な表現だと思うのです。あるいは物事を別側面から映し出す、俯瞰的で多方面的な視座、とでも言うべきでしょうか。世界をそのように解釈することはアンニュイとも呼べる感慨を引き起こすと、俺の経験上思います。
 そしてその内省の様は、ビデオを観る人自身の内省をも促し、ラストシーンの歌詞に至るまでの感情をより強く引き起こさせるのではないか、とも思います。

No one will ever try to break the silence
When it's burning out my conscience,
When it's running every inch of my mind.

ぼくの良心が焼き切れてなくなるとき
思考が頭の隅々を駆け巡っているとき
あたりをつつむ沈黙を
誰も破ろうとはしないだろう

Here, even just to feel is complex,
But I wanna try and dare,
Take a moment to admire the world.

この世のあらゆる場所は、ただ複雑な感情を呼び起こす
だとしても、ぼくはきっと
どうしようもなく、この世界に とどまっていたいんだよ