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コバルトメモリーズ - はるまきごはん【和詞を英詞したものを和訳】

”perhaps the world holds only us「世界は二人だけかもしれないね」”

今回は「日本語詞のMVに有志の方が付けている英訳を読み解いてみる」という一風変わったことをします。単なる思い付きです。

最初は公開する気がなかったんですが、思った以上に面白くて人に伝えたくなったのと、自分用の備忘録として、また誰かからアドバイスをもらう時の指標としてちゃんと残しておきたいと思ったので公開します。

そして滅茶苦茶長いです。
英語をよく知らない方にも伝わるように書いている……所もあります。たぶんこの曲を聴いて「好き」って言える人なら誰でも読める文章にはなってるんじゃないかな。なってないかもしれない。英文法の話がバンバン出てきます。でもそれを読み解くほど「ああこの訳しかねえな」ていうのが見えてきて楽しいです。
すごく歌詞の世界の理解が広がります。あと僕がどういう風に英語を捉えているかわかります。これはどうでもいいか。もしよろしければ掻い摘んででもお付き合いください。楽しいですよ。

※youtubeを再生して右下の歯車のマークから字幕→英語を選ぶと有志の方の英訳を流しながら曲が再生できます。


海岸線は半透明
カモメが鳴いた
ノイズまみれのラジオが歌うよ
結構前の話 
世界が全員喧嘩して
僕らは上手く歩けない
The coastline is half transparent
Seagulls called
A noisy radio sings
It's a story from quite long ago
Everyone in the world was fighting,
and we couldn't walk well

※transparent = 透明な[形]
https://talking-english.net/transparent-skeleton/
ここに載ってる用例の一つHer smile is transparent「彼女の笑顔は透明だ」→笑って元気な素振りを見せる……って見てるこっちがすごくヤバい感情を喚起される……
※前の文章の影響で、前の文章の出来事が起こったせいで、という時はandで繋げるのがよさげ。二つの物事のリンク。あとは同時にという意味もあるけどそれはwhenの方が的確なのかも。andの方が二つの物事の相関を強く表している気がする……
※quite = 結構(思ったよりも)[形]
https://www.gabastyle.com/english/synonym/synonym037/
veryよりかちょっと程度が低い、「思っていたよりも」とか。rightとかimpossibleの前に来ると「完全に」とか「全く」の意味になる
very > rather > quite > fairly = pretty

数年前のヒットソングが
無限に流れるヘルツがあって
全人類おそらく最後の歌を
流してるわけですが
A hit song from several years ago
has hertz playing into infinity
What may be humanity's last song is,
naturally, spilling away

※into infinityで無限とか延々とって感じになるみたいね
※away = 離れて[副]、spill awayは正しいか?
spill awayって用法見つからんな…ぼろぼろ零れだしてるんだろうけどoutの方が既存の表現としては的確そう。でも意味としてawayにしたい気持ちはわかる。
※naturally = 当然[副]、日本語に隠れたニュアンス
naturallyで前の文を修飾することで「当然のように、平然と」(ラジオが人類最後の曲を垂れ流している)という意味になる。日本語ではわざわざ表現しない言葉をちゃんと汲み取ってて上手いなあ

最近ノイズがうるさくなって
調子が悪いみたいだ
次の歌はどうしような
Lately the noise has become tiresome,
and the tune seems bad
What should I do for the next song?

※tiresome = うるさい、めんどうな、いやな[形]とnoiseの使い分け
a tiresome boyで「うるさい少年」、become tiresomeで「うるさくなる」だね、noiseが主語になってるからnoise becomes noisyにならないように配慮してる良い文……
※andの用法について
うるさくなって(become tiresome) + (and) 悪いようだ(seems bad)
andで繋げることで「うるさくなる」と「悪いように見える」が連動する

君の耳にも届くような歌は
もうこの星に一つもない
誰も居ない街 誰も居ない空
世界は二人だけかもしれないね
A song that seems like it would reach even your ears
can no longer be found on this earth
An empty town, an empty sky,
perhaps the world holds only us

※no longer = もはや~ない[副]、副詞の位置
be foundの前に来ていることで「もはや"見つかることは"ない」になってる。副詞の位置は重要。どこを修飾しているのかを副詞の位置から見極める
※empty = 空の[形]、no oneの別表現
No one is in the townでもThe town has no any peopleでもなくてA empty town、つまり名詞に留めている。日本語詞が体言止めになっているのをちゃんと英詞でも表現してるね……
※からのthe world holds only us「世界は二人だけ」である。
この表現好きだなあ。No one unless you and I is in the worldとかだと長いし。usが二人なのはMVを見れば言語が通じなくても分かる(上手い省略だなあ)。そしてhaveという所有ではなくholdというさらに強い所有「含める」の意。世界にまるで二人だけで閉じ込められているような……

数年前の夜の
空は紅色
メイデーさながらうるさい合図で夜が明けたよ
全部昔の話さ 二人は今日も海岸線
途切れ途切れの歌と空さ
On a night several years ago, the sky was red
A persistent signal, as if calling mayday, lit the night
This is all a story of long ago
Today too, we are at the coastline
It's a choppy song and sky

※several years ago = 数年前の[副] 、副詞の修飾個所
On[前] / a night[名] / several years ago[副]という切り分け。several year agoがa nightを修飾している。onは「~中で」の意味。
更に細かく分けると
several[形] / years [名] / ago[副] となる。
名詞yearsを核にseveral「いくつかの」が足されることで「年」が「数年」に、
several yearsを核にago「前の」が足されることで「数年」が「数年前」になってる。
そして全体の文で見るとa nightを修飾する語としてseveral years ago[副]となっている。
もとは名詞だったものが副詞によって修飾されることで副詞になり替わる例。
ていうと難しく感じるけど、最初の疑問は「several yearsの前に前置詞inとかを置く表現はないのかな」と考えた末に「やっぱりないわ、副詞で修飾するのが一番スマートだな」、に至ったという経緯です。
※ago = 前の[副]、はbeforeにしても成り立つか?
https://www.gabastyle.com/english/synonym/synonym031/
agoと同じく「前の」の言葉としてbefore[副]があるけど、ここでseveral years beforeにしてしまうと意味が変わってしまう + 文が成り立たなくなる。なぜならbeforeは「(過去のある時より)前」、agoは「(今から~だけ)前」の意味で、beforeにすると「いつから」かを指定してないので読み手は「いつの時点から前なんだ……?」となる。agoにすると「今から」と指定しているので「あっ今から数年前ね」と分かる。
ちなみにbeforeを前置詞としてbefore several yearsにすると現在完了形で頻出する意味に変わっちゃって「数年前から」になるのでこの文には不適となる。agoでseveral yearsを修飾するのが最適ね。
※several= いくつかの[形]、はsomeにしても成り立つか?
https://ameblo.jp/riverdale-english/entry-12243875216.html
「ここはsome yearsにしても意味は同じく「何年か前」では」と考えたんだけど、someとseveralは微妙にニュアンスが違う。
someは「(正確な数は分からない or 数えられない物について)いくつかの」、
severalは「(正確な数の目途がついている + a fewよりは大きく、manyとも言いづらい)いくつかの」
程度で表すとmany > several > a little、
抽象的なもの、数字が分かっていない物での程度は
much > some > little、になるのか。
※lit = light「明るくなる」[動]の過去形。たまーに現在形の欠片もない活用をする過去形・過去分詞形を持つ動詞ってあるよね。高校で散々暗記したようなさせられたような。でもこれは覚えてなかった。
※choppy = 途切れ途切れの[形]、語源であるchopperについて
https://jieigyofx.com/english/1886
chopper「ぶった切る道具」が元の形容詞みたい。
バイクだと元ある部品を切り抜いたり取り除いたりしたバイクのことをチョッパーと呼んでいて(今はそうじゃなくなってしまった向きもある?)
ヘリコプターはアメリカでchopperと呼ばれているそうで、Helicopter = ギリシア語Helix「螺旋」 + ギリシア語pteron「翼」を組み合わせた言葉みたいです。(組み合わせた言葉ってなんか名称あった気がするんだけど思い出せないなあ、コンバインドとかそんな感じの……)
(Helixって聴いてCrystal Lakeを思い出して興奮するこの感じ、授業中にアニメや漫画で出てきた固有名詞の語源が分かったりして一人興奮する感じがすごくフラッシュバックする……)
あとトニートニーチョッパーとかもこのチョッパーがこれが語源なのかな(ワンピースちゃんと知らないですが……)

夕が落ちる前どこへ行こうか
君とサイダーと大冒険だ
本当はわかっていたけど
僕は秘密にしたまんまだ
Before evening falls, where shall we go?
It's a great adventure, with you and cider
Deep down, I knew, but I kept it a secret

※deep down = 心の中では、内心は という表現の深さ
to tell the truth「本当は」、after all「結局のところ」みたいに、文の頭に置くことができる口語みたい。にしても「心 = heart, mind」を一切使わずに副詞だけで「心の中では」を表してるのがなんかすげえな。どういう感性なんだろう。どういうルーツがあってこの言葉に落ち着いてるんだろう。不思議ね。
https://eow.alc.co.jp/search?q=Deep+down
あ、でもdeep down insideとして全く同じ意味を表す表現もあるらしい。たぶんdeep down within one's heartが省略されまくってdeep downになってるんだろうな。省略されるということはつまりそれだけ頻出する、英語圏の人々に使われてきた言葉ということだから……deepでheavyな感性って結構英語圏の方々持ってるのかもしれないですね。

君の銀色のレースみたいな
髪が透明になって
透けた落陽 時を告げた
Your lace-like silvery hair became transparent,
and the setting sun that shone
through announced the time

※shone = shine「輝く」[動]の過去形
※lace-like = レース状の[形]、"-"の読み方
https://www.enago.jp/academy/hyphen/
-は二つ以上の言葉を繋げるんだけど、必ずしも形容詞になるわけではないっぽい。ただこの場合はlike「~のような」[形]がlace「レース」[名]に修飾してあるので形容詞となる模様。like a laceだと形容詞にはならないし、この文の場合「髪」が「レースみたい」だから説明したいのはhairであってlaceではなくて、laceは比喩表現でしかないんだよな。だからlace-likeとすることでhairの修飾語なんだよーということを表しているようにも思える。とはいえこれって-を使う語に関して普遍的に言えることではなさそう。時々に応じて、laceとlikeのどっちが言葉の中心なのか、また文の中でlace-likeとはどういう役割の言葉なのか(この文の場合は「髪」に情報を与えるパーツの一つに過ぎなかったわけ)、それを考えると形容詞なのか名詞なのか副詞なのかがちゃんと読み解けるんじゃないかな。一方でここまで考えて変換すると時間がめちゃくちゃに非効率なので頭の中で英語として考えれるようにもしたいよね。したい……(その方法は知らない)

君がそんなに笑顔でいるから
明日も晴れる気がしていた
歌が続いたら藍が続いたら
世界の果てに君を連れてこうか
Because you smiled so brightly,
it felt like tomorrow would be sunny as well
If the song continues, if the indigo continues,
shall I bring you to the end of the world?

放っといたって愛してたって
絶対僕らは消えてしまって
じゃあ全然寂しいなんて無いや無いやきっとそうだ
そうやってずっとずっと逃げていた
夏が終わることを隠していた
Even if neglected, even if loved,
we will definitely disappear
Then, it won't be lonely at all, it surely won't
Comforting myself like this, I ran and ran away
I hid the fact that summer would end

※接続詞における主語の省略
if neglected, if lovedと主語が省略されているけど、恐らくこれはwe will ~の文のweを省略してる(いちいち全部の文でweっていうとまどろっこしいから……)。
この接続詞の省略って僕すごく書くのが苦手で、そのせいでいっつも文章が冗長になっちゃうんですよね。素敵な省略なのでちゃんと身に付けていきたい。
※comforting myself like thisってよく思いつくなあ……「自分自身を快適な状態にする、こういう風に」が直訳だけどこれが「こういう風に自分自身が楽な方へ自分を快適化させていた = そうやって自分自身を誤魔化していた = ずっとずっと楽な現実へ逃げていた」になるんだよね。あーーーー上手い。そのセンス欲しいよ。絶対吸収してやる。
※willか、wouldか?
https://www.eigo-nikki.com/article/13193984.html
summer would endって言ってるけど、これwillの方が適当じゃないかなあ。the factって完全に事実を表す言葉だし、それに夏が終わるのは自明の現実で、むしろ夏が終わらないと信じていたこれまでの歌詞の方が空想的で確実性があまりにない婉曲の表現だから、summerがendするのはwill(確実性の高い未来)だよね。
ただ、もし「こんなことを言いたくないんだけど、実は、」という「話し手にとっての控えめさ」を表現したくて、この場合にsummerがendするのはwould(不確実である……と信じたい。そんなわけはないけど、でもやっぱり来てしまうんだね、という意味で、話し手にとっての願いと現実の妥協としてwillではなくwouldに落ち着いている)なのかなあ。この使い方はアリなのかな。もしアリだとしたらエモーショナルな表現で最高ですね……

君が好きな歌 好きな場所
笑い声とか香りさえも
忘れてしまうよ
忘れてしまうよ
The songs you loved, the places you loved,
even things like your laughing voice and smell,
I'll forget them all
I'll forget them all

※特に説明じゃなくてただの余談なんですけど、この、
対象(名詞) + 誰かが(主語) +~した(動詞の過去形)、からの 、
してしまった行為(動詞) + them(前文の「対象・誰かが・~した」にあたる)
とかいう構成の文章マジで大好きなんですよね。BMTHのIt Never Endsで出てくる" Everything I loved became everything I lost "とかも似た構成だね。あんなに愛していたものが、あんなに大事にしていたものが、こうなる……ていう文章構成。文章構成が美しい分日本語よりも重く輝いて見えるのは僕だけでしょうか。かもしれないな。でもBMTHのIt Never Endsで出てくるこのフレーズは是非聴いてみてほしいです。すっっっごいエモい

もしも全てが巻き戻せるなら
夏の終わりに何をしよう?
君が笑ったら僕が笑ったら
世界が思い出すかもしれないね
If everything were rewound,
what should we do at the end of summer?
If you smile, if I smile,
perhaps we will remember the world

※ifを使った文章構成は下記のように2パターンあります。
If (文1、仮定の内容) + , + (文2、仮定が叶った場合訪れる現実)
(文2、仮定が叶った場合訪れる現実) + if + (文1、仮定の内容)
後者が英語的表現「結論を先に言う」であり、前者が割と日本語に近い表現「過程を先に言う」です。
できるだけ日本語の順序に寄せようとする場合前者が用いられるんだなってことがこの曲全般を訳して分かりました。ネイティブにすると気持ち悪いのかもしれないけど、日本語的な表現を英語で楽しむ方法として受け入れてもらえるのかなあ、もらえればいいなあ、と思う次第。いやまあこの曲を英訳したのは全くもって僕じゃないんですけど。
※接続詞における主語省略の話の続き
ここではIf you smile, If I smileと主語が省略されてないです。3つの文の主語が一致していない、異なっているから。この場合は省略できないですね。でも省略表現がある歌詞でこうやって省略しない表現が出てくると途端に主語が映えるよな。さっきまでは「僕たち=we」として同一に括られていたものが「君も = you, 私も = I」という一人一人の個人として見つめ直されている。意味はweも you and Iも全く同じなんですが、一人一人にフォーカスしてどちらも同じ動作をしている、というのが、weという集団で見られるよりも格別な一体感、一つ上の感情一致を表現しているようにも見えます。
日本語の歌詞的にはこうせざるを得ない訳ではあるけれど、でもちゃんと2サビで主語を省略しておくことでラスサビのyouとIが映えてるなあ。と思った次第。そこまで考えて英訳されてないかもしれないけど。
省略・非省略をバランスよく使い分けると読み手はハッとするかもしれないな、と気付きを得ました。そもそも今まで当たり前と思っていたことに気付かされる瞬間人はぞわっとするんですよね。アハ体験っていうやつ。常識と思っていたことの成り立ちを知ることでぞわっとする。もしかすると意図はされてないかもしれないんですがほんとに素敵な訳だなあと思います。
※remember「~を思い出させる」[動]、他動詞としての使い方
rememberは自動詞「思い出す」としてよく使われる気がしているんですが、ここのperhaps we will remember the worldは完全に他動詞「~を思い出させる」ですね。「私達が世界に思い出させるかもしれない」という直訳。
この部分はもとの日本語詞でも「何を思い出すのか」をちゃんと言ってないんですよね。
世界が夏を思い出すのか。世界が君と僕がいた時間を思い出すのか。世界が君と僕の笑顔を思い出すのか。世界が僕たち2人が確かにいたことを思い出すのか。なんか全部にも思えてきますね。英詞の意図からは外れるけど、もしかすると、君のことを忘れてしまった僕がもしまた笑ったなら、君の笑顔を世界が僕に思い出させるのかもしれない。とかいうメルティランドナイトメアみたいな解釈もアリかも。素敵。
※perhaps = かもしれない[副]、確信の度合いについて
確信の度合いとしてはprobably > maybe ≒ perhapsみたいです。もしかすると、あわよくば、くらいの意味合いですね。でも希望や期待がないわけじゃない。来ていない未来にドキドキするような感じ。
歌詞にperhapsってよく出てくるよね。maybeよりよく見る気がするけどただの思い過ごしかも……使用率のデータとかあれば見たい。

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ここまでお付き合いいただいて本当にありがとうございます。

はるまきごはん氏の楽曲に僕が出会ったのは2018年の年末、なんとまあまだ20日も経ってない時です。
C95でぬゆり氏のスペースに合同で出展されると聞いて、曲名しか知らないけどとりあえず聴いてみよう、と思い聴いてみたところめちゃくちゃに感銘を受けた次第です。一気にファンになりました。あまりに良すぎたので一般流通してる限定版を後日買いに行った。それまで何も知らなかったのに。

この曲が収録されているアルバム「ネオドリームトラベラー」の楽曲のメロディーはキャッチーなんですがすごく忘れてしまいそうになるというめちゃくちゃ不思議な音楽になってます。まさに夢の中、儚くてすぐに消えてしまいそうな、手にすれば忘れ去ってしまうようなメロディ。いやほんとにそうなんです。聴いたら分かる。「あんなに良いと思ってたはずなのにはっきりメロディが思い出せない……」ってなります。歌詞も重みがあるんじゃなくて透明感があって、でも注視するとすごく共感できるところがあって、なんだか、うたた寝してるときに思いついては目覚めると忘れるような言葉を書き連ねているようにも思います。それが音楽と滅茶苦茶にマッチングしてて、「あんなに良いと思ってたのに思い出せない!」→もう一回流す→「そうそうこれこれ!」→聴き終わってしばらく経つ→「前よりは覚えてるけどなんだっけ……」のループ。この世界にハマると抜け出せないんですよね。そしてループに入る度に新しい発見が世界観を彩っていく。本当に素敵だなあと思います。

この英訳を書かれたTethysTranslates氏に敬意を表します。美しくて理路整然とした訳でした。勉強になりました。


-余談-

そもそも僕が今年の頭からずっと英詞の和訳をしている理由は散々お話してきたとおりで「自分の勉強のため」が1つなのですが、英詞の和訳だけだと英→日の一方通行で、英語を理解したことには全然なってないなと気付いたのと、あとは正直に言うと一方通行だと結構適当にやっちゃう時もあるんです。無意識に。人間楽な方に逃げちゃうからね。そして結局感覚で英詞を訳して、全く自分の身にはなってないんじゃないか……と思うこともありました。

で、この度思ったんです。「youtubeの日本語MVってよく誰か訳してくれてるよな。自分の訳じゃなくて誰かの訳にこだわるだけでなく誰かの訳から学べることもあるかも」と思い、はじめは脳死で英字幕をメモにカタカタと入力していく。で、これじゃただの人間コピーマシンだ、となって英語を日本語と突き合わせてちゃんと読んでいく。

これがめちゃくちゃに面白かったんですよね。調べれば調べるほど「よく考えられた英訳だなあ」となると同時に本来の歌詞への理解も深まって、
①よく知っている作品をさらに読み解きながら
②英語表現と日本語表現の学習を進められる
ということに気付いたんです。いやあ、「好き」の力は凄いですね。こんなに僕に合った英語の学習法が他にあるだろうか。

学生の頃恩師から教わった「日本語発(もしくは英語発)の文献を英訳(もしくは和訳)したものを二つ付き合わせて解読する」という勉強法があります。
でもなかなか本の形だとすっと文章を頭に入れるのが難しかったり、文字を追うだけだと退屈になってしまうことが僕の場合はありました。なので不勉強だったんです。面倒だけど勉強になると分かっていてサボってた。

で、この方法を知った後ある授業に出会うんですよね。これを応用させて英詞の和訳の課題を出して、次の1コマ~3コマくらいを使ってその英詞の解説を文法的にやっていくっていう授業があって、でも授業の形態だから「面白いやり方だな」と思いこそはすれ自由な発想は生まれにくいので難しいなとも思っていた。

いざ自分で好きな曲に対してやるとクソ楽しいな。ということに気付きました。音楽最高すぎる。付け焼刃の英語知識を調べてちゃんと強固にしてから酔狂な文章を書き殴るの楽しすぎる。不快だったらごめんなさい。あわよくば何が不快なのか何が正しくないのか説明していただけると、皮肉ではなく本心で、とてもとても嬉しいです。


-余談の余談(本当に最後)-


あと以下、加算名詞と非加算名詞について考えてた時の若干気持ち悪いメモです。物好きの方はどうぞ。


※それにしても英語と日本語の「量」の捉え方の違いは不思議ですね……日本語では水と椅子を同じく「多い」「少ない」でしか表さないのに英語では水が「little」椅子が「a little」として「数えられるか数えられないか」を明確に区別するのは不思議。あとsnowとかは加算snowsにしたり非加算snowにしたりで場面によって加算として扱うか非加算として扱うか異なる……
なんて頭の中で堂々巡りしたので加算名詞と非加算名詞について文献を探しました。
https://toiguru.jp/count-and-mass-nouns
読んで思ったのは、日本語は対象とする物がどういう性質なのかをすごく曖昧にする一方で、英語はちゃんと明確にしようとしている。
例えば冠詞「a(いくつかあるうちの一つ、どれを選んでも同じ性質)」「the(明確に一つしか存在しないもの、同じものでもこれ1つしか今から説明する性質は持たない)」……はこのように性質が異なる。
例えば松岡修造著の本が100冊本棚にあったとして、この中から適当に一冊を抜き出して友達に「松岡修造の本だよ」と提供しても、友達が読むのは松岡修造の書いた本であるという事実は変わらない。
ところが同じ松岡修造著の本でも「タイトル:人生を強く生きる83の言葉」と「タイトル:まいにち、修造!」は書いてある内容が異なる。もしくは同じタイトルの本でも、1冊は読んだ自分のメモがびっしりと書いてある本があったら?「一様に100冊本棚にある松岡修造の本」が、「同じ松岡修造の本でも内容が違う」「同じ松岡修造の本でも人に見せられないメモが書いてある」という風に状況が一変する。a book「どの本を渡しても良かった」がthe book「渡しても意図していることが伝わらない本が存在する」ということが伝わるのだ。
「同じ群の中では無数にあるありふれているもの(非加算、a)」なのか「同じ群に見えても実は一つしかない特別なもの(加算、the」なのかをすごく大事に表現する、これが英語である、と一つ言えるんじゃないかなあ。自由を重んじる、他者を認めるということは、誰が他と比べてどれだけ特別なものを持っているかを知ることだからなあ。と思った次第。
ただ、英語はこのように物でも人でも感情でも全部加算か非加算かを区別している一方で「物に魂が宿る」という考えは日本特有の「八百万の神々」がベースなので、「物にまでそこまで特別か特別でないかを考えているんだね!」と考えるのは日本人である僕の妄想なのかもしれない。
とはいえwaterであるにしてもcarであるにしてもpuppetであるにしても人間小さい頃一度くらいは物に愛着を持ったりするものじゃないですかね。これは万国共通の考えであり普遍的であり大きくなるにつれて忘れ去られていく面もあるんじゃないかなあと。
でも物を擬人化するまでに至る発想は日本が最初だったし程度の違いはあるのかな。やっぱり環境の力って無意識に働いてるのかな。怖いな。話が脱線しすぎました。
さらに余談をすると流石にpersonを非加算名詞として使う、つまり「人がゴミのようだ」みたいに一人一人を区別しないっていう用例は、流石にないよな……いやpersonに対してsを付加せず敢えてpeopleにするところに「有象無象」という意味も含まれている気がしないでもない……some peopleというと特定的だけどmany peopleというと主語がデカいからな……いやsome peopleでも十分にデカいな……言語圏関係なく、主語がでかい = 人を不加算名詞として捉える傾向がある、のかもしれない……マクロ目線は傾向を掴んで客観的データを抽出するのには向いてるけどミクロに一つ一つの振る舞いを見ないと「幸せ」を見誤る場合があるよね……つまりもっと一人一人と向き合えよ……そういう余裕を作れよ……というのは自戒の意味も込めて。


まあまとめると、a, theみたいに数値や程度を明確に「区別する」英語は悪い意味で差別的、良い意味で唯一性を認める向きがあり、「区別しない」日本語は悪い意味で出る杭を打つ、良い意味で平等を目指している、のかもしれないね。言い方を変えれば英語は客観的であり日本語は主観的なのかな。でも現実に平等なんて実現していないから僕ら日本人はよく不満不平として「全人類平等なんて嘘だ」と、日本的常識にNoを突きつけようとするのかもしれない。ああ、こう考えると、何に反発するのかも含めて、僕らは環境とか常識に縛られているのかもしれない。ただ環境や常識に縛られるのが悪いのではなくて、それは人類が何千年をかけて築いてきた英知の積み重ねと言っても過言ではないのだから、つまり、携える常識、いるべき環境を選ぶことが大事だということだと僕は思うんだよね。
言語的に曖昧模糊にされているところに僕らの「当たり前」は眠っているかもしれない。そしてその当たり前が個々人にとって適しているか不適なのかも含めて考えることが、僕ら一人一人の幸福につながるのかもしれない。かもしれないよね。


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