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すべてを擲つに値する希求

自作詩(東方Project二次創作)

 天体の死するとき/赤蛮奇

解説:

 『東方輝針城』において描かれるのは、小さく声なきものたちの反抗である。少彦名命あるいは一寸法師の名を冠する小人『少名針妙丸《すくなしんみょうまる》』の持つ秘宝、打ち出の小槌の魔力によって、力無き草の根妖怪たちが奮起し、声なき道具たちに付喪神が宿り、妖怪退治の巫女など力ある者への反抗を行う。その糸を引いていたのは、周囲の物事に対し反発的な姿勢や態度を取ることしかできない妖怪、天邪鬼の鬼人正邪《きじんせいじゃ》であった。この異変が終わった後、鬼人正邪は単身またも革命を企て、幻想郷中から追われる身となる。それでも懲りることも降伏することもない。鬼人正邪にとって反抗とは、息をするも同然、己の存在に必要な構成要素なのだから。

 赤蛮奇《せきばんき》は飛頭蛮・デュラハン・ろくろ首の要素を持った妖怪である。これら怪異は様々なバリエーションがあり、頭と胴体が完全に分離しているもの、首が長く伸びるもの、首の代わりに内臓を提げながら頭を飛ばすものなどがある。赤蛮奇は頭と胴体が分離しており、かつ複数の首を従えて同時に相手へ襲いかかる、といった描写がある。
 赤蛮奇は通常、世俗を離れて暮らし、衝突や交流を好まない性分のキャラクターだが、打ち出の小槌の魔力にあてられ、プレイヤーキャラへと襲いかかる、といった説明が作品中において為される。


 俺の中での赤蛮奇のイメージは、東方輝針城という作品の持つイメージ「反抗」と、彼女自身が持つ「厭世」の性分との合いの子だ。そして俺はさらに言うと、厭世とは個人的な感傷を含む感情だと思っている。
 少なくとも俺の場合、世を疎み、これ以上誰とも関わりたくないと思うのは、自分自身への愛想が尽きたときだった。「周囲の人間とは自分の鏡である」とはよく言われるたとえだが、厭世になるときはまさにこれが起きていて、人と話し、人を知る度に、自分の嫌な部分ばかりが浮き彫りにされていくのだ。言葉の表現一つ取って、俺は嫌な言い方をするよなとか、咄嗟の行動一つを見比べて、俺はこんなこともできていないのだな、と認識する。それは人間社会にいる以上あるべき気付きだとも思う。人間関係とは、自身と他者がどう違うのかを知っていく営為でもあり、それを知ることを放棄した人間関係は閉塞的だ。つまりは俺は、他者と自分の間にある途方もない違いを、埋めようがないと思ってしまうくらいの断絶を、できる限り認識したくなくて、厭世に傾倒することがある。そしてなるべく一人きりの世界に籠もって、そこでじくじくとした、不可分な想いを抱えていくことになる。
 俺にとっての厭世と、それによって得る、他者からの理解を遠ざけるような自分への不信。それが募った結果の革命と反抗。そういうものを、赤蛮奇の詩に込めたつもりだ。それは決して前向きではない。俺の性分が嫌いで、それを滅ぼしたくて、世界の気に入らない部分に否を突きつけるのは、おそらく醜い衝動だ。それでも、その結果が何をもたらすのか、あるいは何も成し得ないのか、それは分からない。


 この詩にはもう一つモチーフがある。題名『天体の死する時』、途中にある「ありふれた今日を消し去って……」、そして「頭部を抱える それはかつての……」のフレーズは、楽曲『Planetary Suicide』のタイトル・歌詞・ジャケ写から取っている。


 ろくろ首・デュラハンといった妖怪を考えるとき、このPlanetary Suicideのジャケットが過った。Vocaloidのキャラクターの一人である巡音ルカと思われる人物の頭部が女性に抱きかかえられているという強烈な画。しかしその色遣いと線の微細さは儚さと狂気を同時に孕んでいる。収録される楽曲の空気感やアプローチもこの鮮烈さとあまりに調和していて、鮮烈な体験をした記憶がある。

 この首はこの女性と同一人物なのか、別の人の首なのか。首はレプリカなのか、それとも実物なのか。人間の首か、怪異の類か。首は自然な在り様として落ちているのか、不自然なまでに落とされたのか。分離、断頭、裁断、別離。たった一つのモチーフが、様々を連想させる。
 俺にとっては、前述の反抗というイメージと合わさった。それは一種の革命。それはかつての自身を超える出来事。
 だけど、自分を超えるために飛び立った足は、地上高10メートルから飛び降りているだけの蛮勇なのかもしれない。けれど蛮勇であったとしても、超えなくてはならなかった。飛ばなくてはならなかった。そうしなければ、普通の人が持ち得るような普遍さえも、自分には掴むことができなかったのだから。

 在りし日の思い出、かつてあった自分、それを裁断して葬ってしまってでも、手にしたいものがあった。かくして天体は、肉体とのつながりを失った。失って、どこに向かうのだろう。その首は、Planetary Suicideのように、誰かに抱えられるのだろうか。それとも、俺の身体が、俺の首を抱きかかえているのだろうか。さながらデュラハンのように、彷徨っている。首のあるべき場所を探している。そういう、取り戻せない、決意の断頭が、この詩だ。


自殺に理由はない。たんに、今日は飛べなかっただけだろう

空の境界(上) - 俯瞰風景