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ハイカラおばあちゃんと紅茶

おばあちゃんは、とてもおしゃれだ。

私がまだ高校生の頃、当時60代後半だったおばあちゃんは何も予定がないときでも化粧を完璧にしていて、補正下着まで付けていた。体型が崩れるのがいやだからと言って。

「こんなふうに、年齢を重ねてもオンナでいたいなぁ」と思った。目標となる女性が身近にいてくれるのは嬉しい。

うちの家族は、自分も含めた両親兄弟そろってファッションセンスが皆無。そんな中、おばあちゃんは異質な存在だったと思う。

さらに、かなり勝気な面もある。息子である父のことを「おまえ」と呼び、孫である私のことを「あんた」と呼んだ(ただし嫁である母に対しては「ミワコさん」と丁寧に)。

会いに行くと、おばあちゃんはいつも温かい紅茶を淹れてくれた。品のあるアンティークのティーカップ。白地に花柄の模様で、うっかりすると割れそうに繊細な。

普段100均で買ったような安物の食器しか使っていない私にとっては、おばあちゃんと紅茶を飲んでいるときが、とても気高い空間にいるかのように思えた。

紅茶は少しだけ熱くて、お喋りしているといい感じの温度になる。当時は気付いていなかったが、いま振り返って考えると、おばあちゃんの細やかな心遣いがそこにあった。

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そんなおばあちゃんに変化が訪れたのは、私が20代前半になってからだ。

きっかけは、夫(祖父)を亡くしたこと。20年ほど飼っていたペットのマルチーズが老死したことで、すっかり元気を失った祖父は、ほどなくしてガンを患った。2年ほどの闘病期間を経て、帰らぬ人となってしまった。

そして、さらなる悲劇がおばあちゃんを襲う。娘(叔母)まで同じガンで亡くなったのだ。

当時は「大変だろうな」「かわいそうに」なんて思うことで、おばあちゃんの悲しみを理解していたつもりだったけれど。大人になり、いざ自分が家族を持ってみて、これらの出来事がどれだけおばあちゃんの心に大きな喪失感と絶望を与えたことか。想像しただけで胸が痛む。

すっかり弱ってしまった心に追い討ちをかけるかのように、ある日の散歩中ひったくりに遭ったおばあちゃんは、バッグを引っ張られた反動で頬と足首に傷を負い、しばらく外に出れなくなった。

夫、ペット、時々訪ねていた娘。みんな失ってしまったおばあちゃんは、家にいつも一人きりで。

私は、父母と一緒にたびたび会いに行った。

もう紅茶を淹れてくれることはない。おばあちゃんは白湯か緑茶ばかり飲んでいて、補正下着はおろか、化粧もほとんどしなくなっていた。

そんな状態だったから、おばあちゃんにアメリカ行きのことを告げるのは、ものすごくためらいがあった。

30歳を節目に、最後の大きなチャレンジとして決めた渡米。期間は18ヶ月だったが、私とおばあちゃんそれぞれにとっての「一年半」はまったく重みが違う。

出発直前になって、ようやく言えたとき、おばあちゃんは泣いていた。「どうしてそんな怖い国に行くんだ」と。ついこの間ニュースを見ているとアメリカの発砲事件を取り扱っていたらしい。

必ず帰ってくると言って、私はアメリカへ旅立った。

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おばあちゃんと私は、血が繋がっていない。

父と母は再婚で、私は母の連れ子。本当の父は、早くに病死している。

幼い頃の出来事なので、家族が減ったり増えたりしたときのことは、ほとんど記憶にない。だから物心ついたときからおばあちゃんは私にとっておばあちゃんだった。

「あんたのお父さんは、はよう病気で亡くなったんよ。忘れたらいかんよ」

いまいち状況がつかめていなかった小さな私に、はっきりとそう教えてくれたことがあった。今となってはそれもおばあちゃんなりの優しさだったとわかるけれど、側から見ると「今のお父さんは、本当のお父さんじゃないよ」という現実を突きつけていて、なんとも容赦ない一言だったと思う。

兄が連れてきたお嫁さん候補の女性に対して「好まない」とはっきり意思表示して大騒ぎになったこともある。

言わなくていいこともあるんじゃない、と生意気にも意見する私に対して、おばあちゃんはいつも「武士の家系やけん、仕方ない」と言い張った。

いつもハラハラさせられた。でも裏表のないところも好きだった。

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18ヶ月のアメリカ生活に区切りがつき、一度日本へ帰省することを決めたとき、私には家族に紹介したい人がいた。

当時恋人だった今の夫。アメリカで出会った、日本人だ。

帰省したのは年末年始。1月1日には親戚がおばあちゃんへ挨拶に来ることが通例で、彼はそこへ乗り込むこととなった。

迎えてくれたおばあちゃんは、前より少し痩せていて、ほんのり薄化粧をしていた。ワインの色に深みを加えたようなワンピース。身だしなみを整えた姿を見るのはいつぶりだろう。

「よう帰ってきたね。そちらさんは、あんたの良い人かい?」

彼はぺこりと会釈をして「はじめまして」と言う。さぁさぁ、と案内したリビング代わりの畳部屋で、少し会話をしたあと、おばあちゃんはそそくさと台所に行って何かを準備し始めた。

しばらくして、紅茶が運ばれてきた。いつかの、見覚えあるティーカップ。

どうぞ、と差し出す震えた手を見つめながら。おばあちゃんが淹れてくれた紅茶を口に含んだら、温かさと、懐かしさに、涙が溢れそうになった。

彼が家族の一員になることを認めてくれたのだろうか。

「この子は、私に似て気が強かけん、苦労されとるでしょう?」

あはは、と肯定も否定もしない彼の笑い声が響く。

そんな二人の姿を眺めながら、おばあちゃんとは、あと何度こうやって一緒に紅茶を飲むことができるだろう。ふと考えて無性に寂しくなった。

お年寄りには、フルーツを入れた紅茶がおすすめらしい。ビタミンが摂れるから体にいいんだとか。おばあちゃんはみかんが好きだ。今度は私が紅茶を淹れて、オレンジを添えてみようか。

ハイカラなおばあちゃんに、きっと似合う。

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