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家族という思考停止装置

家族を社会最小のセーフティネットにしたのは政治の怠惰である

人が人の倫理に個人(単体)で責任などとうて持てない

家族の徹底した排除を目指す女性と「母性」を捨てきれない男性の物語

・・・

今年の3月に書いて、下書きのままだった投稿を掘り起こす

最後の一文は若干、蛇足ではあるけど、我ながらタイトルはいけていると思う(自己満足である)

家族って言葉は強烈だ

良い、悪いという基準ではなく、単に強烈

故に、多くの場合、思考を停止させてしまう。停止していることに気がつくこともなかなかない

家族のために、家族だから、家族ではあるけど・・・

どれも、圧倒的かつ底知れないパワーで人の思考を停止させる

家族ってものはないよりあった方がいい、壊れているより、壊れていない方がいい

という価値観が生きづらさを生み出し、また、同時に家族に救いを求める思考を醸成する

そして、結局のところ、家族には、何の救いもないことに気づく(気づかないことも多い)

社会活動の基盤を家族としたことが、近代社会の成り立ちに都合がよかったことは間違いないだろう

ただ、同時に、犠牲を生み出すことをきっと先人は知っていた

必要悪としての家族

時間は経過し、多くの人は、家族という圧倒的支配力を持つ、暴力的な言葉が実は犠牲と矛盾を内包していることを、すっかり忘れてしまったかのように日々を過ごす

思考停止

その状態が心地よくさえあるから



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