人の役に立つのは難しい?

仕事がうまくいかないとき、「え、やだ、今私びっくりするくらい誰の役にも立っていないんじゃない…?」と思う時がある。その状態で残業とかしていると、もはや電気代や残業代だけを会社から搾取しているような気持ちになってきて、この場からいなくなることが一番の貢献なのでは…と思えてくる。

そうなると厄介なのは、ただでさえ低いパフォーマンスがより下がること。どんな仕事でも、どんな状況でも前向きに取り組む方が圧倒的に品質が良いことはよくわかっている。でもこの悪循環に入り込むとこれまた抜け出すのが難しい。本当に困る。

今の仕事に転職をして2年半ほど。やるべきことは一通りわかるようになったけど、できるかといえば別の話。そして、当然最初の頃のように、分かりやすく「できないことができるようになる」という出来事は少ない。ありたい姿を見い出し、意思を持って取り組んでいかなければ、成長実感を得ることも難しい。

もう27歳だし、つまらないと思ってしまえばなにもかもがつまらなくなることは知っている。でもありたい姿を見つけることは難しく、見つからないのであれば、まずは目の前のことをしっかりやろうと思うけど、何を大事にしたいのか明確にならない状態では、何に向かっているのか分からなくてどうにも辛くて仕方ないのだ。そんな堂々巡りをくりかえしてきた半年だった。

ただ、ビジネスマンとして、さすがにこのマインドを外に出すことだけはするまい、と過ごしてきた。当たり前だけど、もともと感情もろだしモンスターなので、私に取ってはかなり難易度が高いチャレンジだった。

そんなこんなで、相変わらず自分のことでいっぱいいっぱいで終わったこの下半期。やれやれである。

とても他の人には言えないこの下半期が終わるこの3月に、1月〜3月の期間同じチームで働いてきた同い年の子が異動で組織を去ることに。最後に手紙をくれた。感情もろだしモンスターである私は、これだけで泣けたが、このチームで働いて初めて、チームで働く楽しさやこの仕事の面白さを感じることができたし、同い年の私とくだらない話もたくさんできて、とても楽しかった、という言葉にさらに泣いた。

知らなかった、そんなふうに感じてくれているなんて。

もちろん他にもリーダーやメンバーがいるから、私一人の力じゃないことはわかっている。でも超図々しく捉えて、私も少しは役に立っている…?とも思えた。私が一人で悶々となんとか過ごしてきた日々を隣で楽しいと感じてくれている人がいた。

まだまだ未熟な私は基本的に自分のことしか考えていないし、他者のことを考えているとしたら、多分それは自分がどう見られているかを気にしているときだ。それなのに誰の役にも立てないと思うことがたくさんあって、その図々しさにもがっかりする。

でも、なんとか前向きに過ごそうと試行錯誤していることが、他の人の楽しさや喜びの一助になっていることがあるのだ。とても小さなことかもしれないけど、バタフライ効果的な感じで、何が最も効いたのかなんてどうせ分からないんだから。

分かりやすい成果を残したいという思いも大切だとわかっている。でもそこに向かう過程の小さなプロセスが思いもよらぬ効果を生むこともある。

誰の役にも立てないと無駄に卑下するでもなく、かと言って、手を抜くのでもなくて、今やれる精一杯を過ごして、意外と誰かの役に立っているかもよ?と自分を励ましていく。調子に乗らず冷静に。前向きになれるのならそれでいいじゃない。

こんなことを偉そうに言っているけど、どうせ数日後には私なんてここにいない方がいいのでは…と思い始めるんだろうなあ。まあ…頑張れ、私。

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