あわいの力で未来を大丈夫にする話
銚子出身の能楽師、安田登さんの本「あわいの力」を読んだ。
西洋音楽のメトロノームのような一定のリズムは、聴いているうちに次のリズムが予知できる。
つまり、予め未来を確定させる。
対して昔の日本の鞠つき歌は、鞠が次の一音の間隔を決める。
昔は地面が凸凹だったから、常に「今」に居ないと取りこぼしてしまう。
そんな話を読んで、びっくりしていろいろな事に繋がった。
一定のリズムが続いていくと、脳(心)は未来を先取りする。
将来への強い不安というものも、これと同じかもしれないと思った。
このままいくとこうなるよね。という幻に飲み込まれることで起こるのでは。
未来は一定のリズムではやってこない。
鞠の弾みのように、そもそも揺らいでいる。
おもしろくもない単調なリズムを延々と聞かされるのは苦痛だ。
だけどもしかしたら、「安定した生活」というのはそういうことなんじゃないか?と考えてしまった。
安定が崩れることが怖いから、挑戦もしない。
その恐れがじわじわと、自分の安定を益々弱いものにする。
多少不安定で不規則でも、「大丈夫!」と言えることが、安定を作るのではないかと思ったりした。
例えば鞠の弾み方がそもそも変だったらどうかと考えてみて、ラグビーを思い出した。
偏見かもしれないけれど、身近なラガーマンは大体のことは大丈夫と言う。(あと、あまり靴下を履かない)
そして実際に大丈夫になる。
不確定な未来に、他の人間と全身でぶつかりながら対処する。
これは、きっとすごい経験なのだと思う。
それから、モンゴルで経験した乗馬も思い出した。
馬を恐れていると、恐れが馬に伝わってしまってうまくいかない。
「大丈夫!一緒に楽しもう!」と思っているだけで、馬の態度は本当に変わる。
馬は、歩きと駆け足の間に「速足」と呼ばれる段階がある。
速足が一番不安定で、自分自身が跳ね飛ばされそうになる。
つまり、自分自身が鞠のようになる。
それを超えた駆け足は、一転して別世界のように静かになる。
とはいえ、速足の感覚に触れていないと、あっという間に飛ばされると思う。
一番弾んでしまう不安定な状態を大丈夫にできるかどうかで、次の段階の安定を手にいれる。
早く回る駒は安定するし、出過ぎた杭は打たれない。
安定は、不安定を大丈夫にすることで見えてきたりする。
あわいの力で、未来が少し大丈夫に思えた。