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時間

「現在の時間と過去の時間はおそらく共に未来の時間の中に現在し、未来の時間はまた過去の時間の中に含まれる。あらゆる時間が永遠に現在するとすれば、あらゆる時間は償うことのできぬもの。こうもあり得たと思うことは一つの抽象であり、永遠に可能態以上のものではなくただ思念の世界にとどまる。こうもあり得たと思うことと、こうなってきたこととは常に一つの終わりに向かう」。

 上の文章は、T.S.エリオットの詩『四つの四重奏』の始まりの言葉である。エリオットはこの難解な詩において、時間について、生と死について、永遠と一瞬について、様々な考察を行っている。『四つの四重奏』は「バーント・ノートン」、「イースト・コウカー」、「ドライ・サルヴェイジズ」、「リトル・ギディング」の四つの詩の部分に分かれていて、四大元素(地、水、火、風)をそれぞれ配した四篇の連作詩となっている。

 「バーント・ノートン」は時間について深く思索された詩であり、哲学的瞑想詩でもある。第Ⅰ楽章では、詩人が訪れた薔薇園の様子が描かれていて、薔薇や鳥たちやこの園に住みついている木霊や隠れて聞こえぬ音楽がヴィジョンとなっている。乾いた池には蓮が伸びている。光に包まれた薔薇園の美しさが描写されるが、それらは時間と共に滅びるものであり、人間はあまり多くの真実に耐えられないと鳥が言う。時間は常に現在する一つの終わりに向かう。

 第Ⅱ楽章では、舞踏と静止の点について奏でられる。静止の点に舞踏はあるが、抑止も運動もない。過去と未来が収斂する点である。運動のない《止揚》、消去のない集中、新しい世界と古い世界が明瞭にされ、了解される。過去の時間と未来の時間はごくわずかの意識しか許さない。時間を通してのみ時間は克服される。

 第Ⅲ楽章では暗黒の世界が描かれる。前にある時間と後ろにある時間は鈍い光の中にある。魂を浄化する、そんな暗黒はない。病に冒された魂の臭いおくびが、その生とも死ともつかぬものが、ロンドンを駆け抜ける。そして永遠の孤独の世界へ、ひたすら下降する。内なる暗黒は運動の抑止にこそある。世界は今も止みがたい欲望の軌道を動いている、過去の時間と未来の時間の道を。

 第Ⅳ楽章では、時間と晩鐘が一日を埋葬し、黒い雲が太陽を運び去る。光は静かに廻る世界の静止の点に。

 第Ⅴ楽章では、ただ時間の中を言葉は動く、音楽は動く。生きているだけのものが死ぬことができるだけのように、言葉は語られてのち沈黙に変わる。そして静寂が流れる。初めの前と終わりの後に常に終わりと初めがあるような静けさ。すべては常に、今、存在する。とりとめモもないお喋りが言葉を侵害する。欲望はそれ自体が動きであり、本質は望ましくない。愛はそれ自体は動かぬもの、運動の起源と終焉にほかならない。不毛の悲しい時間が愚かしくも前にも後ろにも伸びている。

          fin

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