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4000週間のうちに何をみつけるかという話

ここ最近、ちょっとした欲が出てきた。
しかも欲同士がつながっていくものだから、厄介なものである。

例えば、noteで記事を書きたい!←だからPC買っちゃおう!

記事に写真をつけたい!←なんならカメラ買っちゃう?

カメラ買ったら家族の写真残したい!←せっかくなら旅行先の写真残しちゃう?

といった具合に、一事が万事こんな感じで際限がないのである。

最近であれば、FF7リバースやりたい!←プレステポータルお迎えしちゃおう!

せっかくならCV:櫻井孝宏をいい音で聞いてみない?←ちょっといい有線イヤホン買ってみよう!

みたいな感じである。

自分の懐が許している間はいいのだが、ずっとこのままではいけない。

はて、どうしてこんな風になったのだろう。

断言はできないけれども、こんな風に考えるようになった出来事の1つに1冊の本との出会いがある。
それがこちら。

まだ読んでいる最中なので本の内容を完全に解説できるわけではない。
けれども、ちょっぴり心にひっかかるフレーズが出てくるのだ。
「人生は4000週間」「人は強制されなければ休めない」などなど。

「○○が片付いたらゆっくりするんだ!」と考えて、そのゆっくりの間に何
の生産性もない(と思っている)ことをやろうと企図する。

これって、世間の誰にでも引っかかることではないだろうか?

ただ、4000週間の間に○○が片付いて優雅に過ごせることはないのだとこの本は教えてくれる。

4000週間、「有意義」で過ごすことはできないのだ。裏を返せば、自分は「有意義」な仕事や生産性のために生まれてきたわけじゃない。
生産性のないこと=無価値じゃないんだということを納得いくように話をしてくれているのだ。

当たり前なんだけれども、普段忘れがちになってしまうこの前提。
新しい視点をこの本からもらえている気がするので、仕事に疲れてきた人におススメしておきたい。

「人生は4000週間、結構短いぞ」ということを盾にして、自分の興味赴くままに過ごしてみると生活にハリが出てくる・・・気がする。

だから、純粋に楽しむためにnoteを書いてみたり、写真を撮ったり、いい音でゲームをしてみようと思う。

その積み重ねが私の人生にちょっとだけ深みを与えてくれるかもしれない。
そうこうしているうちに、4000週間を楽しむために買ったツールについて書きたくなってきた。

それは、また次の機会に。

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