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才能は借り物だとしたら

「食べて、祈って、恋をして」というエッセイはご存知でしょうか。ジュリア・ロバーツ主演の映画になるほどの世界的ベストセラーになり、欧米では多くの女性に人気を博したことで有名です。
その作家のエリザベス・ギルバートは、私の大好きな作家のひとり。エッセイ以外にも小説を何冊も書いたりと、とにかくすごい方なのですが、その方が数年前のTED Talkで面白いことを話されています。
それは、創造性は人間の中ではなく、外からきているものだ、という考え方。例えば人は天才を見たときに「She/He is a genius」とよく言いますが、そうではなくて、「She/He has a genius」と捉える考え方です。

彼女の主張はこう。多くの才能ある作家や芸術家は、才能の根源を自分だと信じるがために、過度にプレッシャーを感じ、うまくいかないと自分を責めて苦しむ。歴史的に見て作家や芸術家に自殺が多いのも、それが加担しているのはないかということ。
でも昔の人たちは創造性を別の者のしわざと考えていたみたいです。ソクラテスが自分にアイデアをくれる「デイモン」がいる、と考えていたのは有名な話(だそうです)。科学が発達し、現実主義が浸透してから、今の人間中心の考えになったのだとか。

私は「デイモン」的な考え方にすごく共感する。絵を描いているとき、何かに助けられているような感じがするからです。

絵を描いているときの感覚を説明するとしたら、脳みそを半分からっぽにしているような状態。ラジオの周波数を調節する時と似ていて、良い感じにぼーっとなれると、アイデアをキャッチできる。そうやって良い周波数を保っていると、今度はアイデアの方が私をのっとる。時間を忘れて没頭し、気付いたら数時間経っているときはまさにこの状態。逆にうまくぼーっとなれないときは途切れ途切れのラジオと同じで、アイデアがなかなか入ってこなくて波に乗れない。

以前は、絵は自分の中から出てくるものだと思っていました。でも仕上がった作品を見ると、当初の計画とはいつも異なっていて、自分のどこから出てきたのかわからず、不思議になる。作風が変わったり、想像以上に美しいものができたときはもう、だれかのいたずらとしか言いようがない。

そういうときはきっと、私の「デイモン」のしわざに違いない。

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