ダウン症それがどうしたと思えるママになるための100のステップ ステップ91もう一度飛び立つ為には一度完璧に灰にならなくてはいけない
ステップ91もう一度飛び立つ為には一度完璧に灰にならなくてはいけない
自分の死のを意識して初めて
人は生きる事を考え始める
死の大半の人は自分の死について
考えながら生きている人は
いないんじゃないだろうか?
余命宣告を受けたり、
身近な人が亡くなったり
事故にあったり
そんな事を体験して初めて
期限のある時間を自分が生きているということを
再確認することになる。
死んだら自分の魂はどうなるのか?
そんなこと考えたことはあるだろうか?
宗教によって死後の世界の考え方は違うので一概に言えないし、
誰も行って帰って来た記憶のある人もいないので
こうであると言い切れないのだけれど。
だからこそ、
私がどうなると思っているかについて簡単に書こう。
私は一人それぞれ何かこれを経験したいという
カリキュラムを持って
生まれてきていると考えている。
カリキュラムの中に
子育がある人、
子供がいないカリキュラム設定の人
障害を持って生まれてくる人、
生きている途中で重い障害を持つ人
お金がありすぎてそれが生きにくさにつながる人
仕事に全情熱を捧げる人
応援歌を作る人
小説を書く人
カリキュラムはそれぞれで
例えていうなら学校の時間割のようなものだ
国語は入ってるけど
英語は入ってない人もいれば
社会と数学ばかりの時間割の人もいる。
死んだ後私の魂は
今まで慣れ親しんだ車のように乗っていた
体を離れて
ソウルとなって光の集まりに戻ってゆく。
そして戻っていった光の集まりの中で
生きているときにこんな事を経験して
こんな風に感じたんだという話をして
自分の経験をシェアし合う。
そうする事で
グループの光はより明るくなり
意識のレベルを高め合うことができる。
私はそんな風に考えている
それで、
もしそうであるなら
死んでから経験、考えや、感じた事を
シェアするのは一足遅いのではないか?と思う。
もし生きている間に
私たちがシェアし合えたら
生きている間に
意識を高め合うことができるのではないかと?
そう思わない?
だから、私はできるだけ正直に人と話をして
体験を通して学んだ事を生きているうちに
誰かに伝えたいし聞きたいと思う。
そして今自分という人間で
私のカリキュラムを誠実にやりきってやろう
踊りきってやろうと思う。
そんなに時間があるわけではない
嫌いな事をやっている時間もない。
時間の無駄であると感じることは切り捨てる。
社交辞令で右のものを左に
左のものを右に変えるような
作り笑いの会話を繰り返していたら
自分を失ってしまう。
誰かを演じなくて良い
自分を意識を大切にがっつり自分の思いを突き通して。
そうした時
あなたが両手に大切だと思って抱えていた
いらないものは一度灰になり
灰に中からフェニックスが生まれ
空に飛び上がる
あなたはどう思う?
飛び上がったあなたの目には
なにが映っているだろうね?
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