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もしも辛い苦しいなど負の感情が無い世界だったら~私の妄想もしもシリーズ~

もし負の感情が無い世界だったら

もし、世界が苦しいや辛いなどの負の感情が無い世界になったら、人を攻撃することも非難することもなくただただ楽しいと嬉しいと好きなことだらけの世界だったら。

今回も超くだらないが勝手にそんな世界を妄想していこうと思う。

ただ、今までとちょっと違うのは食べ物とか物体ではなく感情に視点を当てた話になる。

あとこれは私が勝手に好きに妄想したことなので答えでも正論でもなんでもない異次元の話だと思って聞いてほしい。

とくに定義もルールもない話です……(笑)

楽しいことがいつもより楽しいと感じなくなる

辛いことが無いからずっと幸せでいられるとは限らない。

楽しいことがただただ続けば楽しいことをより楽しいと心から感じられなくなるだろう。私は実際辛い毎日から抜け、仕事を辞めて好きなことをただただする時期を少し作ったことがあったのだが、超つまんなかった。

だから少し休むつもりがすぐに転職活動をし働き始めたことがある。

別に辛いことから抜け出したのだから辛くは無くなってよかったが、それで楽しい毎日がずっと続いたかというと違った。

休んでいる時「あの時はあんなに楽しかったのに何で?」そう疑問に思った。

それは、辛いことがあったから楽しいことをより楽しいと感じ楽しめていたのだった。

なんだかんだ、働くことも辛いと感じながらその中にある喜びが私に自信をくれたし原動力にもなった。

辛い物を食べた後に甘いものが食べたくなるように。

暑いから涼しいところが快適に感じられるように。

人間の感情も辛いことがあるからこそ、嬉しいや楽しいのときめきの感情が膨らむものなのだ。

だからきっと、負の感情が無くなったら楽しいが楽しいじゃなくなるんじゃないか……?

刺激が無くなって感情が無くなる

楽しいや嬉しいばかりだと、プラスの感情だらけで気が付けば無になってしまうんじゃないかとも考える。

辛いことや苦しいことは確かに嫌なこと。

でも、辛いや苦しいは過度だと問題だが、日常で常に誰もが感じる負は無くしてはいけない。人間は誰しもすべてがプラスの感情だけではない。仕事が楽しいと感じていたとしても通勤やちょっとした人間関係にめんどくささや辛さを感じていたりする。

それは病的だったり、パワハラみたいに酷いものなら逃げるべきだが、誰しもが日常で感じる必要な負の疲れはあっていいと私は思う。

というか、今人間は基本的に疲れと楽しみが日常に繰り返されていたりする。適度に疲れ負を感じ、喜びも適度に必要だ。裏表みたいな。

疲れてお腹がすけば食べて寝て満たされる。

ストレスが溜まった時には好きな場所に遊びに出かけて発散する。

その度合いは人にもよるけれど。

だから、どちらか一方だけだとメリハリが無くなってだんだん感情が無くなり、無が完成する気がするのだ。

楽しいに慣れ過ぎて何も感じなくなる

楽しいが当たり前になることによって何も感じなくなってしまう恐れもある。

朝日を浴びてこころ踊ることも無くなり、空がきれいでときめき写真を撮ろうともしなくなり、楽しいが楽しく無くなりときめきも生まれなくなる。

慣れって怖い。

最初の頃は感動した高級料理も毎日食べているとその味に慣れて、舌が肥えて安い肉が食えなくなったりするとも聞くし……感情も同じようになれると楽しいの基準値も上がりすぎて大変なことになるのではないか。

辛いって感情もそう考えると大事かもしれない。

もちろん、辛すぎて辛いだけではいけないけれど。

肯定だらけで無法地帯になってしまう

負の感情が無くなって怒る人も否定する人も、辛いもなにも無くなったらみんなが肯定祭りになって超無法地帯が出来上がるのではないか?

「まあいっか~いいよいいよ~大丈夫~!」

そんな空気を今私は想像してしまった。

というか、結構真剣に考える人が減って適当にもなりそう……汗

厳しさや否定もそう考えると時には必要だ。

もちろん、人を追い詰めるまでの誹謗中傷は問題だし、あってはいけないが……。自由過ぎるとそれはそれでいけない。

人を傷つける否定はいけないけれど、きっと何かを変えたいと熱意を持った意見や誰かのための否定や怒りは大事にしないといけないだろう。

全てが肯定で楽しく過ごすことだけしか考えなくなるとそれはそれで崩壊するものがある。

みんなふわふわして現実が見られなくなる

辛いや苦しいなどの負の感情がゼロになってしまうことで現実的な目線がなくなりふわふわしていってしまわないか不安だ。

辛い経験や苦しい経験があったからこそ、今の現実を変えたり冷静に何事も対処できることもある。

もし、楽しい世界に浸かりすぎてしまうと、現実を見ることができなくなり何か災害があった時も「ま、大丈夫よ~」と非難せず手遅れになる恐れがある。

時には辛い状況にも向き合い真剣に生きることも必要なのだ。

まとめ

辛いことがあるから楽しいことは楽しいのかもしれない。

誰でも日常でちょっとしたストレスや疲れ、時には大きい苦しみもある。でもそれはきっと無駄じゃない。それが無ければ今伝えられないことも持てない感情も、誰かを救える自分もいなかったかもしれない。

辛いって辛いけれど、実はとってもすごいのだ。

これは私の妄想なので正解ではないし、あくまで私が好き勝手に考えてみたことなのでもっと人間の心理を知っている人にとっては私の考えは指摘だらけだと思う……汗

でも、きっと考えることは無駄じゃない。

今、たくさん文字をここまで執筆して指が疲れてきたけれど、きっと今日のごはんはその分おいしいはずだから。

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