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なぜユニバーサルファッションなのか?

こんにちは!
Mais moi,(メモア)代表の髙橋ミアです!

本日はメモアがユニバーサルファッションに特化したブランドとして誕生した経緯についてお話しいたします。

少し長いですがお付き合いいただけると幸いです❤︎

介護が身近だった幼少期

私の母は右半身に麻痺がある身体障がい者です。
私が物心ついた頃から母は入退院を繰り返し、リハビリセンターに通う日々。

家でも歩行訓練やストレッチ、左手で字を書く練習をしていたので、私もマネして母の隣で体を動かしたり、字を書く練習をしていた記憶があります。

また、母は少しの距離なら自力で歩けますが、出かける時は車椅子を利用したり、お風呂に入るときや着替えの時は誰かの手伝いが必要でした。

それが私にとって「当たり前の」母の姿でした。

平日は祖母が家事や母の身の回りの世話をし、休日は父が母と近所のショッピングモールに出かけたりドライブしたり…
(私は自分の世界に入って遊ぶことが多く、あまりお手伝いをしない子どもでした。ごめん)

母のアルバムを見て気づいた知らない母の一面

母の実家に行った時に、祖母に母の学生時代のアルバムを見せてもらったことがありました。

スッピンの母の姿しか知らないので、「私の母、こんなに可愛いの!?」と少しビックリしました。(母ごめん)

当時流行していたヘアスタイルやファッションに身を包み(ちょっとバブリーでした)、オシャレを楽しんでいる若くて健常者だった頃の母の姿。

「母は今、オシャレを楽しんでいるんだろうか?」

父と母と近所のショッピングモールで母の洋服を買った際、
父は「なるべく伸びて着やすくて、お腹が目立たないものがよい」と時間をかけて選んでいたのを思い出します。

父がレジで会計を済ませている時、一方で母は違う洋服を手に取って見ていました。

「父は機能性を重視して選んでいたけど、母の好みのデザインではなかったのかな…?」

当時の私は母の気持ちを深く考えず、「本当は何が着たいの?好きな服はどんなやつ?」と聞いたりもしませんでした。

私にとって、母が洋服を自分で選ばず、父や祖母が代わりに洋服を購入するのは普通の光景だったのです。

もしかしたら母は、私が思っている以上にオシャレが好きなのかもしれない。

祖母が見せてくれたアルバムを見て思い、「よし、次の誕生日では私が母が好きそうな洋服をプレゼントをしよう!」と決めたのでした。

店員さんの何気ない言葉にショックを受けた学生時代

「母に洋服をプレゼントしよう!」と決めたのは良いものの、いざお店に行くと服選びに苦労しました。

母が好きそうなデザインで、さらに父が普段考えているような機能性もある洋服ってあるのだろうか…?

母が好きそうなテイストのお店があったのですが、私は店員さんから声をかけられるのが苦手なので、1度目は外からサラッと見て様子を伺い、
2度目は友達が付き合ってくれてやっと店内を見れるようなありさまでした。

「何かお探しのものはありますか?」と声をかけていただいた店員さんに

「こういう感じのデザインで、可愛くて、腕を通しやすくて脱いだり着たりがラクなものが欲しいんですけど…」と相談したところ

「うーん…」と一生懸命悩んでくださり、他の商品を勧めていただいたのですが少しイメージと違ったので、
母の病気のことや、介護が必要なことなど、もう少し具体的にお話ししたところ、

「そういう事ですと、正直お母さまは着られれば何でも良いと思うので…」

と他のお店を勧められる結果に…

「私の相談の仕方がへたくそすぎたんだろうな…」
とお礼を言ってその場を去り、そのまま勧められたお店に向かいましたが、それはお年寄り向けのようなデザインのお洋服を売っているお店でした。

着られれば何でも良いのかなぁ…?

自分の買い物の下手さと、店員さんの言葉に少しモヤモヤしましたが…
最終的に他のお店で母の好みに一番近そうなものを選び購入することができたので、結果オーライ…!!

母が私を産んでくれた年齢になった29歳

当時働いていたアパレルショップで購入した洋服たち

アパレルショップで働き始めていたのですが、そこは様々なジャンルを取り扱い種類も豊富でなので、母のプレゼントは自店で買っていました。

母と同じように車椅子のお客さまがたまに来店されるのですが、洋服選びで悩まれているのをみると昔家族で買い物していた時のことを思い出します。

「母が今の私の年齢だった時、もう私生まれてるんだようなぁ」

私は28歳で結婚しましたが、子どもがいないので妊娠・出産・育児の大変さは想像上でしか理解できないので、改めて母の偉大さを感じていました。

「私自身が母親になる前に、まずは自分の母に何かすべきじゃないか?」

そう気づいてからアフリカ布でユニバーサルファッションのブランドを作りたい!と思い立つまで時間はかかりませんでした。

セネガルの首都ダカールにある布屋さんにて

母のように洋服選びで苦労してきた人に、カラフルなアフリカ布の洋服をお届けできれば、きっともっと笑顔が増える!

ビジネスの経験はもちろんブランド立ち上げの仕方など知らないことばかりの見切り発車。

でもアフリカ布の魅力は多くの人に伝わるはず。
しかも近年、アフリカ布への注目が集まっているので、その人気と勢いを借りてユニバーサルファッションの知名度も上げられるのではないか?

そうすれば、障がいを理由にオシャレを諦めてしまう人を減らせるかもしれない!

そうして、アフリカ布アパレル初のユニバーサルファッションブランド「Mais moi,」(メモア)が生まれました。

29年間何もできなかった自分へ

セネガルのテイラーさんと

私は24歳の時にセネガルに渡航した際にアフリカ布と出会い、
「母が好きそうな柄がたくさんある!」と気づいていても語学力に不安があり、現地で洋服をオーダーする度胸がありませんでした。

障がいを理由にオシャレに妥協してきた母の姿を間近に見て育ったのに、本当に何もしてこなかった29年間。

アクションを起こせていない自分を脱却したかったのかもしれません。

でも今、たくさんの方に応援していただきながら、セネガルの心優しい仲間たちとユニバーサルファッションに挑戦しています。

語学力も知識もなく、足りないこと、やるべきことが山積みですが、ビビリな私がここまで来れたのも周りの方たちのおかげです。

本当にありがとうございます!
これからも見守ってくださると嬉しいです!

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