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まとまらないはなしの価値ってあるのか?

今、この想いが溢れてきている瞬間を捕まえたくて何かに残しておきたいと思うが、それを書き始めると「読むかもしれない方々」のことを考えて何も書けなくなってしまう自分。そのハードルを越えてみよう、わたし。
もし、イイネがついたら、まとまらないはなしの価値があるってことにする。

友人に教えてもらったこの記事
https://www.1101.com/taizoson/

この記事から学ぶことや感じることが多すぎて溢れてきた私のはなし。

01. 「出会い」


人として生きていく人生において、本当にかけがえがないものって「出会い」なんじゃないかって。
人と人、もそうだし、人とこの記事、もそうだし、本、もそうかもしれないけど、機会、経験、もそうかもしれない。
「なにに、どんなタイミングで出会うのか、そして、そこから得たどんな気づきと共に生きるのか」
魂なのか、神様なのか、は、絶妙にいろいろ与えているんだろうけど、どう受け取るか、はその人次第だし、タイミングもある。
その時気づかなくても、あとから気づくこともある。
なんて人生っておもしろい。本当にひとつとして経験が同じということがない。
・・・にもかかわらず、ですよ。
「それ、同じようなこと私も思ってた」
っていうことが起きるんです。
これ、なんでしょうね。共鳴、響き合う、この感覚。そして、そういった同じ想いが集合体の意識になり、仲間になる。

02. 「伝える」


これがね、やっぱり難しいんです。
上手に誰かから「伝えられた」時、本当に感動するんです、私が一番好きな人のタイプは「上手に伝えられる人」と言っても過言ではない。
この記事もそうです。
インタビュー記事に、相槌でのことば、「ああー」とか「はいはい」とか、文章の中にちょいちょい入ってるのもいい。相槌を読んだ瞬間、
「あ、また出た!」「好きだよねー、それ!」って私の心は、その相槌に相槌を打つ。文章が呼吸しているかのようにみえる。その場の空気感が伝わってくる。「そこに居たかった」みたいな気持ちでさえ湧いてくる。
その伝え方、最高です。

03. 「事業計画」


私も、一生懸命作っていた時期がありました。
それを褒められたこともあって、なにをどう作っていたかは覚えてないけど「あれ、とても良かったよ」って褒められたことだけが残ってる。
だから、褒められたくてまた作ろうかなって思うけど
数字とむきあうと、違う想いがうまれてくる。
数字大好きなので、数字とむきあって、「こうかな、ああかな」ってやっている時間は至福なんですけど、向き合った挙句出てくるのは
「うーん、でもわからないな。この数字を動かす要因がありすぎて」
って。それでも作るのが事業計画なんだろうけど、「その時間、本当に必要?」って問い直して途中で手がとまる。
だから、本当に今の事業や経営と向き合う為の事業計画なんじゃなくて、「誰かに伝える為の事業計画」に姿を変える瞬間があって、そのためにつくるんだったらいいと思う。(けど、弊社にはステークホルダーが社員だけなので、社員が未来予想図を共有する、ということが必要なんだろうな、と改めて)

04. 「こんな風にはなりたくない」


「やりたいことはなんですか?好きな事はなんですか?」
という問いと付き合い続けて長い人生でしたが、やっぱりそんな簡単には見つからない。
それより「これはやりたくないな、こんな風にはなりたくないな」って感じることを出しておくのはとっても素敵な方法だと思った。
私は、なにか、「納得がいかないことに縛られること」が嫌な事。
これを逆転させて「自由」とか言ってみると、それとは質感が違う気がしている。
まだまだここは探求しがいがあるテーマだ。

05.「歳を重ねること」


最近、やっぱり年齢ってすごいって思ってて 。
昔は「年上だからといって、単純に尊敬できる人とできない人がいるじゃんねぇ」って、目上の人を敬うのは平等なのか?って思っていた。
でもいざ自分が歳を重ねると、
年齢がもっている自分の経験とか年輪みたいなものがふわっとたち現われて答えを運んできてくれる感じとか。
これが「答えだ」って思わなくても行動している感じとか。
そう、きっとそれは過去に一生懸命走ってきたからなんだろうな、とか感じたりする。
ただ、「これだけやってきたから今報われている」というのではない。
自分の努力や重ねてきたことは、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、私のいまは、「今」をとにかく楽しむことに目をむけられている。
これが本当に幸せだなと。
このしあわせをかみしめながら生きていこうと、 そう思うわけです。


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