小説「下水道管理人、始めました」EPⅢ:再び記憶へ

「そういえばトエル、以前体験した魂の記憶についてなんだが一つ気になる事があってね。
 女の子が口にしていた影について……、そこにひっかかっていた」

マルとトエルは、相変わらず薄暗くどこか湿気っぽい地下道を歩いていた。
彼女はあれから数日後、日常生活を送れるようになり下水道管理人として復帰し今日からまた役目を果たすところだった。

「小さい女の子だったから極限状態で幻覚を見たのかもしれないし、杞憂だと良いのだけどね。
 どうも抽象的な表現で気味が悪いし、君に忠告してきたと言う事も怖い」

トエルはあの時の記憶を思い返していた。
確かに影の事について忠告された。しかし、少なくとも記憶の中ではそれに関する事に覚えはなかった。
単純にマル隊長の言うように幻覚か、もしくはあの時より前の段階で女の子と影に関して何かあったのだろうか。
深く考えていると、急に肩を叩かれた。驚いて顔をあげると、前を歩いていたはずのマル隊長だった。

「大丈夫かい? 立ち止まって何か考えていたけれど」

「すみません! ちょっと影について何かなかったか思い返していて……」

「ありがとう、何か思いだしたらすぐに教えて欲しい。……さて、もうすぐだ」

また少し歩くと、あの時の部屋と同じく重厚な扉が目の前にあった。

「あれ、あの時と同じ扉……」

トエルが少し不思議そうにしていると、マルは理由に察しがついたのか少し笑いながら説明を始める。

「あぁ、そうだ説明がまだだったね。実はあの部屋は一つじゃなくて沢山あるんだ。沢山ある部屋を下水道管理人の皆が
 個別に担当して穢れを浄化しているんだ。まだトエルは実質二日目だけど、僕とシャール以外に会わないのは、この仕組みのせいだね」

「なるほど……、一か所にまとめていないのは何故なんですか?」

「良い質問だね、一か所にまとめると確かに管理や人員の面では楽なんだけど、一度に複数の穢れた魂が流れてきた時に混戦になるからね。
 先日のは結構特例の強さだったけれど、通常のものでもそこそこ危険だから、分散して各個撃破しやすいようにしているんだ」

トエルが仕組みに関心している間に、マルは扉の閉塞を解除した。

「さぁ、それじゃ行こうか」

トエルがこの空間に入るのは二回目だが、相変わらず息をのむ美しさだった。
とても先日、ここが戦場になったとは思えないほどに。

「トエル、君はしばらく私やシャールを始め、戦闘に慣れている人員と基本的に一緒に担当する。
 というのももし一人の時、目の前に穢れた魂が現れた時にまた気絶してしまう可能性があるからね。前回は見たところ無意識のようだったし……」

トエルは少し申し訳なくなって頭を下げる。

「いや、いいんだ。その力を使って欲しいとお願いしたのは私だし、もしまたとてつもない相手が出た時を考えると、君がいたほうが良い」

「ありがとうございます、約に立てるように頑張ります」

張りきるトエルだったが、そこから長い時間が過ぎた。

「ふぁ……」

暇そうにする彼女を、マルは少し笑いながら宥める。

「退屈かもしれないけれど暇なのは良いことだよ、サボりたい訳じゃないけど、暇なほうが皆が危険な目に合わなくて済む」

「そうですよね、言い方は悪いですけど日陰者のほうが良いかも」

「いつも薄暗い場所にいるから、ある意味では合ってる。
 そうだ、担当時間が終わったらシャールと3人でささやかだが、快気祝いで食事でもどうだろう」

思いがけない誘いにトエルは二つ返事で快諾する。

「ふふ、決まりだね。どこに食べにいこうか――」

「隊長いらっしゃいますか!!」

勢い良く扉を開けながら、一人の天使が入ってきた。
その天使の姿を見てトエルは驚いた。肩口から血が滴っていた。

「大丈夫ですか!? 今手当を!」

トエルはすぐさま鞄から布を取り出して肩口を覆う。

「一体何があったんだ」

マルがいつになく真剣な声色で聞くと、やってきた天使は痛みをこらえながら

「すぐに36の区画に向かってください……、大型の穢れた魂が」

「トエル、急ごう。君は自力で撤退できるか」

天使は頷きつつ、悔し涙を流していた。

「不甲斐なく、申し訳ございません……」

「気にするな。トエル走るぞ」

「はい!」

二人は急いで部屋から飛び出し、指定された区画がある扉の前にたどり着いた。

「うっ――」

扉の向こうに居るのが分かるほど、穢れを感じた。

「トエル、扉のすぐ向こうに穢れた魂がいる可能性がある。僕が先行するから合図したら入ってくるんだ」

二人はそれぞれ扉の左右に立ち、マルが開錠した後にのぞき込むように安全を確認する。
扉を開けたことで、より嫌な気配が漂ってきていた。トエルは武器を具現化しながら待機を続ける。
少しした後、マルが手招きをした。彼女は体制を低く、存在を悟られないようにマルの後に続いた。

「マル隊長……」

トエルは目の前に震えながら佇んでいる何かに、尋常ではない恐怖を感じた。

「あぁ、大きくはないけど、間違いなくまずい相手だね」

体長は一般的な大人の体格ほどだが、特徴的なのは不気味なほどの薄さだった。
まるで、何か柔らかい物体が凄まじい速さで壁に叩きつけられ変形した瞬間を捉えたかのように。
二人の存在に気が付いたのか、ゆっくりと面積の広い方をこちらに向けて来る。
前回の穢れた魂とは異なり、一切声を発しない。

「構えろ、何をしてくるか分からない」

マルがトエルに臨戦態勢を促す。刹那、マルは気流の変化を感じると同時に、隣にいたトエルを突き飛ばした。トエルは一瞬態勢を崩したが、斧を地面に立てるようにして立て直すと同時に、突き飛ばされた状況整理のために敵とマルの様子を確認する。
マルとは突き飛ばされた事もあり、互いに距離が離れていた。マルも元の位置からは移動しており、何故か先ほどとは逆の方向を向いて身構えていた。

「え……」

トエルがマルと同じ方向を確認すると、穢れた魂は部屋の壁にめり込んでいた。壁にひびが入り、パラパラと欠片が落ちる。

「マル隊長、今のって……」

「あぁ、単純明快な攻撃方法だが突進だ。目にも止まらぬ速さでね」

壁の状況と速さを考えると、もし接触してしまえば無事では済まない事は容易に想像できた。

「トエル、何か感じ取れる事はあるか……?」

トエルは目の前の穢れた魂に意識を集中する。しかし、一向に意識が遠のく気配はなく、むしろこうしている間にも攻撃を食らってしまうのではないかという恐怖が迫っていた。

「だめです……、意識を傾けているのですが……」

「くっ、やはりそう上手く事は運ばないか」

穢れた魂はゆっくりとめり込んだ身体を壁から剥がし、こちらに正面を向け始める。

振り向き終わって狙いを定めたら、また一撃が来る。次は避けられるかどうか……、トエルは思わず斧を握る手と足に力が入る。
穢れた魂が方向転換を終え、向きの調整に入る。その方向にいたのはトエルだった。

「しっかり……、見切って」

気が付いた時には、トエルは宙を舞っていた。そして綺麗に足から着地をきめる。それを見たマルは少し驚いた表情を見せながら、再度壁にめりこんでいる穢れた魂に向かって槍の一撃を浴びせる。

「……、だめか」

手加減が全くない事に違和感を覚え、すぐさま距離を取るマル。
穢れた魂の薄い本体には、槍が貫いた後が残っていたが周囲から徐々に塞がっていく。

「紙を貫いたかのような手ごたえの無さ、驚異的な再生能力……。しかし突進時は身体が硬化しているのか、凄まじい破壊力を生み出す。また難題だね」

「一体どんな経緯を経て、こんな事に……あっ」

トエルの表情を見て、マルが何かを感じ取る。

「何か思いついたか」

「……、正直賭けですけど」

トエルはゆっくりと、穢れた魂に歩みを進める。
マルは突然の行動に驚きながらも、トエルを呼び留める。
しかし彼女は歩みを進める。ゆっくりとまた、方向転換を始める穢れた魂に向かって。もう一歩でお互いが接触できる距離まで近づいた後、トエルは静かに口を開いた。

「大丈夫……ですか? 苦しい事があったのですか?」

数秒の間の後に、穢れた魂の薄い身体が少し不気味に波打つ。

「ウッ……、レッシャ……マイリ……、ラク……ナレ……ル」

その瞬間、トエルの意識はまた途絶えた。

***

目を開けると、冷たい空気が身体を撫でた。

「さむっ!」

そこはまた、中間界のような場所だった。
しっかりとした固い材料で出来た足場、コンクリートで出来た足場だろうか。そして円柱型の物体が長方形の大きな機械の中にいくつか飾られている。

「自動販売機……、だっけ。」

天井には不思議な事に、左から右へ流れるように文字が流れたり点滅したりする箱が吊り下げられている。中間界の言語で、確か数字と漢字の組み合わせだったかなとトエルは思い出す。木製で出来た椅子もある。

「3人座れるからベンチって物かな。それにこの黄色くてぼこぼこした地面……点字ブロックだっけ」

そしてコンクリートで出来た足場のすぐ傍には、どこまでも続いているかのような長い鉄の棒が2本、その合間合間に木の板が梯子のように下敷きになっている。

「あ、これ線路だ! という事はここは駅って言う場所で、今立っているのがプラットホーム……?」

急にファン!!と大きな音が聞こえてトエルは思わず自動販売機の影に隠れる。線路を辿るように、大きな鉄の塊が高速で移動してあっと言う間に通り過ぎていく。プラットホームに吹き抜ける冷たい風が、またトエルを撫でる。

「うぅ、寒い……。なんか恰好が前と同じだし無理あるよね……」

トエルは身体を震わせながらも散策を続けた。初めて見る物だらけで、正直楽しさを感じてはいるが、ここは穢れた魂の記憶の中である事は間違いない。何が起こるか未知の世界だ。

プラットホームの先までいくと、そこにうつ向きながら線路を見つける一人の男が立っていた……。

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