〔小説〕 猫 (二)
飼い主を拾ったのは冬の雨の夜だった。傘もささずにずぶ濡れで歩いていたから、手をひいて部屋に連れ込んだ。
ぐしょぐしょに濡れて重たくなった背広を脱がせ、鴨居に掛ける。風呂をたてて布団を敷いた。湯からあがった飼い主にバスタオルを投げる。先に布団にもぐりこんで、丸くなる。
部屋は踏切に近く、夜半過ぎまで遮断機の煩く鳴る音がする。飼い主はなかなか寝付けないようだった。何度も寝返りを打つ。それでもやがて、おれの首筋に顔をうずめて眠った。規則的な、静かな寝息。それは雨の音と混ざり、夜に溶けてゆく。
翌朝、飼い主は、まだ濡れて生乾きの厭な匂いのする背広を羽織って会社へ出掛けた。おれは布団のなかで、寝たふりをしながら飼い主の身支度する姿を見送る。
戻って来た飼い主の荷物の中には、翌日と翌々日に着る為の背広が入っていた。飼い主の留守の間に、背広を掛ける為の簡易クローゼットを買いに行った。安いパイプを薄っぺらい布で隠す、ありきたりの。余りに味気ないので、押し入れの奥にあった印度更紗を代わりに掛けた。
相変わらず夜は寝つきが悪い。おれは飼い主の首筋に鼻先をうずめて、ぐるぐると喉を鳴らす。飼い主の右手がおれの天鵞絨の背中を撫でる。
おれは自分で料理は出来ない。飼い主は自分の肴をこしらえるついでに、おれの食事をつくる。ほかほかに湯気のたつ食べ物におれは舌を焼きつつ、旨い旨いと顔を皿に突っ込んで貪る。目を細めるおれと、飼い主と、目が合う。飼い主は何も言わず、にこにことしながらコップ酒を呑んでいる。
飼い主が帰ってくるのを、日がな一日待っている。暇なので、酒の封をあけてしまう。ビール、赤ワイン、日本酒。冷蔵庫のなかのジップロックに詰められた、飼い主の料理をひっぱり出して肴にする。
呑み疲れて眠ってしまうと、階段を登る足音が聞こえる。鍵の回る音がして、飼い主が「ただいま」とかすれた声で言う。おれは飛び起きて、飼い主の膝にまとわりつく。
酒を呑みながら、パソコンを開いている飼い主の横顔を見ている。つまらないので、マウスを操る手にちょっかいをだす。飼い主の膝の上によじ登り、丸くなる。空いている左手が、おれの背を撫でる。
雨が、降り出した。その規則的な音を聞いているうちに睡魔が襲いかかる。おれは飼い主の膝にもたれたまま、目を閉じる。明日の朝、飼い主が着ていくワイシャツは、彼自身の手でアイロンがあてがわれ、ぴしっとした形で鴨居に掛けられている。闇が、おれの視界を覆う。
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