2024/02/10考えたこと

初めに

これは私の病んだ時の手記的な愚痴的なものです。
元気な時に、時間があったら読んでみてください。
こんな風に思う人も、いるんです、ってことを知って貰えたらなぁと思います。途中で、「あ、これダメだ」と思ったら読むのすぐやめてくださいね

始まり〜♪

世の中には曖昧なことが多すぎる!
「大変」って曖昧すぎる
自分が大変だと思ってしまったことは本当にそうなのか。自分の力不足故に思ってしまうことなのか、それとも自分の心が弱いだけなのか。
「痛かったら手を挙げてくださいね」
歯医者でそう言われたが、痛かった気がしたけど痛いと言うことは無かった。痛かったら手を挙げるというのは、歯茎を傷つけているか知るためなのか、歯が削られていないか確かめるためなのか。なぜ言う必要があるのか、言って何かが変わるのか。
というかまず自分が思うこの痛さは世の中で「手を挙げる」に値する痛さなのか。そんなことを考えていたら手を挙げることを出来ずに治療が終わってしまった。うがいを促され、ぺっと水を吐き出すと血がそこそこ含まれていた。歯茎が傷ついていたようだ。これは手を挙げれば防ぐことが出来たのか、でも防ぐほどのものであるのか。
「痛さ」「辛さ」も曖昧だ。
まぁ確かに骨折をしたら痛い。切り傷が出来ても痛い。でも、友達に悪口を言われて感じる痛さはどうなのか。バレないように、見えないように自分を攻撃されていると気づいたときの痛さはどうなのか。人生は1つしか経験がない。全てが新しい体験だからノウハウなどない。そんな中自分の痛さをどう表現したらいいのか。自分の感じる痛さは外に助けを求めるほどの痛さなのか。
「その人が嫌だと感じたらそれはいじめです」ここ数年で何度も聞く言葉だ。しかし嫌だと感じる、その「嫌」というものは曖昧すぎやしないか。たしかに不愉快なことはあるが、それ全てをいじめだと言っていたら全ての学級で一日に何回かあるのではないか。全員が何かしらのタイミングで思っているだろう。
そういうことを考えてしまうから本当に「嫌」で助けが必要な時にSOSが出せないのではないか。そこをこんなふうに考えしまい、適切に判断ができないのは経験のと知識の浅さだと思う。だから大人がいる訳だと思うのだが、これについては運だな。
あと曖昧なものについては、「差別」と「区別」。
男女差別を配慮し、学校で使われる名簿が男女混合になった。並ぶときも偶数奇数で2列に並ぶように変わった。だが、名簿を男女別々にするのは差別なのだろうか。確かに今の時代、男女の枠を設けて考えることは差別だという認識が強いが、それよりも、名簿が男女別々になっていることで性的マイノリティーの方が違和感を覚えさせてしまうこの世の中の思考自体がおかしいだけで名簿はそのままでいい気がしてしまう。男女混合の名簿で1番困ったのは健康診断のときだ。名簿が男女混合なのに、移動や診断は全て男女別。差別と区別が入り交じってしまっている。せめても男女別々の名簿もあればよかったのになと思うことが生活していて多々ある。

好きと嫌いの境目も曖昧なのかもね

終わり

ガチガチに病んでいた時に書き殴ったものなので稚拙すぎてすごいですね。
私は一旦病むと、吐き出さないとそのまま病むのが止まらないので、メモとかに書きなぐります。
まぁ気負わず生きていきましょう。
ここまで読んで下さりありがとうございました。

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