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心の中に歌詞のような言葉を集めていこう

雑誌やオンラインコンテンツを読んでいるときに、"おしゃれな文章"だと思うことがある。

もちろん書き手自身の雰囲気がおしゃれに感じるからこそ、滲み出るものがそう思わせているからなのかもしれない。
なんだろう。やわらかさもあって、でもやわらかい文章だけでまとめるには何かがちがう。キラキラもしていて、優しくて、読んでいるだけで爽やかな風がとおり抜けていく感覚。

そういえば、社会人になってから、小説をまったくと言っていいほど読んでいない。

読むのはビジネス書や実用書、スポーツ記事や歴史物など、どちらかというと"固い"印象をもつものばかり。エッセイは少しだけ。
もちろん著者や編集者によってそれぞれ雰囲気が異なり、すべてがカチッとした文章ばかりではないと思うが、それでも「おしゃれ」なのかと聞かれれば、うーん、ちょっとちがう。

おそらく本や記事から、何か知識を吸収して自分の血肉にしようという意識が強いので、選ぶときにも「楽しむための小説」よりも「知識が得られる専門書や実用書」を選んでしまう傾向がある。
そのため自分から小説を買うことがほとんどなく、学生時代に図書館で本を借りていた時が一番小説を読んでいた時期と重なっている。

なんだか少し寂しい気持ちになった。
子どもの頃は「物語」が大好きで、物語の世界に溶け込む自分が好きで、楽しく感じていたのに(物語が好きなおかげで歴史好きになった)。

そもそも、なにをもって「おしゃれな文章」だと言えるのか。

きっと、書き手独自の表現がすごく豊かで、雑誌やアート本のページをめくる瞬間のような、読んでいるとわくわくした気持ちになれる文章なのかもしれない。
そう思えば、アーティストが書いた文章はそれに近い感覚をおぼえるので、すごく好きだ。

食に関するエッセイや文章でも、味や香りの表現などが独特だったり、頭の中で食べている瞬間がイメージできたり、わたしも食べたい!と興味をそそられると、とてもいい出会いをしたと思えて嬉しくなる。そんな気持ちを湧き立たせてくれる文章は、わたしの中では立派なおしゃれだ。

あとこれはビジュアルの話になってしまうけれど、おしゃれな文章のそばには、センスのいい写真やイラスト、デザインがいつもいるような気がする。
ビジュアルやデザインも含めて「おしゃれ」な雰囲気を醸し出しているのかもしれないと思った。

仕事をする中でどうしても、「端的に」だとか「抽象と具体」だとか「論理的な思考」や「スキル」に関する情報などを求められることが多く、もちろんそれもすごく大切なことであるが、もっと感覚的に文章を楽しむ時間を増やしていくことも自分には大事なのだと思う。

そうでなければ、「おしゃれな文章」だと惹かれることもないし、考えることもなかったんじゃないかな。
自分の中でなにかが吹っ切れたような気がした。

そうだ。歌詞のような、心に残る文章を言葉を自分の中に蓄積していこう。



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