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時間がある人におすすめの本を見つけました。

僕は今、都会のひしめく建物の間に沈んでいく夕日をぼんやり眺めている。焦る。今日はいい1日だったと思える美しい日暮れは人生に何回来るのだろうか。今日はそれなりに本も読んで勉強して、サボらず授業を受け、課題をこなした。好きな友達と会ったし、たわいもない会話を交わして、笑ったりもした。それでもどこか満たされない僕の心に私は焦る。
夕日を眺めながら、もしも私が肉体から離れて、心だけでこの世界を生き直すことができたなら、心から豊かだといえるのか、などと考える。
部屋の中から窓の外の夕日を見る。窓は長方形。左右対称。前と後ろ。向こうとこっち。外と内。明るいと暗い。夕日が建物の間から垣間見える。ちょっと体を横にする。建物に隠れて暗くなる。光は追いかけてきた。夕日が、夕日が、あまりにもあまりにも、眩しい。悲しい。
こんなにも美しい世界に住んでいて、僕は今日も一日が終わってしまうなどと考えてしまう。
なぜ、綺麗な夕日は、僕の心を悲しくさせるのか。僕の視点で世界を見る時、世界は対称性を抱えている。僕が立っているから、右があって、左がある。僕がいるから、明るい場所があって、くらい場所がある。僕がいるから、この世界は美しくて、悲しい。我思う故に、我あり。私がいるところには、必ず二面性がある。私がいるから、現れる対称性がある。

冗談みたいなこの世界は、どんなふうにもとらえ直せる。でもそこには対称性が潜んでいる気がする。私という1人の人間がいる限り、世界は二面性で表現される。見方を変えれば、明るくなって、暗くなる。美しくて、悲しくなる。
人が左右対称に産まれてくるのは、私たちの人生がこの世界を二面で捉えていることを暗示していそうだ。
物理法則が左辺と右辺を不等号で結びつけるのも、人が年齢を重ねると赤ちゃんみたいになっていくのも、人生に終わりがあって始まりがあるのも、私がここにいて、僕を感じ、僕が世界を見るからなんだろう。
日が沈んでいく。暗くなっていく。夜が始まる。僕が悲しい時、きっと誰かは嬉しいのだ。なんてこの世界は愛おしいのだろうか。
今日という日が始まる。

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