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それって私の感情じゃなくて心の中にある「エゴ」なのかも?
ヘッダー画像 著作者:freepik
最近YouTubeで毎回「なるほど!」と唸りたくなるチャンネルを発見しました。
心の中身を紐解いてくれるYouTubeチャンネル
それは「フェリックスファブリック哲学」さんです!
哲学って言葉は一見難しいイメージを抱くけれど、フェリファブさんは「楽に生きるための知恵」をテーマに発信されてるので、誰が観ても分かりやすい内容になっています。
エゴを知る
自分の中に存在する「心」と「エゴ」の違いを知ることから始まり、
エゴと同一化してしまった心を知り、
最終的にエゴを解放させてハッピーに生きよう、と説いているこの動画は特に自分の中での大きな”気づき”となりました。
エゴとは?
自我(じが、ego)とは、本能的欲動であるエスをコントロールしようとする機関である。 エゴとも言う。 自我は、精神分析学者のジークムント・フロイトの精神分析学で定義した概念である。
世界の心理学3大巨匠の一人、フロイトが提唱した心理学用語ですね。
「エゴイスト」という言葉は利己主義、自分勝手という意味合いがありますが、
心理学や哲学が指す「エゴ」は社会的な規律などルールを意味します。
フロイトは人間の心は3つの要素で構成されていると考えました。
生まれながらに備わっている本能を意味する「イド」(「エス」とも呼ばれる)、欲望を抑えて現実的な判断をもたらすのが「エゴ(自我)」。さらにイドとエゴを自制し、社会において「〜してはいけない」「〜でなければならない」という規律や道徳的な良さを特に大事にする「スーパーエゴ(超自我)」が存在します。
学校や会社などの集団生活では大人数で共存していくためにエゴが活かされます。
不快な「感情」は心じゃなく「エゴ」が傷つけられた
私の実生活で経験した例ですと「夫婦でフリーランスで子どもも持たず、外食ばかりの悠々自適な暮らししている」と遠回しに嫌味や大人らしくない責任逃れな振る舞いをしていると言われるように感じることが多々あります。
またフリーランスの仕事を始めた時に父や「フリーランスは安定しない仕事だからダメだ!」とこっぴどく否定されました。とはいえ、運よく知名度と歴史のあるクライアントから仕事をもらえているからか、今は認めてくれています。
時代背景も大きく影響しているとは思いますが、父は「普通はこうする」や「社会に出たら3年は同じ会社で働くべきだ」といった社会的に良いと考えられている規律をよく口にする人でした。
今は既に引退して趣味に没頭して楽しそうに生きていますが、社会人時代は「べき」論に縛られている印象が強かったです。フロイトの心の理論で言うと「スーパーエゴ」が強い人ですね。
そして相手からそういった意味合いの言葉をかけられた時に「不快」な感情が発動して、「自分で選択した人生で満足してるのに、他人に認められていると感じられないと傷つく自分の感情が嫌だ」と度々思っていました。
ですがフェリファブさんの動画を観て、エゴというのは感情よりも心の奥底に存在していて、心と感情を司るプログラム機能のようなものだと解釈しました。
そして「傷ついているのは私の心じゃなくて、私の中にあるエゴだったのか」と気づきました。
エゴが私の心の中に存在しているのは事実だけど、エゴ=私でも、私=エゴでもない。私とエゴは別物である、それをフェリファブさんの動画を通して学びました。
そして「〜であるべき」の言葉を向けてくる相手は社会の規律を重視する「エゴ」に心を乗っ取られて生きているタイプの人なのかもしれません。
次にまた同じようなことを言われても「私の中のエゴが暴れているだけ」と思えるかも。
エゴと心の違いを知るプロセスを繰り返していくことで、私のように自分は「生きにくさ」を持って生まれてきてしまったと思っている人たちも、その考えさえ実は「エゴ」に振り回されてるだけで、解放できるものなのかもしれません。
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