『ゴジスカン対もじすきー』に潜む謎
まえがき
本作は、私みーこが書いた一次創作小説『紫野原魔法探偵事務所』と、字書きや小説好きのためのSNS『ノベルスキー』のオリジナルキャラクターを(勝手に)クロスオーバーさせたお話です(クロスオーバーOKと言ってたのでその辺は大丈夫です)。
ノベルスキー合同誌vol.1用に書いたため、小説本編の内容を知らなくても楽しめるようになっています。ノベルスキーに詳しくなくても楽しめるはずです。ちなみにこの合同誌はBOOTHで購入できます。物理も電子も両方あります。
あらすじ
魔法使いにして探偵の紫野原翠。彼女が経営する『紫野原魔法探偵事務所』には、一風変わった依頼人が訪れる。
冬のある日。書斎の整理をしていたら一冊の本が目に入った。『ゴジスカン対もじすきー』というその本を手に取り読み進めていると、事務所に依頼人が訪れた。依頼人の名はソフィア・ノベルスカヤ。彼女の手には、先程まで翠が読んでいたものと同じ本が。しかしソフィアが持ってきた本はなぜか誤字だらけで……?
以下本編。
○
住宅街から少し離れた場所に建つ洋館。それが私こと紫野原翠の自宅でもあり、事務所でもある。何の事務所かと言うと探偵事務所。しかもただの探偵ではない。魔法使いが探偵を務める事務所、名付けて『紫野原魔法探偵事務所』だ。ちなみにその特殊性故に依頼はあまり来ない。
真冬のこの時期、外に出るのも億劫だが何か身体を動かしたいと思い、私は書斎の整理をする事にした。この洋館は私に魔法の使い方を教えてくれた先生から譲り受けたものであり、先生の私物も結構置きっぱなし。書斎も例外ではなく、先生の蔵書が所狭しと並んでいる。いらないものは売るなり捨てるなりしてもいいと言われているが、一般的な本ならまだしも、魔法関連の本は売る事も捨てる事もできない。
一般書籍と魔法書籍が雑多に並んでいるこの本棚を、種類別に分けて入れ直そう。そう決めてから早一時間。作業は進んでいるかと言うと、全くもってそうではない。気になる本があれば手に取って読みたくなるのが人の性。面白そうな本が多く、後でじっくり読む本リストに入る本が増えるばかり。
「これは……何だろ」
ふと一冊の本が目に留まった。背表紙のデザインからして児童書の様である。先生は児童書も集めていたのだろうか。でもこの書斎は(特に魔法書籍は)勝手に増えたり消えたりする時もある。知らずに増えた一冊だろうか。タイトルは『ゴジスカン対もじすきー』とある。作者名はアリョーシャ。
(何だこの『ゴジラ対モスラ』みたいなタイトル……)
手に取って表紙を見てみると、二羽のウサギのイラストが描かれていた。一羽は黒色の仮面とマントを付けた怪盗の様な黒ウサギ。もう一羽はシルクハットに蝶ネクタイを付けた探偵の様な白ウサギ。
(『ルパン対ホームズ』だったか)
とりあえず内容が気になった私は、軽くその本を読み始めた。表紙を捲ると”ソーニャに捧げる”なんて書いてある。
○
もじすきーくんはノベルスキー帝国一の名探偵です。今日も探偵もじすきーのお家におまわりさんがやってきました。
「探偵もじすきー、大変なことが起こりました」
「どうしました、そんなにあわてて」
「また予告状です。怪盗ゴジスカンの予告状がにんじん新聞社に届きました!」
「なんですって⁉ それは大変。今すぐにんじん新聞社へ行きましょう!」
○
「……可愛い」
予想通り児童書然とした文章に可愛らしい挿絵。出てくるキャラクターは皆動物で、ウサギの探偵や怪盗以外だと、おまわりさんは犬だし、もじすきーくんの相棒はハムスターのハムソンくんだ。
読み進めていくと、ゴジスカンは小説家から誤字を盗み、また悪いゴシップ記事には誤字をばら撒く怪盗である事、そして怪盗ゴジスカンと探偵もじすきーは因縁の間柄である事が判明した。この本はそんな二人、いや二羽の対決が書かれているようだ。
○
時計台の上にあらわれた黒いシルエット。マントをなびかせるあのすがたは、みまちがいようがありません。そう、怪盗ゴジスカンです!
「ふはははは! また会ったな我がライバル、探偵もじすきーよ! 今宵、きみはわたしを捕まえることができるかな?」
「油断できるのも今のうちですよ、怪盗ゴジスカン! あなたのまわりを、たくさんのおまわりさんが囲んでいます」
「それがなんだと言うのか、探偵もじすきー。犬の数が多ければ多いほど、わたしに有利なのだ! それ!」
なんと、怪盗ゴジスカンがすがたを消してしまいました!
「みなさん、あわてないで! きっとやつは変装をして、どこかにかくれているはずです!」
もじすきーくんはおまわりさんたちに呼びかけましたが、おまわりさんたちはゴジスカンが消えたことに大さわぎ。もじすきーくんの声はとどいていません。
「こうなったら、ぼくたちだけで探すしかないようだね」
もじすきーくんは、相棒のハムソンくんとともに、さわぎの中にとびこみました。
○
ちりんちりん。
「おっと」
真剣に読んでいたら、事務所の方から来客を告げるベルの音が聞こえてきた。手近にあった紙を栞代わりに本に挟み、私は急いで事務所へ向かった。
「いらっしゃいませ。お待たせしました」
事務所の扉を開けると、そこには一人の女性がいた。両手で何かを大事そうに抱えている。金髪に青い瞳。白い肌にはそばかすがついていて、黒縁の眼鏡を掛けている。明らかに外国人の顔立ちだが、着ているものは書生服。日本文化が好きなのだろうか。
「初めまして。私は紫野原魔法探偵事務所所長の紫野原翠です。今お茶を出しますので、椅子に掛けてお待ちください」
所長、とは言ったが、ここで働くのは私だけ。肩書きなんてあって無いようなものだ。温かい紅茶を淹れて彼女の前に出すと、彼女は紅茶を一口飲み、困った様に眉をひそめながら流暢な日本語で話し始めた。
「私は、ソフィア・ノベルスカヤと言います。兄のアレクセイ・ノベルスキーを探していたら、いつの間にかここに来ていました」
この事務所、と言うか洋館周辺には魔法が掛かっている。魔法使い以外の人間は、私に用事があるか、魔法関連の悩みを抱えていないとここに来られない。そんな魔法だ。私宛の荷物か悩みを抱えながら道を歩いていると、気づいたらこの洋館に辿り着いている。ソフィアと名乗ったこの女性も、恐らくはそんな風にしてここに来たのだろう。
「お兄さんを探していたら、との事ですが、どこかではぐれてしまったんですか?」
「いえ、そうではありません。私と兄は離れて暮らしていて、今日久し振りに会う約束をしていました。前日に間に合うように会う場所を送る、と言っていましたが、その……送られてきたのがこれで……」
ソフィアは大事そうに抱えていた何かを机の上に置いた。それは一冊の本だ。タイトルは『ゴジスカン対もじすきー』。
「……何でこれ?」
「え?」
「あ、すみません。実は、丁度さっきまでこれを読んでいたので……」
「え⁉ あなたもこれを持っているんですか⁉」
テーブルに身を乗り出しながらソフィアが驚きを露わにした。その勢いに気圧された私は逆に身を引き、おずおずと頷いた。そんなに驚く事なのだろうか。
「この本は世に出回っていないはずです。商業で売られている本ではありませんし、こんなに誤字が多い本を何人もの人に渡すのはいくらなんでも……」
「え、誤字?」
誤字なんてあっただろうか。
「探偵さんも読んだなら分かりますよね。あの誤字の多さ」
「ええと、確かに読みましたけど……誤字なんて見当たりませんでしたよ」
すると今度は身を引きながら驚いた表情を見せるソフィア。さっきも今も、そんなに驚かれる様な事を言った覚えはないんだけどな……。
「誤字が見当たらないはずがありません。だって、見てくださいよこれ」
そう言ってソフィアは、彼女が持ってきた『ゴジスカン対もじすきー』の表紙を捲った。
ニーニャに捧げる
(一文字目から誤字ってる……。確かソーニャだったはず)
「酷いと思いませんか? 人の名前を間違えるなんて」
この本を捧げられたソーニャに同情する様に、彼女は憤りを露わにした。
「ええ、これは酷いですね……。この後もこんな具合に誤字が出てくるんですか?」
「はい。どうぞ、このいくら本好きでも読みたくなくなる程誤字だらけの本を読んでみてください」
私は言われた通りに本を読み始めたが、確かにこれは読みたくなくなる程誤字だらけだった。
○
もじすきーせんはノベルスキー帝国一の名探偵です。今日も探偵にじすきーのお家におまわりさんじやってきました。
「探偵もじすきー、大変なことが起こりました」
「ようしました、そんなにあねてて」
「また予告状です。怪盗ゴイスカンの予告状がにんじん新聞社が届きました!」
「なんですっつ⁉ それは大変。今すぐにんじん新聞社へ行きましゅう!」
○
「凄い……ご丁寧にもルビにまで誤字が……」
この本にゴジスカンが誤字を仕込んだのではないか、と思う程の誤字っぷり。どうしてこうなった。
「短い話なのに、全体に誤字が散らばっているんですよ」
「それは謎ですね……」
私は本を書いた事が無いから知らないが、こういうものは印刷する前に誤字脱字をチェックするものなのではなかろうか。これは怠りすぎている。しかしそれはそれで、この家の書斎で発見した方には誤字が無かったのも不思議だ。そこには何か理由があるのだろうか。
誤字の有無の違いを気にしつつ、私はもう少し先のページを開いた。彼女が来る直前に読んでいた箇所だ。
○
時計台の上にあらわれた黒いシルエット。マントをなびかせるあのすがつは、みまちがいようがありかせん。そう、怪盗ゴジスカンです!
「ふはははは! また会ったな我がライバル、探偵もじすきーよ! 今宵、きみはわたしを捕まえることができいかな?」
「油断できるのも今のうにですよ、怪盗ゴジスカン! あなたのまわりを、てくさんのおまわりさんが囲んでいます」
「それがなんだと言うんか、探偵もじすきー。犬の数が多ければ多いほど、わたしに有利なのだ! じれ!」
なんと、怪盗ゴジスヨンがすがたを消してしまいました!
「みなさん、うわてないで! きっとやつは変装をして、どこかにかくれているはずです!」
もじすきーくんはおまわりさんたちに呼ぶかけましたが、おまわりさんたちはゴジスカンが消えたことに大さわん。もじすきーくんの声はとどいていません。
「こうなったら、ぼくたちだけで探すしがないようだね」
もじすきーくんは、相棒のハクソンくんとともに、さわぎの中にとふこみました。
○
「何でそこで誤字った? って感じの誤字が多すぎませんかこれ」
濁点の有無ならまだしも、キャラクター名まで誤字るのはいかがなものか。
「ね? 誤字だらけですよね? 本当に探偵さんが読んだものには誤字がなかったんですか?」
「ええ、全然。ちょっと持ってきますね」
失礼します、と言って私は席を立った。魔法で持ってくる方法もあるが、事務所の扉も、書斎の扉も閉まっていると、本があちらこちらにぶつかるだけなので却下。
(でも、何であんなに誤字だらけなんだろう……)
あの誤字の多さに誤字の箇所。パソコンで書いたにせよ、スマートフォンで書いたにせよ、はたまた手書きだとしても、普通はあそこまで誤字が続出するものではないだろう。意図的に仕組まれたとしか思えない。では何の為に?
ソフィアは兄と久し振りに会う約束をしていて、会う場所を伝える手段としてあの誤字だらけの本を送られたと言う。ならば誤字そのもの、もしくは本来の文字が会う場所のヒントか答えになっているのではないだろうか。
(我ながら良い考えかも)
書斎で例の本を手に取ってページを捲る。やはりこの本を捧げられているのは”ソーニャ”だし、その後も特にこれといった誤字は無い。彼女の本だけ誤字だらけなのは、はた迷惑にも特別に作られた一冊という事なのか。もしこれが魔法の仕業であればすぐに分かったのだが、生憎魔法を掛けられているのは私の手元にある方の本だ。私は生まれつき魔力が見える体質なので、それに魔法が掛けられているかどうかくらいはすぐに分かる。彼女の本には魔法は掛かっておらず、こちらの本は魔法を掛けられここに現れた。一体誰がこんな手の込んだ事を……。
(って、一人しか思い浮かばないけどね)
目的は未だ謎だが、それはこの誤字の謎を解明して本人に会いに行けば分かるだろう。私は本を手に事務所へ戻った。
「お待たせしました。こちらの本に誤字が無い事を確認していただけますか?」
ソフィアに本を手渡すと、彼女はすぐにページをぱらぱらと捲っていった。
「ウソ……誤字が無い……」
誤字だらけの状態しか知らない彼女は、誤字の無い本に驚いていた。
「どうして探偵さんの本には誤字が無いんですか?」
「その理由は私には分かりませんが、誤字の謎を解けば分かるはずです。あなたのその本に魔法を掛けてもよろしいですか?」
「え、魔法ですか? 構いませんが……どんな魔法を?」
当たり前だが、何が起こるか分かっていないソフィアは不安そうな表情を見せた。変な事をする訳では無いと証明する為に、私は分かりやすく説明するよう心掛けた。
「今ここにある二冊の『ゴジスカン対もじすきー』は、片方には誤字が無く、もう片方には誤字があります。つまり、間違い探しのイラストと同じ様なものです。間違いを一つ一つ探していくのが誠実なやり方ではありますが、魔法で間違いを炙り出した方が手っ取り早くて見逃しも無いのでこの方法を使います。いいですよね?」
「……はい」
ソフィアは神妙に頷いた。それを見て私も頷き、本を横に並べる。
「最初のソーニャとニーニャの違いは一目瞭然なので、ここは飛ばして本文の違いを出していきますね」
ページを捲り、本文の最初のページを開く。懐から愛用の杖を取り出して本の上に掲げる。
魔法を使う時は、ただ素直に魔法を、奇跡を信じればいい。今回の場合は誤字を全て探し出せると信じればいいだけだ。誤字の数が多いと面倒だけど。
(書斎にあった本が正解の方だから、ソフィアさんが持ってきた本から誤字を出す……)
ふう、と息をついて杖を一振り。するとソフィアの本に書かれている文字がガタガタと揺れ動き、その中から幾つかの文字が宙に浮かび上がる。
せ ん に じ ゆ う よ ね ん
「おお……」
目の前で繰り出される魔法に、ソフィアは感嘆の声をあげた。
「最初のニーニャと合わせて考えると、にせんにじゆうよねん……2024年。この後は月日が来るのかな。この方向で間違いは無いようなのでこのまま続けますね」
都度ページを捲りつつ誤字を浮かび上がらせ、最終的に出てきた言葉はこうだ。
にせんにじゆうよねんいちがつじゆうよつかにちようびきようとしかんぎようかんみやこめつせいつかいだいにてんじじようぶんがくふりまきようとはちにてまつあれくせいのべるすきい
「全部ひらがなだと読み辛いから変換して……」
もう一度杖を振り、ひらがなを変換させていく。見覚えのある名称があったから、誤変換は無いはずだ。
2024年1月14日日曜日京都市勧業館みやこめっせ1階第二展示場文学フリマ京都8にて待つアレクセイ・ノベルスキー
「どうやらお兄さんは、誤字に会う場所を仕込んだようですね」
「何でそんな面倒な事を……」
誤字に秘められたメッセージは分かってもそれだけは分からず、二人で首を傾げた。
「ともかく……文学フリマ京都。今日会う約束をしていたなら当たり前ですが、今日開催される同人誌即売会です。時間は確か11時からのはず……」
時計を見ると、既に11時を過ぎていた。
「今から行きますか。京都に」
「え、でもここ京都じゃないですよね……?」
私が何でもない事の様にサラッと言うものだから、ソフィアは眉根を寄せた。普通、ここから京都へ行く最速の手段は新幹線だ。ちょっと歩いてそこのコンビニに行ってくる、なんて気軽な距離じゃない。でもそれは、魔法が使えない一般人にとっての話。
「何言ってるんだって思われるかもしれませんが……家に異世界へと繋がるどこでも的な扉があるんですけど、行こうと思えば同じ世界の中でも行きたい場所に行けるんですよ。なのでそれを使って行きましょう。浮いた分のお金で気になる本も買えますし」
こちらへどうぞ、と言って私はソフィアを連れて事務所を出た。
件の扉は2階にある。1階の事務所のほぼ真上なのだが、階段は事務所とは反対の位置。その分の距離を無言で歩いているのも何だか気が詰まるので、私は少し気になっている事をソフィアに訊ねた。
「この『ゴジスカン対もじすきー』の作者のアリョーシャって、ソフィアさんのお兄さん……ですよね?」
「はい。アリョーシャはアレクセイの愛称です」
「ああ、よかった。本人を目の前にして言うのも失礼な事ですが、ロシア人の愛称ってなかなか覚えられなくて……。で、”ソーニャに捧げる”のソーニャというのが、ソフィアさんの事……ですよね?」
「ええ、そうです」
ソフィアが溜息をついて続けた。
「兄が私の為に本を書いてくれると言うので楽しみにしていました。それなのに届いた本は誤字だらけで、私の名前まで間違える始末……。兄に会ったらお説教しなくちゃ気がすみません」
頬を膨らませて怒った様な表情をした。今言うべき事ではないだろうが、私はその姿にどこか可愛らしさを感じた。きっと本気で怒っている訳ではないのだろう。仲の良い兄妹である事がうかがえる。
途中で自室から防寒具と鞄を持ち出し装着しつつ、2階の廊下の奥にある扉の前に着いた。
「この部屋の中に、そのどこでも的な扉があるんですか?」
廊下には、似たような扉が6つならんでいる。その扉の先は私の部屋だったり、魔法薬を調合する為の部屋だったり、空き部屋だったりするのだが……。
「この扉を開けると、みやこめっせ……付近の人目につきにくい場所に出ます。この扉が、どこでも的な扉です」
なるほど……。とソフィアが小さく呟いた。
「それじゃあ、開けますね」
手袋の裾をぐっと引っ張ってから扉を開けると――分かってはいたが、真冬の冷気が入り込んできた。だから外に出るのは億劫なのだ。
文句を言ってもどうしようもないので、白い息を吐きだしつつ外に出て扉を閉める。周囲を見てどこに出たのか確認し、文学フリマの会場となっている場所へと向かう。隣のソフィアは本当にあの扉から外に出た事に驚いているようで、きょろきょろと視線を彷徨わせている。
「探偵さん、本当にみやこめっせという所に出たんですか?」
「はい。人目につきにくい場所に出たので分かりにくいですが、ちゃんと合ってますよ。……ほら、あそこ」
私が指をさした先には『文学フリマ京都』と書かれたポスターが張り出されている。同じ方向に歩いていく人々の姿もあり、寒さで冷たくなりつつある私の心もイベントに来た高揚感で温まっていく。
「寒いので早く中に入りましょうか。お兄さんがいるブースも調べないといけませんし」
気持ち早足で会場に向かうと、隣から疑問の声が聞こえてきた。
「……ブース?」
「はい。お兄さんが本を書いて、会う場所をここに指定した。という事は、出店者側としてここにいるはずです。そこまで書いてくれていればよかったんですが、誤字の中には無かったのでカタログか、あれば見本誌の中から探す必要があります」
「へ~。探偵さん詳しいんですね」
「以前は京都に住んでいて、その時に来た事があるんですよ。あ、着きましたね」
話している間に会場に着いた。入口でパンフレットと入場証を受け取り、シールになっている入場証を胸の位置に貼り会場内に入った。寒い屋外とは違い、ここは沢山の人の熱気で溢れている。誰もがまだ見ぬ本との出会いを求めているのだ。
「凄い人ですね……。はぐれないように気を付けなきゃ」
はぐれてもソフィアの姿ならすぐに見つかるが、逆だとそうはいかない事に気がついたので私は黙って頷いた。
「入口で貰ったパンフレットに出店者一覧が載ってますね。ここから兄の名前を探せば……」
ぱらぱらとパンフレットを捲るソフィアの眉が、段々と寄せられていった。
「名前が……書いてない……」
「まぁ、ここに書かれているのは配置場所と、カテゴリと、出店名ですし、自分の名前をそのまま出店名にする人はなかなかいませんから……。本の奥付になら出店名が書かれていると思いますが、せっかくなので見本誌の中から探しませんか? お兄さんを探すのが最優先ではありますが、ここに来てお兄さんのブースにだけ行って帰るのは勿体ないですよ。勿論強制はしませんが、本がお好きであれば、ここにある沢山の本を見ているだけでも楽しいですよ」
本音を言えば、せっかくここに来たのに何も買わずに帰るのは嫌だから、買う本を吟味したいだけなのだが……流石に私情すぎるので黙っておいた。
「なるほど……。そうですね。私も本は大好きなので、ここにある本を全てスルーするのは勿体なくてできません。行きましょう、見本誌コーナーに!」
こうして私達は見本誌コーナーへと向かった。机の上にずらりと本が並べられ、人々は思い思いに本を手に取りそれを読んでいる。
「わあ……! 気になる本が沢山あって目移りしちゃいますね!」
ソフィアが眼鏡の奥の瞳を輝かせながら言った。私もその気持ちはとてもよく分かるのでうんうん頷いた。
「こういう所に来ると、もっと自分に財力があればいいのになっていつも思うんですよね」
「分かります! 私もついつい予算オーバーになる程本を買っちゃいそうになるんですよ~」
本好きあるあるを交えながら「あの本が面白そうだ」「この本の表紙が素敵」なんて話しつつ、遂に目的の本を見つけた。
「あ! あの人が持ってる本……」
ソフィアが声を上げ、指をさした方に私も視線を向けると、一般客の一人が見覚えのあるウサギのイラストが描かれた本――『ゴジスカン対もじすきー』を読んでいた。
「あの人が本を置くのを待ってから配置場所を確認しましょうか」
「はい。……ふふ。何だか嬉しいですね」
「……? 何がですか?」
何か喜ぶ要素があっただろうか。私が首を傾げていると、ソフィアが笑顔をこちらに向けて言ってきた。
「だって、兄が私の為に書いた物語が本になって、こうして見知らぬ誰かにも読まれているんですよ。何十冊、何百冊と本がある中で、私の兄の本を手に取って読む人がいる。それって、とても素敵な事じゃないですか!」
(ああ……)
そうか。今まで何気なく手に取っていた本だって、勿論それを書いた人がいて、書いた人にも家族や友人がいる。それは”書いた本を読んでくれた人がいる”喜びを分かち合う人もその分だけいる、という事なのだろう。
「そうですね。身近な人の作ったものが見知らぬ誰かに手に取ってもらえるのって、嬉しいですね。きっとお兄さんも、色んな人に手に取って、読んでもらいたくて、文学フリマに参加したんでしょうね」
「ええ。……あ、あの人本を置きましたね」
そそくさと本の置かれた場所まで行き、本に貼られたシールに記入してある配置場所を確認。配置図でその場所を探すと……意外と近くだった。
「すぐそこの列の、一番端っこですね」
「ああ~! いました! あの見覚えしかない金髪頭! さあ、行きましょう探偵さん!」
「わ、あ、待ってください……!」
ずんずんとソフィアが進んでいくので、私は慌てて追いかけた。
人にぶつからないよう気を付けながら進んだ先に、その人はいた。金髪に青い瞳。白い肌にはそばかすがついていて、黒縁の眼鏡を掛けている。明らかに外国人の顔立ちだが、着ているものはこちらも書生服なソフィアと瓜二つの男性。この人がソフィアの兄、アレクセイ・ノベルスキーだろう。私達の姿を認めた彼が、椅子から立ち上がり朗らかな笑顔で手を振った。
「やあ、久し振りだねソー」
「兄さん! 何ですかあの誤字だらけの本は!」
「ニャ……」
妹から開口一番に文句を言われた兄は、笑顔と手を萎れさせた。
「あれは、その」
「楽しみにしていた本が届いたと思ったら誤字だらけですし、私の名前にまで誤字がありますし、誤字でここの場所を書かれてもそんなのすぐには分かりません!」
「うん……ごめんよ、ソーニャ……」
兄、涙目。
「ですが……さっき、見本誌コーナーでこの本を読んでいる人を見掛けました。どこの誰とも知らない人がこの本を手に取って読んでいる事が嬉しかったので、今回はその人に免じて許してあげます」
「ソ……ソーニャ~!」
兄、感激故にまた涙目。
「ごめんよソーニャ。君の名前にまで誤字を仕込むのはやっぱりやり過ぎだった。でも、許してくれてありがとう。君も、ソーニャをここまで連れてきてくれてありがとう。僕はソーニャの兄の、アレクセイ・ノベルスキーです」
そう言ってアレクセイは私に手を差し伸べてきた。その手を握りながら私も挨拶をした。
「初めまして、私は紫野原翠です。あの、失礼でなければお伺いしたいんですが、何で誤字だらけの本を妹さんに送ったんですか?」
「あ、それ私も聞きたいです! 何であんな妙に手の込んだ事をしたんですか?」
「ああ、あれは……」
妹の名前にも誤字を仕込んだ後ろめたさでか、少し気まずい顔をしつつアレクセイはその理由を述べた。
「本を作るのは初めてだから、まずは一冊だけ試しに刷ってみる事にしたんだ。で、その時に誤字でメッセージを作る仕掛けを思いついてね。ほら、本の中にゴジスカンが登場するから、実際に誤字を仕込んだら面白いだろうと思って。どんなメッセージにするか考えた結果、ソーニャにこのイベントを知らせる内容に決めたんだ。ただ、その時はまだ配置場所が決まってなかったからそこまでは入れられなかったんだけどね。楽しんで誤字を炙り出してくれるかと思ったけど……そうはならなかったみたいだね。名前にまで誤字を入れてしまったし、何より誤字が多すぎた。本当にごめんよ、ソーニャ……」
項垂れるアレクセイに、ソフィアは「もう……」と呆れたような声を掛けた。
「許してあげると言ったんですから、何度も謝らなくていいですよ。それに面白い魔法も見れましたし」
「面白い魔法……?」
「はい。この探偵さん……紫野原さんが魔法で誤字を浮かび上がらせてくれたおかげで、兄さんのメッセージに気づく事ができたんですよ。ここにだって扉をくぐり抜けるだけで来られましたし。貴重な経験ができたのは楽しかったです。ありがとうございます、紫野原さん」
こちらを向いてぺこり、とお辞儀するソフィア。
「いえ、私はたまたま書斎に同じ本があったからお兄さんを探すお手伝いができただけで……いや。もしかして、何か理由があって、わざと私の家にこの本を送ったんですか、アレクセイさん」
「あ、バレちゃいましたか」
あはは、とイタズラがバレた子供の様にアレクセイは笑った。何も知らないソフィアだけが頭を悩ませている。
「どういう事ですか、兄さん」
「実は、誤字にメッセージを仕込んだ本を作ってソーニャに送ったのはいいんだけど……いや、いいとは言い切れないな。送った後で、メッセージに気がつかない可能性に気がついたんだ。どうしようかと悩んでいたら、君の……魔法関連専門の探偵がいるって噂を耳にしたんだ。君の力を借りればソーニャもきっとメッセージに気がつくだろう。そう思って誤字の無い方の本を君の家の書斎に出現させたんだ。それにソーニャを一人でここに来させるのも心配で、誰か一緒に来てくれる人がいる方が安心できたんだ。そしたら本当に君がソーニャと一緒に来てくれたから嬉しいよ。どうもありがとう」
「なるほど……? どういたしまして」
どうやら私の力は兄の親切心とお節介に利用させられたらしい。
「ちなみに、私の家に現れた本は……」
「ああ。迷惑でなければ、それはそのまま君にあげるよ。少ないかもしれないけど、依頼料の代わりとして受け取ってくれると嬉しいな。勿論、足りなければ何か別のもので埋め合わせを……」
「あ! それじゃあこのイベントが終わった後に、アリョーシャの奢りで美味しいものを食べに行きましょう!」
「いいですね。この辺美味しいお店色々あるので、アレクセイさんの今日の売上金に応じてどのお店に行くか考えるとしましょうか」
「完売目指して頑張ってくださいね、兄さん!」
「……なかなか手厳しいね、二人とも。でも……うん。二人に美味しいものを食べさせる為に頑張るよ」
妹想いの兄は、力なく笑みを浮かべながらも気合を入れる様に拳を握った。
「それじゃあ私達は、ずっとここにいても売り上げの邪魔になっちゃいますから、他のブースを見て回りますか」
「ええ、そうですね。見本誌を見て気になった本が幾つもありますし、売り切れちゃう前に行きましょう」
「二人とも楽しんでおいで。……あ、そうだ。ソーニャ」
「はい?」
アレクセイは机の下から一冊の本を取り出した。その本は、リボンで可愛らしくラッピングされた『ゴジスカン対もじすきー』。
「誤字の無い『ゴジスカン対もじすきー』だよ。お詫びになるかどうかは分からないけど、これはソーニャ用の特別な一冊なんだ」
ソフィアがそれを受け取り、リボンを解いて表紙を捲る。”ソーニャに捧げる”という文字の両側に、本来そこには無いゴジスカンともじすきーのイラストが描かれていた。
「ふふ。ありがとう、兄さん。大切にしますね」
「うん」
ソフィアは両手でしっかりとその本を抱き、仲の良い兄妹は微笑み合った。
「それじゃあ兄さん、美味しいご飯奢ってくれるの楽しみにしてますからね。また後で!」
そう言ってソフィアはここでしか手に入らない本を求め、歩き出していった。私はその背を追おうと足を一歩踏み出し、しかしもう一歩踏み出す前にアレクセイの方を向いた。
「あの、失礼でなければもう一つお伺いしたいんですが……お二人ってどういう存在なんですか? 人間ではなさそうな気はしているんですが……」
「僕らの事なら、本が好きな妖精でも、妖怪でも、何なら神様でも、好きなように解釈してください」
「なるほど、分かりました。ありがとうございます。それでは私も行きますね。美味しいもの、楽しみにしてます」
「うん。期待に応えられるよう頑張るよ」
私はもう一度、本好きな彼女の後を追いかけ始めた。この人混みでも、魔力を持つ存在ならすぐに見つけられる。
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