グロウロする - エッセイシリーズ『名前をつけてやる』

先週は忙しかったので休みました。すみません。

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さて、基本的に考えることはいいことである。

特に自分は、考えることが好きだ。

とりわけ『相手のためを思う』ことに、文句のつけようはない。

……と、思ったらあったのだ。その話をする。

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グロウロする

相手の出方を過剰に考えすぎ、結果として動けなくなること。

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例えば電車に座っている。

一見、老人と見える人が来る。

席を譲りたい。だがここで、相手のことを過剰に『思いやって』しまう。

老人と思われたことで、気を悪くしないだろうか?

知らない人に突然話しかけられて、びっくりしないだろうか?

逡巡しているうちに老人は通りすぎる。こうなったら自分はもう見守るだけである。

……はい、実話です。

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このような配慮は、相手を思いやっているようでさほど思いやっていない。

というか、何もしていないのだから思いやっていないのと同じだ。

このような場合は拙速が求められる。相手を見た瞬間に「どうぞ」と言えなければ、それは失敗なのだ。

ではそのためにはどうするのか。

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考えることはよいことだと書いたが、正しくは、正しく思考しなくてはならない。

つまり、自分自身の想像力を制御するのだ。

この場合、老人に席を譲って嫌がられるかどうかなんて、事前には分からない。

わからないものをあえて想像しようとしたのが間違いのもとである。

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正しい思考は難しい。正しくない思考のスイッチを切ることが重要だ。

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