ポプオンと - エッセイシリーズ『名前をつけてやる』
あまり面白くない未来ばかり話す人がいる。
面白くない未来を予想することは面白いのだ。
頭がいいような気分になれるし、予想をすることで、その未来に対しささやかな『抵抗』をした感覚を得ることができる。
つまり、いいことをした気になるのだ。
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それとは違い、妙に面白い話をする人がいる。
たいてい、話としてはオチもなく、中身も無かったりするが、聞いていると楽しい。
面白いのは内容そのものより、コミュニケーションが成立することそのものの快感だ。
たぶんそういう人は、ポプオンとした瞬間を大事にしている。
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ポプオンと
自分が考えていることは、相手も考えている。むしろ同時に同じことを考えつく。
そのような瞬間に浮かぶ音。
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例えば、会話の最中、ちょっとした固有名詞が出てこないことがある。
Aさんは言う。
「ああ、なんだっけ、あの、長い――」
『長い』ぐらいしか情報が無いのだが、Bさんにはわかる。
「――高枝切りバサミ」
「そうそう、高枝切りバサミだったね」
そういう経験が読者のみなさんには無いだろうか。
自分にはけっこうある。
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中には、高枝切りバサミだと口に出さなくても、Bさんが思いついたタイミングでAさんが高枝切りバサミを思い出してくれたりもする。
こういうケースは、たぶん脳みそ同士が密なコミュニケーションをしていないと生まれないのだと思う。
親しくない人だとあまりポプオンとしないからだ。
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逆に言うと、相手の目を見る、あるいは全身を観察しつつ、同時に話の内容にも注意して、
相手の立場を想像しながら話を聞いていれば、
脳みそはポプオンとする。それくらいの能力がある。
同じものを共有しているのだから、話が通じる。
そして話自体の快感――話の内容が面白いわけではなく、コミュニケーションが面白い現象も起きやすい。
できればコミュニケーションはすべてポプオンとするようにありたい。
親しくなるからポプオンとするようになるのか、ポプオンとするからより親しくなるのか。
どちらのケースもあるだろう。
だが、想像力を働かせていないとそれは遠のいてしまう気がする。
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