法政大学 小泉樹選手×早稲田大学 OB小泉真二良さん ラジオ生対談
今更感全開で一字一句間違いなく…とは言い切れないけれど。とっても素敵な対談だったから少し書きたい。
まず生放送であんなに喋れる小泉くんは天才‼︎言葉の選び方や声のトーンも落ち着いていて本当によかった。
たぶん最初で最後になるかもしれないnote。できるだけそのままの言葉を残しておきます。
▫️準エース区間4区振り返り
区間順位は12位でそこに関しては満足出来ない結果だったんですけど、ただチームの順位はふたつ押し上げることが出来てシード圏内にも入ることができたところについては自分の中では役割を果たす事ができたのかな。というふうに思います。
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監督とレース後どんな話をしたのか
あんまり褒めてもらえなかったですね 笑
「まぁこんなもんだろ。」っていうふうに…ちょうど11月くらいからポイント練習を始めてなんとか間に合ったっていうかたちだったので「まぁ継続して来年は練習していこう!」と言われました。
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箱根駅伝あとのお祖父様からのLINE
夏合宿の最後に故障したということで満足のいく練習が出来ていない。と聞いていたのでこの結果はまあまあじゃないかな。と思っています。「よくやったね」✉️と送信しました。
なかなか褒められることも多いわけではないので、嬉しかったです。
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あまり褒められたことがない?!
おじいちゃんは孫を褒めるもんだって思うのが一般的。そうでもないのですか?
「心の中で褒めてました 笑」
画面越しの樹さんがにやっと笑っていたそう
(画面をみたかった 笑)
▫️お祖父様から聞く学生時代のお話
走っている時は淡々と走って…という感じだったのですが卒業して社会人になって10年20年経つうちに箱根駅伝を4回走ったことは非常に誇りに思うよ。箱根を走ったということは非常に価値があるんじゃないか。と話して聞かせました。
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小泉選手の思う箱根駅伝の価値
本当に箱根駅伝は特別な場所だと思いますし、自分がこうやって出れていることを自分も誇りに思います。
▫️今と昔 箱根駅伝の違い
我々の頃は箱根駅伝はメジャーではなくてですね、アナログ時代の駅伝という風に感じます。といいますのは伴走車もマイクではなくメガホン一台一台青天井のジープに伴走してもらっていました。全く雰囲気が違います。ただ沿道の熱い応援は今も昔も変わりません。
貧しい時代でしたので練習用のシューズも試合用のシューズも一足しか選手は持っていなくて薄底のアシックスシューズを履いていました。
現地の中継点に行く交通手段は1区は朝一の電車で大手町まで行ってあとはスタート地点まで歩いていきスタート時間まであったかい格好をして道路脇でしゃがんで待っていました。
それが普通だと思っていたので不便とか不満はありませんでしたね
(ただ沿道の熱い応援は今も昔も変わりません(இДஇ )
▫️先輩ランナーからのアドバイス
とにかく故障しないということ。普通に練習しておけばきちっと走れると感じてました。
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故障しないで継続して練習するように。って言われてはいるんですけど、そこは本当に自分でも気をつけているんですけど故障を繰り返してしまっているのでこれからはそこは気をつけて取り組んでいきたいなと思います。
▫️高橋選手の訃報
夏合宿に彰太の訃報を受けたんですけど最初は全く受け入れられなくて、練習に対しても気持ちが作れない状態でした。合宿中だったので距離も走らないといけないですし、練習に気持ちを入れないといけなかったんですけど、なかなかその気持ちが前向きにならなくて気持ちと体がバラバラな状態でした。
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立ち直るまでの時間
チームの全体練習から各自の練習になって気持ちが整わない選手は練習も出なくていいというかたちでした。自分はジョグは最低限やろうとそこはやりつつ、ジョグをしながら気持ちを整えていきました。
「少しは思い届けられましたか?」
彰太のために。って思いで走った。総合5位には届かなかったものの彰太は天国でみてくれていると思うので総合6位になれて良かったと思う。
▫️4年生の目標
樹 選手
まずは故障せず1年間試合に出続けるようにしていきたいと思っています。
その中でもおじいちゃんの1区最高順位である4番を超えて、区間3番以上を獲りたい。
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お祖父様
私はむしろ2区で上位を狙ってもらいたいな、と思います。
1区か2区で頑張りたいと思います
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どんな選手になって貰いたいか?
結果はともかくとして自分の思い通りの練習を消化して、心も体も強い選手になって貰いたい。結果はまともに練習したらついてくる。
箱根ランナーの経験から導かれるアドバイスには重みがあって、最後のどんな選手になって貰いたいか?の質問の答えにはグッと胸があつくなって泣いてしまいました。
一番大事なのはもちろん心身の健康。怪我を繰り返して思うような練習ができなかった期間もあったようですから、とにかく大きな怪我なくラストイヤー走って欲しい。小泉くん本人が一番願っていることとはいえ、ファンにとっても切実な願いだから書かせてください。
行ける範囲にはなるけれど今年は現地でたくさん応援出来たらいいな。そして爽やかな笑顔もたくさんみれるといいな。と思います。
終わり
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