孤独ではない

「宗教」という言葉を聞くだけでなんとなく物怖じしてしまう人って少なくないと思う。わたしもその一人だった。

自分の知らないことって、こわい。知らないから、何を言っていいのかわからない。相手にとって失礼に当たることを言ってしまうのではないか。そういう怖さだ。
たしかに、世界的に悪さをしている宗教集団っているし、数年前なんかは新興宗教の存在が日本中で話題になった。そういう宗教を信仰していない人からしたら、「あんな宗教を信じる奴は馬鹿だ」そう言ってるんじゃないかな。

高校生の倫理の授業で「宗教」に興味を持ち始めてから早6年。たくさんの種類の宗教の知識を蓄えたし、実際にいろんな宗教を信仰している人と話をした。特にイスラム教徒とはコミュニティに歓迎されるほど仲良くなれたと思う。

そうしてきて、確信したことがひとつ。宗教を信じる人とそうでない人の理解の差は埋まらない、ということ。
どんなに共感しようとしても、それは無理だと思う。だって、自分が生きるために何かすることを、実際はどんな人だったのか全くもって分からない人が書いた「聖典」に従うなんて、理解できないでしょう?

たしかに後天的に宗教を信仰し始める人はたくさんいる。わたしの友人もその一人だ。でも、彼を見ていて思う。少し特殊な理由で改宗したからかもしれないけれど、本心からムスリムになった、のか?と。

無宗教者として生きてきた過去は変えられない。日本人として「聖典」に反する行動をしてきた事実は記憶から消せない。そのとき、その場所で、自分が選んだ行動を否定するのか?それは違う。なら、心の底から行動を「改める」こと。そこに違和感はないのだろうか?
少なくとも、わたしはそう思うわけだ。

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